嘘つきの嘘
月曜日の夜、わたしは去年の夏ぶりに熱を出した。学校から帰宅して、ご飯を食べ、お風呂に入り、テレビを見ていると、なんとなく身体がダルい。 体温計を脇に挟んでみると、三八度を超えていたからびっくりだ。
やっと熱が引いて登校できたのは、三日後の金曜日だった。
久しぶりに教室へ顔を出すと、わたしの姿を見つけるなり「おっはよー!」という掛け声とともに、両腕を広げて飛びかかってきた柚希の全力タックルを受け、重力のまま後ろに倒れそうになったのを寸でのところで持ちこたえた。
熱の次は、危うく脳震盪を起こすところだった。
「もう体調は大丈夫なの?」
ぎゅーっと全力で抱きつかれ、圧迫感から思わず「ぐえっ」と嗚咽を漏らすと、柚希は慌てたようにがっちりと羽交い締めにしていた腕を解き、体を少しだけ離して気遣わしげに訊いてきた。
滅多に体調を崩さないわたしが珍しく三日も休んだから、彼女なりに心配してくれていたのだろうな、と思う。その心配を吹き飛ばすように、わたしはできる限り口角をあげて大きく頷いてみせた。
「うん、完全復活」
「そっか、よかった」
わたしの答えに安心したように柚希の顔が綻び、再度抱擁を求めてきたので軽くそれに応えてあげると、満足したようにゆっくり体を離した。それから、一拍置いて思い出したように「そうだ」と続ける。
「ノート、取ってあるから放課後貸してあげるね」
とてもありがたいお言葉だ。
もうすぐテストもあるし、勉強するのに要点のまとまったノートは必須だ。過去になんどか見せてもらったことがあるけれど、柚希のノートはとても見やすい。程よい種類の色ペンがうまく使い分けられていて、ちょっと癖のある丸文字が女の子らしい。
「助かる、ありがとう」
「あ、けど英語は寝てたから取ってないや」
素直に感謝の言葉を述べると、柚希がへへっと小さく笑っておどけてみせた。柚希が英語の授業中に寝ているのはいつものことだ。何を言ってるのかわからないから眠くなるらしい。わからないのは授業中に寝ているせいなんじゃないのか、と思うけれど余計なお世話だろうから言わない。
「そういえば、なにか変わったことあった?」
投げかけた質問に深い意味はなかった。なんてことのない、ただの会話のネタのつもりだったけれど、なぜか柚希の顔がみるみるうちに曇っていく。
「えっ、なに? どうしたの?」
変なことを言ったつもりは毛頭ない。
だから、どうしてそんな顔を見せるのか全くもってわからなかった。きっと、聞き返したわたしの顔も困惑に満ちていたに違いない。
「あーいやー……そういえばさ、残念なお知らせがあるんだよね」
歯切れの悪い言葉に、嫌な予感がする。
視線を宙に泳がせて、なかなか続きを言おうとしない柚希をせっついて促すと、言いたくなさそうに「あー」だの「そのー」だの散々渋ったあと、やっと重々しく口を開いた。
「華凛が休んだ日に、体育祭の競技と係決めがあったんだ」
その言葉に、わたしは体育祭の日程が迫っていることを思いだした。
「そういや、来週だっけ?」
「そう、それでね、まずは競技なんだけど華凛は五十メートル走になったの」
「あー、そうなんだ」
正直言って運動は苦手だ。当然、走るのも好きではない。だけど、まあ、五十メートルくらいなら何とかなるだろう。むしろ休みであることをいいことに、誰も走りたがらなさそうな長距離走のメンバーなんかにぶち込まれなくて良かったと微かに安堵した。
確かに嬉しいお知らせではなかったけど、それにしたってこれが表情を曇らせる原因とは思えない。まだ他になにかあるはずだと、眉根をしかめながら柚希の表情を探る。その視線から逃れるように、柚希が今度は右に目を泳がせながら続けた。
「それでね、みんな一人ひとつ係を受け持つことになってるんだけど、華凛の係は余りもののクラス旗作りになっちゃったんだよね」
「クラス旗ってなに?」
「なんか、団の応援旗みたいなやつをクラスごとにも作るんだって」
「へえ。面倒臭そう……」
つまりデザインをするわけか。絵心ないんだけどなあ。げんなりするわたしに、柚希がさらに困ったような顔になる。
「え、まさかまだ続きがあるの?」
