2-5
袖から飛刀を取り出し、刃を上へ突き上げる。
ここでようやく、眼前の刺客が反応を示した。
敵は慌てて、手にした短槍で凱夏を払おうとする。
が、遅い。
至近距離から、凱夏は男の咽喉を飛刀で突き刺した。
濃い鮮血の匂い。
間近で敵の絶命、無力化を確認。
これでまずは一名。残りは、四名だ。
数える間にも、別の刺客が凱夏に襲いかかった。
仲間を仕留めたばかりの凱夏に向け、別方向から短槍の突きを繰り出す。
長年の直感で、凱夏はすぐさま右手の飛刀を手離した。
左手で咽喉を突いた刺客から短槍を奪い、旋回させる。
上空から叩きつけるようにして、凱夏は敵の短槍を地面に押しつけた。
突きを封じられた男は短槍を持ったまま、地面に両手をつくような格好になる。
その背を、凱夏は思い切り長靴で踏みつけた。
そのまま龍を踏み台にし、手の中の槍を反転させる。
握りを微妙に変えながら、凱夏は短槍を大きく振りかぶった。
狙いは、右斜め後方。
全身のばねを使い、振り抜くようにして凱夏は短槍を投げつけた。
鋭く、風を引き裂く音。
あやまたず、凱夏の投げた槍は別の刺客の背を貫いていた。
凱夏が足止めされているうちに、黎峯を捕らえようとしていた男である。
無防備に背中丸出しで走るから、こういう結果を招くのだ。
凱夏の短槍は、件の刺客の心臓を完全に貫通していた。
これで今踏んづけている敵を含め、残りは三名。
現在両手は空。素手では心もとない。
新しい武器が欲しい。
思うと同時に、凱夏は足裏の敵から短槍を頂戴した。
奪いざま、槍の穂先で刺客の咽喉を刈るのも忘れない。
派手に返り血を浴びながら、凱夏は自己嫌悪に顔を顰めた。
毎度のことながら、戦闘における自分の手際の良さにはうんざりする。
だが、凱夏の敵は人間ではない。龍だ。龍は恐ろしく強い。寿命も膂力も体力も、身体能力のほぼすべてにおいて人に勝っている。急所以外の攻撃は、致命傷とならないことも多い。
彼ら龍の身体的な強さから、凱夏は敵に手心を加えられなかった。中途半端な攻撃では、龍を無力化できないのだ。
──何より敵は、『顕現』可能な能力を具えている。
傍流ならまだしも直系の龍に顕現されれば、もはや凱夏に勝ち目はない。
ひとたび古の龍に転じられれば、それはそのまま凱夏の死を意味する。神代の姿に戻った龍は天候すら意のままに操る、まさに化け物なのだ。
龍に顕現の猶予など、与えはしない。
ゆえの先攻。
ゆえの速断。
ただの無力な人間に過ぎない凱夏に、不殺などもってのほかだった。
もっと強ければいいのにと、いつも詮なく思う。
圧倒的に強く、強く、強く。
師匠のように。
(くそ、こんなこと考えてる場合じゃねぇな)
雑念を遮断しようとしたとき、何かが軋む音が凱夏の耳に届いた。
眼と鼻の先で、炎に包まれた大木が派手に転倒する。飛び散る無数の火の粉が、小さな生き物のようにくすんだ中に舞い上がった。
凱夏の視界半分は、今や炎で見事な朱金だ。
熱風による汗が顎を伝った。
呼吸のたびに、熱でむせそうになる。
心配になり、堪らず凱夏は姫と明星の気配を探った。
両者とも無事、川辺に避難したようだ。だが、まだ油断できない。早く安全な場所へ、凱夏が誘導してやらねばならない。
頭では思いながらも、それを実行に移せないもどかしさで凱夏は奥歯を噛む。
この間、凱夏にとって緊張の一瞬が訪れていた。
戦闘中、わずかに流れる空白の時間。
今のところ、対峙した敵の刺客二名に動きはない。
慎重に間合いを取りつつ、こちらの隙をうかがっている。
ここまで来ると、凱夏にもおおよそ対手の素性と力量が知れていた。
皆、戦法が直線的で単純。恐らく、齢百に満たない若い龍だ。動作の粗さから考えて、さほど高い血統とも思えない。傍流の出だろう。それなら凱夏でも対処可能だ。
顕現し、神通力を発動するには、龍はある程度濃い「血統」が必要となる。
総合して、彼らに天変地異を引き起こす能力はないと判断する。
それに──と凱夏はつけ加えて思った。
今はまだ、二対一だ。数は向こうが有利である。まだそこまで追い詰められていない。まだ顕現はしないはずだ。
(けど、こういうのは往々にして予想を裏切るもんだからな……)
顕現だけはしてくれるなよ、と凱夏は心で手を合わせる。
結局、最後に行き着くところは神頼みだった。
(たかだか人間一匹のために、寿命を消費すのは惜しいだろ?)
