第02話 自己紹介と鬼
青年は目を奪われていた。
その女性の美しさだけじゃなく、女性の存在そのものに、纏う空気に、そして……触ると溶けてしまいそうな白くて儚い肌に。
そして、女性の方もかけた声を止め、青年に目を奪われていた。
その存在に、青年の纏う空気に、そして…体から滴り落ちる……赤い血に。
どれ程の間見つめ合っていただろうか。
森がざわめき始める。
彼らの頬を風が優しく撫でる一方で、周囲の樹は激しく揺れ動き、互に葉や枝を擦り合わせ音を鳴らせていた。
見た目とは裏腹にそれらが奏でる音は静かで、虫の鳴き声と重なって心地の良いものだった。
樹や草や花は声なき声で2人を急かせていた。
早く続きを見せてくれと――
中心の大きな樹だけは彼ら2人を見守るように静かに佇んでいた。
青年が先に口を開いた。
「俺はナラク、ナラク・バンデッド」
女性も口を開く。
「私はルヴィア、ルヴィア・レッドカーペット」
生まれて初めての自己紹介のように彼らの声は少し震えていた。
ナラクはルヴィアの前まで歩き出す。
それは目に見えない運命の赤い糸を辿っているかのように。
これまでルヴィアを見た全ての者が、その美しすぎる容姿故に彼女の隣に立つ事の出来る相応しい者は存在しないと思っていた。
むしろそれは許せれざる事であった。
彼女には人も物も自然でさえも許されるのは背景としてのみであり、並大抵なモノは勿論、最高級品でさえ彼女の価値を損なう可能性があった。
近づく事は許されなかった。
しかし、ナラクがルヴィアに近づくと――彼女の美しさが確かにより一層増したのだ。
美の完成形だと思っていた彼女は、今初めて完成したのかもしれない。
ナラクという青年は、世界でただ一人ルヴィア・カーペットの隣に立つ事を許された存在なのだと、世界が認識した瞬間であった。
「傷だらけですね?ナラク」
到底初対面とは思えない恋人と話すかのように、彼女の声には愛しさがあった。
「そっちこそ……ルヴィアこそ傷だらけだな。今にも死にそうだ」
口調こそ少し乱暴だが、彼の声には友人以上の者に対する優しさが垣間見えていた。
互に何の躊躇いもなく、当然のように名前で呼んでいた。
「お互い様ですよナラク。貴方も今に死にそうですよ?」
ルヴィアが少しからかうようにナラクに言葉を返す。
ナラクの体は剣、槍、弓などによるいくつもの切り傷と、様々な魔法で攻撃された傷が未だ塞がらず血が止まらないでいた。おそらく傷と出血量から見ても夜明けまではもたないだろう。
「そのケガの原因は、その角が……関係しているのですか?鬼の証であるその2本の角が」
彼女が指摘した通り、ナラクの額には左右それぞれに15cm程の白い角が生えていた。
鬼(鬼人の略称)。この世界には人間の他に様々な種族が存在している。
鬼族は最も野蛮で凶暴な種族の一つと認識されており、遥か昔に ゛人を食べれば食べる程強くなる゛ ――という俗説があったために、鬼が人を食べる時代があった。
今では食べる事を禁忌とされいるが、未だに鬼を恐れ忌避している人も少なくない。
彼らの特徴として共通しているのが、ダークエルフよりも少し濃い褐色の肌に、性格の激しい気性さを表すような燃えるように赤い髪である。
角の大きさは千差万別で、生える本数は基本的に1本か2本であり、仕舞う事も出来るが興奮すると意思に関係なく突き出てくる。
体が竜人族と並び立つ程頑丈で、回復力が高く、寿命が人間の倍はある。
「……。ああ…そうだ。恐ろしい…」
「格好いいですね!」
ナラクが言い切終わる前に、ルヴィアがしようとした質問の答えを返した。
その答えは予想外のものでナラクを戸惑わせた。
ナラクは聞き間違いかと思い、もう1度問いかけようとするが――
「格好いいですよ…ナラクの角。とても、…とても格好いいです。ですからそんなに怯えないで下さい。貴方にそんな表情をされるのは何となく嫌です。貴方が鬼だというその程度の理由で、私は恐れませんよ」
ルヴィアは目を細めにっこりと笑う。
ナラクは思わず……涙が出そうになった。
他人に自身を肯定されるのは久しぶりだったからだ。
ナラクはルヴィアの左隣に腰かけると、ここ何年も無理矢理言わされ、もはや使い方を忘れていた屈辱の言葉を口にしていた。
「―――ありがとう」
とても小さな声であった。
顔は髪同様に真っ赤に染まっていた。
ふふふとルヴィアは優しく笑う。
「自身を持って下さい。ナラクの角はこんな剣よりも全然格好いいですよ!」
そう言ってルヴィアは、ナラクも気になっていた未だに血が流れる原因の――自身のお腹に深く突き刺さっている剣を指さす。
「いやいやこんな剣って…お前……」
ナラクは少し呆れていた。
何しろその剣は、
「その剣……ミスリルじゃないのか?」
この世界で最も貴重で高価な鉱石であるミスリルで出来ていたからだ。