もどかしさから詰め寄ると柚希が目を閉じ、口をイの形にして小さく唸った。ここまで渋るのをみると、相当言いにくいことらしいなと察したわたしは覚悟を決める。
やがて、柚希は大きなため息をつくと、わたしの反応を伺いながら核心の言葉を告げた。
「そのペアがピノキオ……なんだよね……」
「ええっ?」
素っ頓狂な声をあげるわたしから、柚希がすっと視線を逸らした。
思っていたより大きな声が出ていたのか、教室のあちこちから好奇の目が集中しているのを感じて、気まずさから口を噤む。
ゆっくりと肺まで深く息を吸い込んで、気持ちを落ち着けてから聞き間違いであることを祈ってもう一度聞き返した。
「……旗係のペアが誰って……?」
「…………ピノキオ」
願いも虚しく、無理やり作ったような、不自然な笑みを浮かべながら返ってきた言葉に深いため息をついた。
話したこともない相手とふたりきりで放課後に旗作り、か。大事な決めごとをする日に休んだのは自分なんだから仕方ないとはいえ、気が重い。ちらりと当人のほうを盗み見ると、彼はいつかの日と同じように机に座って本を読んでいた。誰かと仲良く話しているところを見かけたことがない、というのも憂鬱になる原因のひとつだ。気まずい沈黙が流れる予感しかしない。
これから続く苦痛の時間を思い、肺がぺしゃんこになるんじゃないかと思うくらい空気を吐き出した。
***
「クラス旗」というものがどういうものか、いまいちピンとこなくて作業に取り掛かる前、担任に参考として体育倉庫に仕舞ってある過去の作品を見せてもらった。案外、これといったルールはないようでどれも自由にデザインされていた。それこそ、なにかのキャラクターだったり言葉だったりと様々だった。
こういうことが好きな人にとって「自由」なのは喜ばしいことなのだろうけど、そうじゃない人種には縛りがない、というのもこれはこれで頭を悩ませる要因だ。
教室には、だらだらとダベる生徒が多数居残っていたから黒田くんに声をかけて使われていない空き教室へ道具を持って移動した。念のために担任に使用の許可は取ってある。
応援旗よりひとまわり小さい無地の白い布を床に敷き、それを間に挟んで向き合うように正座する。床のひやっとした感触が、足の熱を奪う。わかっていたことだけれど、やはりというか何というか。予想通り、沈黙が続いた。
「あの、作業遅らせちゃってごめんね」
沈黙を破るように、おずおずと話しかけてみる。他のクラスはとっくにデザインを決めて色塗り作業に入っているらしい。作業を遅らせたのは、間違いなくわたしのせいなのでまずは謝罪しておかなくてはいけないと思ったわけだ。
わたしの謝罪に対して黒田くんは「大丈夫」とだけ抑揚のない声で短く返した。再び、沈黙が訪れる。
「えーっと、デザインの案とかあったりする?」
躊躇いがちに訊ねてみると、向かい側に座る彼の吊りあがった鋭い瞳が、ゆっくりとした動きで無地の布からわたしの顔へと移動する。何を考えているのか全く読めない無表情でじっと見つめられると、お前が休んで作業を遅らせたくせに厚かましいんだよ、と責められているような気がして咄嗟に「ごめんなさい」と謝りそうになった。
「あのさ」
不意に、バリトンの声が短く響いた。
「はいっ」
急なアクションに反射的に背筋を伸ばして敬語で答えるわたしを見た黒田くんが、怪訝そうに眉をしかめる。ただでさえ悪人面なのが、余計に凶悪さを増した顔つきになった。
「……デザインのことだけど」
ぶっきらぼうにそう言って、黒田くんがポケットに右手を突っこんだ。その動作に、わたしはぎくりと身を硬くする。
彼のポケットの中からガサッと乾いた音とともに取り出されたのは四つ折りにされた紙だった。一体全体それがなんなのか、全くもって見当もつかない。頭に疑問符を浮かべてそれを見つめるわたしに、黒田くんは黙ったまま紙を開いてみせた。
そこには、鉛筆でいくつかのデザインが描かれていた。
「これ……」
驚いて彼の顔を見上げると、相変わらずの無表情だったけれどピクリと動いた口元が、必死に照れ隠ししているように見えた。
「里中さん、ここ最近やすみだったから。俺なりにいくつかデザインの案をまとめてみたんだ。あんまりこういうの得意じゃないから使えるかはわからないけど、一から考えるよりはいいかなって」
