第08話 森の守護者
スースースー
日が昇り、ナラクはルヴィアの膝を枕にして寝入っていた。
もう傷は完治しているようが、家族や幼馴染み奴隷時代の事などと精神的な目に見えない疲労が溜まっていたのだろう。
――本当に強くて優しい子。
「まぁけれど、ナラクを奴隷にし主人だった人間が死んでいて良かったです。でなければその人間は当然として屋敷にいる者、それどころかあの町全てを壊していたかもしれませんね」
――と言っても、今の私じゃ難しいかもしれませんが。
ルビィアの体には未だ呪詛が蝕んでいる。
特に痛みはないが時たま体をまさぐられる気持ち悪い感覚を覚える時がある。
再生力はある程度取り戻したと思うルヴィアだが、魔力は万全の時の100分の1ぐらいだと大まかに計算する。
「まぁなるようになるでしょう」
――そんなことより、
「…してやられましたね。まさか私の゛ピ――“しか生きていない男の子にこんな心を乱されるなんて」
ルヴィアがナラクの髪を軽く撫でる。
落ち着いたのか額に生えていた2本の角はすっかり中に戻っていた。
「全く。憎らしい程可愛い顔ですね。うーん、本当に可愛いです。キリッと男らしい目尻が少し下がって無邪気な子供み――」
――どうやらその子は眠りについたようですね――
ルヴィアの背後から声が聞こえる。それもすぐ――真後ろで。
しかし後ろに人の気配はない。
あるのはルビィアが背を預けてる一本の大きな樹だけである。
しかし、その樹の幹のほんの一部が突如せり上がり、段々と人の形を成していく。2つの大きな乳房が出来ていく事からどうやら女性のようだ。
最初は幹と同じこげ茶色だったが、葉の鮮やかな緑葉色へとグラレーションし、最後は樹から生えてきたとは思えない程綺麗な白となる。
下半身は樹に埋まり上半身だけが飛び出ている状態である。
髪は緑色でルヴィアと同じく腰のあたりまで伸び、大きな澄んだ翡翠色の瞳を持ち、眉は下がり気味で目尻も下がっているためおっとりとした印象を受ける。
体は決して太ってはおらず標準的ではあると思うのだが、大きな胸と共に全体的に柔らかそうで抱き心地が良く見える。
ルビィアとはまた違う美しさをもつ女性だ。
裸体であった体には茨が巻き付いて簡易な服を作っていた。
この大きな樹と同じ神秘的なものを彼女からは感じ、その容姿と雰囲気からまるで多くの子を持つ母のようであった。
「お久しぶりですね」
その樹から生まれた彼女がどんな怒りをも鎮めてしまいそうな、柔らかでとても響きの良い美しい声を発した。
「喋り方が変わりましたね、ルヴィア」
「貴女のせいじゃありませんか、トゥーレ」
どうやら2人は旧知の仲であるようだ。
個別名トゥーレ(種族:妖精種)。トゥーレはこの樹から生まれた妖精であり、彼女の名を冠するこの森――トゥーレの森の守護者である。
彼女はこの森で育つ全ての樹や花や草の母であった。
「そうでしたっけ?私は”貴女に恋人でも出来れば、貴女のその退屈そうなお顔も変わるのではありませんか?”って言った気はしますけど」
「そうですよ。“けど恋人なんて必要ない。1人の方が気が楽。それに恋人以前に私の体に卑下た欲望を隠さない人しか声をかけてこない”と言いましたら――」
「“もっと笑顔で女の子らしくすれば、そういう人以外の者も近づきやすくなると思いますよ。今のままじゃ研いだナイフみたいです”って言いましたね。口調を変えろとは特にいってない気がしますが」
「うっ…そうですけど」
娘が母に相談事を付き合って貰っている母娘のような会話であった。
「まぁ口調を変えるのも1つの手段ではありますが。喋り方1つで雰囲気はかなり変わりますからね。あのままの雰囲気じゃ普通の男性は怖じけづいてしまいますし。その美貌ではなおさらです。美しくても美しすぎてしまえば人は気後れしてしまうものですからね」
うんうんとルヴィアは頭を上下に動かし頷いていた。
「けどそれなら自分から好みの男性に話かければよろしかったんじゃありませんか?」
全くもってその通りであった。
だがルヴィアは反論する。
「これでも私は誇り高い真祖ですよ。私に遥かに劣る者共に話しかける義理はありません」
ルヴィアは他の者を小馬鹿にはしているが別に貶している訳じゃなかった。
ただ事実を言っていた。
それは長く生き実際に歴史をその赤い目で見てきたからこそ――そういうモノであると、もはや関わるまでもなく頭で理解してしまってるが故に出てきてしまう言葉であった。
それに対しトゥーレは、
「ふぅーん。誇り高いときましたか~」
口角を上げその見た目には似合わない意地悪そうな顔をしていた。
「なっ、何ですかっ?」
ルヴィアはトゥーレの反応に狼狽える。
「こんな外であ~んな淫らな行為をしていた人の言葉とは思えませんねぇ~」
ボフッ!
