相談事
とある男の話をしましょうか。男はとても真面目で、人に嫌われる事が世界で一番嫌いな人でした。毎日嫌われたくない一心に人から頼まれた事を二つ返事に嫌な顔一つせず受け入れて、人の悩みをその時々に合った表情で聞き、時に解決に走るのでした。そして、自分でも気づかぬ内になにか心のなかでもやもやとした黒いものを溜め込んでいく、そんな人間です。
ある日の事です。お昼を食べようと入った定食屋でばったりと会った知り合いが、ビールをちびちびと飲みながら困ったような表情で男に語り始めました。
「いやいや大変だったよ。いや、あはは、なにが大変だったかって? まあ、そうだねきっとお前は信じてくれるだろうし、口も固い。少しくらいは話してしまってもいいだろう。聞きたいかい?」
そんなことを言われて断れるような男ではありませんので、勿論男は神妙に頷きました。
「今から言う話は絶対に誰にも話してはいけないよ。そうだね、先ずはどこから話そうか。ああ、そうそう、オレの趣味は知っているね。そう、それ、夜の街を女の姿で歩くんだ。それがまた結構な快感でね、ほら、オレって結構女顔だろ? それで化粧とちょっとしたお洒落をしたらもう、男の面影なんてどこにも無くなっちゃうみたいなんだ。まあ、なんだ、たまに悪ぶった不良もどきみたいな奴から話しかけたりな、勿論オレが男だって言ってどうにか平和的に解決しようとはしてるんだがね、たまにだけど、いっそ男でも良いみたいな奴もいるだろ? いや、そんなん知らねえって……うんまあ、いるんだよ。そいつは適当にあしらえばどうにかなるんだけど」
そこで男が頼んだ料理が運ばれてきたため、そこで一度彼は言葉を途切れさせました。
「ん、それちょー美味しそうだな、一口くれないか? ああ、ありがと。……うん、美味しい。それでどこまで話したっけ? うーんと、ああそうそう。最近厄介な奴がいるんだよ。粘着っていうの? 男の方がいいとかなんとかいってリアルでも待ち伏せしてきたり。ん? リアルって? 男の顔の時だよ。日が上ってるときは基本この顔だからね。女装は夜だから良いんだ。昼の女なんてただ虚しいだけ。誰も彼も忙しくて人の顔なんて見やしない。まあ、女の顔の知り合いと会うときとかは化粧をするけどね、勿論。」
彼は少なくなったビールを一気に飲み干し、またビールを一本頼んだ。
「そんな事はどうでもいいんだ。問題はその粘着してくる人。それが結構なイケメンでね。うん、どうしたの急に噎せたりして。や、厄介だろ? 男のオレからみてもイケメンの人から女扱いされてみろ、もう、どう反応していいか分かんないだろ? しかもなんか顔を思い出すだけでドキドキし始めている自分もいるような気がしてなんか気持ち悪いし。」
男は彼がこの話を一体どこに持っていこうとしているのか興味を持ち始めていた。男が人に興味を持ったのは始めての事だったのです。男は戸惑いとともに頷き、それで? と話を促しました。
「もうきっと、女の顔の時はそのイケメン君に心を取られてしまっている。やっぱり女の顔の時は心が女側に引っ張れてしまうから。ねえ、どうしたらいいと思う? オレはもうわからないんだ。分からなすぎて困っている。さっきもこの姿のときにイケメン君が話しかけてきて、私……いや、オレは一瞬女側に引っ張られかけたんだ。もう全部がぐちゃぐちゃ。もう訳がわからないんだよ。」
それが恋じゃないかな。男はため息をしたいのを堪えながら言いました。男はその手の話をもう何百何千と聞いてきたのです。それがほんのちょっと変則的だったとしても本質は変わりません。彼はそのイケメンに恋をしています。恋というものは苦しいのに追い求めてしまう、まるで麻薬。彼は半分近く残っていたビールを一息に煽ってよし、とジョッキを勢いよく叩きつけました。
「私は告白するよ。ありがとう、」
彼は微笑んで店を出ていきました。きっと、今から身体の方も女の姿になるのでしょう。世界は変わります。しかしきっと自分だけは置いていかれるのでしょう。男は伝票に書かれた金額に驚きながらそう思いました。
──ただ、それだけのお話であります。