意外だった。彼が饒舌に話し始めたこともそうだけど、真面目に仕事をしようとしたことが、だ。
勝手な偏見だけれど、彼は不誠実な人だと思っていた。鼻が長いことが、それを示していると思っていた。
「ありがとう、……見せてくれる?」
右手を伸ばして紙を受け取る。紙面をじっくり見てみると、何度も何度も書き直した跡が残っていた。夜な夜な、勉強机に向き合ってああでもないこうでもない、と試行錯誤を繰り返す黒田くんの姿が脳内に浮かび上がってくる。
デザインはどれも捨てがたくて、一つに絞ってしまうのが躊躇われるものばかりだった。
結論をいうと、話し合いの末にすべての案から良いとこ取りしたひとつの新しいデザインを作り上げた。
作業開始から一時間半。布に下書きする作業へと移り始めた頃には、日が沈みはじめていた。
目が悪くなるといけないので、作業に取り掛かる前にいったん立ち上がり、痺れた足を無理やり動かして入り口近くの柱に埋め込まれた蛍光灯のスイッチを押す。真っ白な光が眩しくて、思わずぎゅっと目をつぶった。
下書き作業のあいだ、わたしたちはお互いに会話という会話を交わすこともなく、黙々と手を動かし続けた。この短時間で下書きに移れたのは、ほとんど黒田くんのおかげだ。あまり頼りすぎると怒られそうだから、色塗りは少し多めにわたしが担当しようと思う。
ざりざりという鉛筆の芯が布の繊維にひっかかる音と、チッ、チッ、と小刻みに秒針を刻む時計の音が耳に響く。互いの息遣いが聞こえそうなくらい静まり返った空気が、わたしたちを包んでいた。
「……あのさ、黒田くんって本が好きなの?」
視線は布に落としたまま、下書きをする手は休めずに話しかけてみた。唐突な質問に、向かい側の黒田くんが顔をあげた気配がした。反応はしてくれたらしいものの、なかなか返事は返ってこない。
辞めておけばよかった、と数秒前の行動を後悔した。あまり話しかけられるのは好きじゃないみたいだ。
「──好きだよ、本」
会話は諦めて手を動かすことに専念しよう、と自分に言い聞かせたところで、ぽつりと控え目に投げ返された言葉に今度はわたしが顔をあげた。黒田くんのつむじが視界に映る。けっこう癖が強いらしい黒髪は、つむじ付近からパーマがかかっていた。
すぐに視線を布に戻して、再び手を動かしながら話し続ける。
「今日も読んでたよね、なに読んでたの?」
「東野圭吾」
「……へえ」
話を振ったのは自分のくせに、なんてつまらない返しなんだろう。普段、本なんて読まないから東野圭吾がどんな作品を書いているのかもわからない。たぶん、読んだこともないと思う。
当然のように会話のラリーは途切れ、変な沈黙が流れる。気まずい雰囲気。それがしばらく続くかと思いきや、驚くことに今度は躊躇いがちな口調で彼から話を振ってきた。
「里中さんは、趣味とかないの」
「え、趣味? 趣味かあ……」
趣味と言われて真っ先に出てくるものがなにも無くて、しばらく考え込む。無意識のうちに、折り曲げた指先を口に当ててしまうのは考えごとをするときの癖だ。
「んー、カラオケとかは結構好きかなあ。歌とか聞く?」
わたしの質問に、黒田くんは「いや」と首を左右に振った。
「音楽は、あんまり聞かない」
「そうなんだ」
聞いておいてなんだけど、そんな気はしていた。音楽を聴いて歌の世界に身を投じるよりも、小説という名の空想の世界に生きていそうなタイプだ。
その後も、会話が盛り上がることはないものの話し掛ければ律儀に付き合ってくれた。
目つきが悪くてガタイもいいうえに、鼻も長いからどんな悪党かと思っていたけれど、話してみれば案外普通の中学生だった。
遅れを取り戻さないと、という焦りもあって作業に集中しすぎていた。ハッと時計を見ると、時刻は七時半を回っていた。窓の外はすっかり日が沈み、いつの間にやら夜へとバトンタッチしている。
「うわ……暗っ」
「そろそろ帰ろうか」
同じく外を見た黒田くんが、冷静に提案した。道具を片付けて、急ぎ気味に帰り支度を済ませる。
