第03話 吸血鬼と死の間際に想うこと
ミスリルはこの世で最も貴重で高価な鉱石である。
ミスリルの剣はあらゆる物をバターのように斬り、魔法さえも持ち手の技量に関係なく斬り伏せる。
さらに魔力伝導率がとてつもなく高く、魔力を込めると切れ味が数倍増すと言われ、さらにミスリルでつけられた傷は通常よりも治りが遅く血が止まりづらいため、早めに手当てをしなければ多少の傷でも死に至る危険性がある。
ミスリル製の武器や防具は市場に出回っておらず、もし値段をつけるとしたら大きな屋敷が2、3軒買えると言われている。
その理由としては性能もさる事ながら、ミスリルは年間で採れる量が非常に少ない上に加工がとても難しく、扱える鍛冶師が各国に1人2人いるかいないかという事にある。
故にミスリルの武器や防具は、王族か彼らに功績の褒章として下賜された者が殆どである。
ルヴィアのお腹に刺さる剣はそのミスリルで出来ていた。
「しかし、そんな化け物みたいな剣で刺されてよくルヴィア生きてるな?」
彼女のお腹からは未だ少しずつ血が漏れ出していた。
「ふふん。何を隠そう私の種族は……吸血鬼ですから!」
「――――ッ!」
ルヴィアは右手を胸に当てながら、顎を少し上に上げ自慢気に言う。
吸血鬼。ここ数百年生存が確認されておらず、絶滅危惧種認定されている。
日中も歩く事が出来るが、夜に限って言えば全種族の中でトップレベルのステータスを誇る。
普通に食事もするが、他者から血を吸う事で最も栄養を摂取出来、吸血行為は食事だけでなく眷属を造り出す事が出来る。
何より脅威なのは、個人差もあるが切れた腕も元通りになるというその再生力である。
けれど、その再生力に目をつけた人間の貴族が、吸血鬼が不老不死の薬の素材になると思い込み、吸血鬼狩りが各地で始まった。
吸血鬼はそれを境にめっきり数が減り、生存の確認が取れてない事から滅んだと言われている。学者の中には人間に紛れ、いまだ生きている者がいると提言している者も多少ならずともいる。
その吸血鬼が今――ナラクの目の前にいた。
「本当に…吸血鬼なのか?だって吸血鬼は絶滅したって話じゃ…」
「さすがに人間如きに全滅なんてされませんよ。まぁ元々純潔の吸血鬼は他の種族と比べても数が少ないので、あの吸血鬼狩りで9割程死んでしまいましたが。あの変態達…捕えて再生力を失うまで嬲り続けていたんですよ」
同族が酷い目にあったというのに、ルヴィアの声は楽しそうであった。
「私を捕らえようとする者達の目は凄い血走しっていて、私を犯す事で頭が一杯のようでしたが」
ルヴィアは胸元の白くて薄いドレスを軽く引っ張り、ナラクに谷間を見せつける。
「う゛ッ!」
ナラクはルヴィアから視線を素早く外した。
ルヴィアはナラクの反応を嬉しそうに笑っていたが、
「――まぁ結局は私が可愛がって上げましたけど」
一転して凄惨な笑みを浮かべていた。
ナラクは視線を外していたため見ていなかったかが、その声に潜んでいる殺気には気づいていた。
外した視線を徐々にルヴィアに戻す。
「けどいくら吸血鬼だからってミスリルで刺されたらそんな長くはもたないだ…ろッ!?」
ルヴィアが急にナラクの耳に顔を近づき、周りに聞き耳を立てる者などいないというのに小さな声で、
「実は私…ただの吸血鬼じゃなくて真祖なんです」
「!?」
衝撃の告白をした。
真祖とは、吸血鬼の最上位である。ステータスや再生力は通常の吸血鬼よりも一線を画すと言われている。
通常の吸血鬼同様血吸う事で眷属を造るが、稀に特異な力を持った眷属が生まれる事もある。眷属に対して絶対的な支配権を持ち、他人の眷属をも支配出来ていたという。
「はぁ…しかし恥ずかしい限りです。まさか人間にやられるとは。あれは一種の天災です。恐らく色んなモノを犠牲にして力を得ていますね。人間というのは全く恐ろしいものです」
――吸血鬼が、しかも真祖が人間にやられた?