龍は顕現に、およそ寿命の半分を消費する。どれほど若い龍でも、顕現は一度が限界だ。老齢に至っては、顕現と同時に即死するという。
(人ひとりに顕現なんて、どう考えても割に合わねぇよな?)
あんたらもそう思うだろ、と心で問いかける。
凱夏の祈りが届いたのか、刺客たちは現状で争う姿勢を見せた。
先方も凱夏との戦闘を学習したようだ。個がばらばらに攻めるのではなく、二名で連携して凱夏に戦いを挑むようである。
結構なことだ。そちらの方がありがたい。
顕現に次いで怖いのは、数に物を言わせて黎峯や明星が狙われることだった。
──敵が動いた。
初撃で凱夏に槍を投げた男が、腰から剣を抜く。
そして二名同時に、地を蹴る音。
剣と短槍、両者は左右から挟み込むようにして急襲をかける。
右か、左か。
凱夏はまず右、短槍の方に接近した。
突きを繰り出す刺客の、向かって右側面に肉薄。
肘をくらわせ転倒させ、空いた手で敵の短槍を掴む。
そのまま引き抜き、凱夏は敵から武器を強奪に成功した。
倒れた刺客には眼もくれず、奪ったばかりの短槍を握り直す。
左から、銀の刀身が迫っている。
次はそれに対処せねばならない。
短槍の先端で斬撃を防ぎ、凱夏は柄を回転させて穂先を前に出した。
その回転時間に剣客は体勢を整え、凱夏に追撃を試みる。
若い龍だけにいい反応だ、立て直しが早い。
が、軌道は至極読み易い。
凱夏の頸筋を狙った刃は回避。
躱すと同時に、槍先でひょいと敵の片足をすくい上げた。
足を取られた剣客は驚きの表情のまま、呆気なく地面に仰向けとなる。
――詰みだ。
この条件では、地べたに背中をついた時点で敗北が確定する。
起き上がるまでの絶望的な間が、その後の生を許さないのだ。
凱夏は容赦なく、剣客の咽喉に突きを見舞った。
頸を貫かれ、龍は即死。
残るは、先ほど凱夏が短槍を奪った刺客を残すのみだ。
屍体から短槍を引き抜いたとき、最後の敵はすでに逃走を図っていた。早々に短槍を奪われたため、逃げるしかないと悟ったのだろう。刺客は川辺を走らず、火の海と化した森の中へその身を躍らせた。
いかな龍と言えど、こんな火事場の森で生き残るのは至難の業だ。一瞬放置を考えたが、もし運良く生き延びられれば面倒が生じる。
例えば、逃げた敵の証言で道中に兵を布かれては、森を出るに出られず厄介だ。今から伝令が間に合うとは思えないが、警戒するに越したことはない。まだ背後に、別の新たな刺客が控えていないとも限らないのだ。
わずかな沈思ののち、抹殺を決断。
短槍を振りかぶり、射抜くように投げ放つ。
このときばかりは、思考に費やした時間が仇となった。
凱夏の渾身の一撃は、寸毫の差で分厚い木の幹に阻まれる。
凱夏の口から舌打ちが漏れた。
悪態をついている場合ではない。
追尾しようとした凱夏は直後、ぎょっとして足を止めた。
逃げたはずの刺客が突如、外に飛び出したからだである。
いや、正確には「突き刺された」と表現すべきだろう。
刺客の背中からは、反った銀色の刃が顔を覗かせていた。正確に心臓を突かれ、まさに串刺し状態だ。血塗れた刀身がぬらりと光る。