一度は落ち着いていた顔色が一瞬で真っ赤に染まる。
「貴女があんな顔をするなんてびっくりしましたよ。それにあんな可愛らしい声も出せたのですね。ここら一帯に淫靡な香りが未だ漂っていますよ。嗅いでいるだけで人を淫らに変えてしまいそうで、…媚薬のようです」
トゥーレに言われた事で、ルヴィア自身も改めて周囲に漂う臭いに気づき、少し前のナラクとの行為を思いだし体が熱くなる。
「うっうるさい!わっ私だって女なんだからっ!それに私が一番驚いているわよ!!」
あの時はすっかりトゥーレがいる事が頭から抜け落ちていた。
――本当に私はどんだけ興奮してたのよ…。
ルヴィアは珍しく自分に呆れてしまっていた。
「喋り方が昔に戻っていますよ」
「ハッ!しょうがないで…しょうがないじゃありませんかっ!!一目惚れだったんですからッ!!!」
……あっ
「そうですね~。しょうがないですよね。一目惚れで初恋だったんですものね」
う゛っ――――とルヴィアが悔しそうに唸る。
「あんなに一目惚れで彼をからっかておきながらルヴィアも一目惚れだったんですから。本当に可愛いですね貴女は」
もはやルヴィアは何も言えなかった。ただ肩を震わせていた。
ついでにナラクの耳も何故かほんのりと赤く染まっていた。
「ふふ、けどおめでとうございます。初恋を実らせるとはさすが誇り高い真祖様です」
「バカにしてます?」
「いいえ、本当に喜んでいますよ。きっと貴女はこれからたくさんの幸せを享受し、けれど愛しい人ができたが故の苦難に直面するでしょう。」
――けど
「そんな時は一人で溜め込まず、ちゃんと彼と話し合いなさい。彼は貴女の全てを共に背負い、手を引き、共に前へ歩き続けてくれる――9年前と変わらない…いいえ、その時よりももっと強くなった優しい男の子なんですから」
「そう…ですよね。きっと…ナラクなら私を…」
ルヴィアはナラクに視線を落とす。
「はい。彼なら貴女を…例え闇の中に沈みこんだとしても、眩しくなる程の光で包んで希望の泉で満たしてくれますよ」
トゥーレからは既に意地の悪い笑顔は消え去り、慈愛に満ちた顔をしている。
ルヴィアにもそれは分かっていた。
彼女の優しさを知っていた。
ルヴィアは母親を知らない。父親はいるけど母親の顔を知らない。父親も詳しく話す事はなかった。
昔偶然この森に来たときにトゥーレと出会い、それから偶に何十年か毎に会いに来ては話に付き合ってもらったり、相談事にのってもらったりしている。
母親を知らないルヴィアにとってトゥーレは最もそれに近く信頼を寄せ、何百年生きようとも他人と深く関わらず人生経験の少ないルヴィアは、彼女の前では少し子供っぽい一面を見せていた。
ルヴィア本人は自覚していないが。
ちなみにトゥーレは時たま見せるその一面を可愛いらしく愛おしいと思っていた。
――ふふ、貴女はこの先、彼にその顔を何度も見せる事になるのでしょうね