噂に聞く真祖が人間にやられるとはナラクには信じられなかったが、どこか納得もしていた。ナラクは、人間という種族がどれだけ恐ろしいかを身を持って知っていたからだ。
「私の命も…後数時間といったところですかね。……そして貴方も」
「そうだな。ルヴィアよりも早く死にそうだ。けどお前は…剣を抜けば再生が始まるんじゃないのか?あまり信じられないが真祖は頭を潰されても再生すると聞いた気がするが」
「まぁ仮にも真祖ですから。本来ミスリルの剣で刺されても余裕で再生出来る筈なんですが、今回刺された際にあの化け物に、思いっきり呪詛を流し込められたんです。ミスリルの持ち手とは思えないエゲツな~いやつを」
呪詛は魔法とは少し違い、魔力がなくとも使う事が出来るが、薬のような特効薬はなく、呪詛によって解呪方法が異なるため非常に厄介な物とされている。
使った者にはとても重い処罰が国によって定められ、何よりも扱いが難しく、規模や呪いが強いモノ程重い代償を支払わなければならない。
生半可な腕では術者本人に呪詛がかかったり、周囲一帯に悪影響を及ぼす事もある。
先ほども説明したように、ミスリルは王族か王族に下賜された者が殆どのため、大抵は歴史に名を残す、それこそ英雄や勇者と呼ばれる者が持っているのが殆どで、とてもではないが呪詛を使うような者に下賜されるとは考えにくい。
「そのせいでちっとも血が止まらないんです。力も呪詛のせいか全く出なくて、抜く事も出来ない。血は吸血鬼にとって、心臓よりも大事だというのに。真祖は勿論、上位の吸血鬼ともなれば、心臓が無くなったところで死にはしませんから。剣を抜いた所で出血の量が増して死ぬのが早くなるだけでしょう」
「でもそれじゃあ…」
「いいんですよ。私は十分長生きしましたから。死にたいと思った事も何度もありました。けど今は、…1秒でも長く生きていたい気分です。いいえ…生きていたいです。出会ったばかりでどうしてか不思議なんですけど、私はもっと貴方を知りたい。――もう少し、こうしてナラクといたい」
ナラクの肩にルヴィアが頭を預け、静かに目を閉じる。
ルヴィアにとっては初めての感情であった。他人をもっと知りたいと思うのは。
隣にいる彼ともっと色んなことを話し、もし出来ることなら――心が繋がるまで、美しい血の滴るその逞しい体に深く…触れたいと思ったのは。
「ナラクはどうなんですか?貴方は死に近づいてるこの瞬間に…何を思い――何を願いますか?」
ナラクの体からはルヴィアと同じで血が止まらず流れ出ている。
色んな怪我と疲労が重なり、鬼自慢の回復力が全く機能していない事を自覚していた。
この森に来る前から死を覚悟していたのだ。
覚悟していたからこそ、ナラクはある人物と過ごした1年間の思い出の場所であるここに来た。
何も…誰も救う事の出来なかった自身の弱さと罪を忘れないために――。
ルヴィアの問いかけにナラクは何を思い、そして願うのか。
様々な思いが駆け巡るが、ナラク今この瞬間…初めての感情に突き動かされていた。
「……俺ももっとお前と、ルヴィアといたい。この命が――尽きるまで」
最後の死の瞬間を罪と共に迎えるのではなく、少しでも長く出会ったばかりのルヴィアといる事を望んでいた。
死を覚悟していたのに、生きる事を渇望していた。
その言葉はルヴィアの心を溶けそうなぐらい熱くさせ、歓喜に震えさせる。
ナラクの心も、傷の痛みによる体の熱の事など忘れさせるぐらい熱くなり始める。
二人は命の灯火が消えるまで、最後の記憶を目の前にいる相手で埋め尽くさんばかりに見詰め合い、いつに間にか…彼らの手は重なり合っていた。
暫くそうしていると、ルヴィアとナラクが同時に口を開いた。
「なあルヴィア」
「ねえナラク」
「俺に」
「私に」
「肉を」
「血を」
「食べさせてはくれないか?」
「飲ませてはくれませんか?」
2人の内に秘められた恐ろしい愛が今――カタチになろうとしていた。