凱夏が注視する中、刺客の身体が上に持ち上がった。木が邪魔で先端しか見えなかった刃物から、竿のように長く伸びた柄が現れる。
長い柄と、幅の広い片刃の刃――大刀だ。槍と同じ長兵器だが、大刀は刀身が重く、重量を生かした斬撃が特徴の武器である。
凱夏は警戒をさらに強め、大刀の主に意識を集中した。
槍より勝手が悪く、振るうに腕力を要する大刀は、必然的に猛者の得物だ。未熟者は手を出さない。
「そう力むんじゃないよ」
凱夏の警戒を見透かすように、軽やかな声が響いた。
男ではない。艶っぽい女の声だ。
同時に、串刺しにされていた刺客の身体が空を舞った。大刀で振り飛ばしたらしい。派手な水しぶきを立てて、その屍体は川の中へ消えていった。
「ははっ! 久しいねえ、凱夏!」
覇気のあるかけ声とともに、妙齢の美女が姿を現した。
短い黒髪と、白くほっそりとした首筋。炎を映した双眸は、朱を交えた金色に輝いている。身につけた衣装は男物の袍だが、それがかえって彼女の女性らしい身体を誇張していた。実齢は二百近い齢だったと記憶しているが、見た目だけなら二十台半ばの別嬪である。
そこまで検分して、凱夏はようやく美女の名を記憶から探り出した。
「翠か」
呼ぶと翠は胸を張り、手にした大刀を肩に乗せて言った。
「おうよ。相変わらず化物みたいな戦い方するねえ、アンタは」
にいっと紅を引いた唇を吊り、翠は笑う。
艶めかしい美貌なのだが、性格の雄雄しさが前面に出ているため、見た者に清々しい印象を与える女性だ。
凱夏は緊張の糸を緩めて、かつての旧友に向き直った。
「お前にだけは、化物扱いされたくねぇな」
言い返すと、翠は「むう」と心外そうに唇を突き出した。
「なんだいそりゃ。アタシは見ての通り、か弱い薄倖の乙女だよ?」
「乙女なんて齢か? そもそもか弱い乙女は、大刀を肩に担いだりしない」
「時代の変化さ。アンタが古い」
さも平然と答える。
だとしたら末恐ろしい時代になったものだ。
「おい、凱夏」
高い声音に振り返ると、そこには明星を引き連れた黎峯が立っていた。素足で砂利を踏み鳴らし、黎峯はいかがわしげに翠を眺めた。
「そこな女は何者じゃ、凱夏」
「安心してくれ、黎峯。あいつは俺の昔なじみで、名を東翠――」
「『史』翠」
すかさず訂正が入る。
そうだった。翠もれっきとした龍なので、呼称には煩いのだ。
「ああそうだった。すまん、史翠だ」
「ややこしいから、アタシのことは翠姫と呼んどくれ」
大刀を担いだまま、ひらひらと手を振って翠――いや翠姫は言う。
一見すると適当な物言いだが、龍はとかく、名にこだわりを見せる種族だ。基本、呼称は相手の要望に沿うのが暗黙の了解である。
同族である黎峯もそこはわきまえ、
「ならば翠姫とやら、うぬはいったい何者じゃ?」
吹き上げる熱風に黒髪をなびかせ、傲然と問いかけた。
翠姫はその答えに、何拍かの沈黙を挟んだ。
「何者ねえ……」
鮮やかな唇に指を添え、しばし考えをめぐらせるとその手は腰に持っていく。
火の粉の乱舞を背負い込み、大刀片手に仁王立ち。
翠姫はにんまりと口を曲げて笑った。
「裏切り者、さ」
そう、威風堂々と宣言した。