珈琲カップ
おはようこんにちはこんばんは。または無。私は薄ぐらくて湿っぽい場所にとてもながい時間おかれています。ここは埃っぽくてイヤになっちゃう。ゴホゴホと嫌な音が息をするごとになってすごく苦しい。私はこのまま一度も使われることもなく一生を終えてしまうのでしょうか?
私はいつも夢をみています。私を始めて使う人はきっと、新婚ホヤホヤのかわいらしい奥さん。ええ、新婚で幸せそうな顔をした、きれい好きのわかい奥さんです。きっと、きっとそう。奥さんは珈琲が大好きで珈琲豆がすぐなくなってしまう事がこの頃の唯一の悩みなのです。そんな中、私は奥さんのこだわりのブレンドで淹れた珈琲を中にいれて、やわらかいソファーに座った奥さんの腕の中にすっぽりと収まっています。キラキラと暖かいひざしが私と奥さんを優しく照らして気持ちがいい。ゆっくりと私を鼻に近づけて、こうばしい豆の匂いを嗅ぎます。奥さんのその匂いの嗅ぎかたはとても優雅でかわいらしくて、つい私は惚々としてしまいます。奥さんはもちろん砂糖もミルクも入れません。そのまま唇が近づいて、ふれ合う。きっと私は旦那さんよりもおおくキスをしているのです。きっとそうです。私は旦那さんよりも色々なことを知っています。私は彼女の指の形を正確に、細部までしっかりとしっています。それに、彼女の一人でいるときに思い出し笑いをしてしまう癖があることもしっています。他にも嫌なことがあったときに爪を噛んでしまうことも、旦那さんの深く物事を考えない性格にほんの少しの不満を持っていることだってしっています。どんなに疲れて眠くなってしまっても、彼女は私を優しく洗ってくれます。私は奥さんの愛に包まれています。奥さんがいなければ私は今ごろどうなっていたのかわかりません。ずさんな扱いで壊れているかもしれませんし……いえ、かもしれません。私は奥さんに恋をしています。珈琲カップと人間の恋。イケナイ事はわかっています。けして実らないこともまた、しっています。奥さんにはあんなに素敵な旦那さんがいますし、なにより私は奥さんに自分の意思を伝えることができません。ああ嫌だ。私は何故、何故話すことができないのでしょう? こうして大切にされていて、お礼をいいたいのに。「ありがとう、私は貴女を愛しています」とだけ、その一言だけいえれば私は満足でそのまま死んでしまってもいいのに。どうしてでしょう。どうして、私は話すことができないのでしょう。苦しい。ああ苦しい。この苦しさは気持ちのいい苦しさ。キュンって胸がしまってポカポカとあたたかい。幸せな苦しさ。私はただ彼女の手のひらに寄り添っていればいいのです。それだけで十分幸せ。幸せなのです。
夢から覚めるといつも嫌になっちゃいます。ゴホゴホと痛い。埃っぽい戸棚のなか。ここには優しい奥さんもいなければ旦那さんもいません。ただただ暗闇が広がっているだけ。ゴホゴホ、ゴホゴホ……。
ふいに明るくなりました。声が聞こえます。
「こんな時期もあったわね……でももう遅いわ」
ああ、私の人生どうしてこうなのでしょう。嫌になっちゃいますわ。