教室を出る前に、お母さんに電話をかけたけれど何度目かのコール音のあと、留守電に繋がった。仕方なく電話を切ると黒田くんと並んで教室を後にし、階段を降りる。
「もしかして、暗いの怖い?」
下駄箱で上靴とローファーを履き替えていると、気遣うような口調で声をかけられた。
「えっ?」
反射的、というのだろうか。予期していなかった事態に喉から気の抜けた声が漏れた。
横に立つ彼を、ぽかんとした顔のまま見上げると、何を考えてるのかよくわからない表情で彼が続ける。
「さっきから、顔つきが硬いから」
「………」
僅かな表情の変化で気付かれたことに、内心驚いていた。
実を言うと、暗いのは苦手だ。特に、通学路の途中に建っているいまにも倒れそうなほどボロい、無人の民家。昼ですら何か出そうな雰囲気を醸し出しているのに、夜あそこの前を通るなんて想像しただけで恐ろしい。さっさと取り壊せばいいのに、未だに残っているのは金銭的な問題だろうか。
遠回りすれば回避できるけど、夜道が怖いんだから、それはそれで苦痛だ。あわよくばお母さんに迎えにきてもらおうと思っていたけれど、まだ仕事から帰っていないのか、折り返しの電話は今のところない。
こんなことで意地を張って鼻が伸びるなんてことはごめんなので、屈辱ながらも素直に頷いてみせた。
「うん、まあ、怖い」
仕方なく認めたわたしに対する黒田くんの反応は「へえ」だった。なんだそれ。聞いてきたわりに、どうでもいいと言いたげな気のない返事。ついつい眉間に刻んだ皴に気付き、慌てて平らに戻す。
ほとんど口も利かないまま、校門に辿り着いた。挨拶のひとつもせずに帰るのも感じが悪い気がして、校門を出たところでひとまず立ち止まり、「じゃあ」と一歩後ろを着いてきていた黒田くんに声をかけた。
「わたし、こっちだから。また明日ね」
「うん、また明日って言いたいところだけど、俺もこっちなんだよね」
左に曲がり、小さく片手を上げるわたしの横を黒田くんが追いこしていった。歩幅の違いを見せつけるかのように、悠々と大股で歩く後ろ姿になんだか腹が立つ。そっちがその気なら、と謎の対抗心を燃やして負けじと早歩きで黒田くんを追い越すと、後ろからくくっ、と笑い声が聞こえた。
振り返ると、黒田くんが歯並びのいい白い歯を露わに肩を震わせている。
「……なに笑ってんの?」
「里中さんって、意外と負けず嫌いなんだなーと思って」
二ヶ月クラスメイトをやってきて、彼の笑顔を見たのは初めてかもしれない。普段、吊りあがっている瞳が三日月みたいな形に変わって悪戯がばれたときのこどもみたいに見えた。
「暗いし、早く帰りたいだけだよ」
本当だ。わたしの言葉に、黒田くんは笑みを湛えたまま「はいはい」とでも言うように二度、相槌を打った。それがなんとなく癪に障ったので、ふいっと顔を逸らせて再びスタスタと歩道を歩く。途中、チラチラと振り返ると三歩ほど後ろの距離感を保ったまま、景色を楽しんでいる様子の黒田くんが着いてきていた。
歩き始めて十五分。帰り道の三分の二を通り過ぎた。黒田くんはまだ後ろを着いてきていた。ここまで方向が同じなのに、今まで一度も帰りが被らなかったのはある意味奇跡かもしれない。
このまま何事もなければ、あと十分くらいで我が家が見えてくる。あと少しだ。はやく家に帰りたい。そう思うのに、気持とは裏腹にわたしの足取りはどんどん重くなっていった。その原因は、数メートル先に見えてきたぼろ屋敷のせいだ。月明かりに照らされた家屋は、不気味に鈍い光を反射し、ガラスの外れた窓枠の奥は吸い込まれそうなほどの漆黒に包まれている。手入れのされていない古い板張りの外壁は風化し、剥がれかけ、今にもなにか出てきそうだ。
帰るためには、ここを通るしかない。けれど、怖いものは怖いのだから仕方ない。なるべく見ないように俯きながら、急ぎ足で通り過ぎる。道路の脇の植え込みの葉を風が勢いよく揺らし、ざあっと葉の擦れあう音にびくりと肩が跳ねた。
「なに、怖いの?」
背後から聞こえてきた声の、距離の近さにびっくりして後ろを振り向いた。
三歩ほど離れていたはずの黒田くんが、いつの間にかほぼ真後ろに立っていた。
「俯きながら歩いてると、ぶつかるよ」
そう言って、黒田くんがわたしの顔の横に手を伸ばす。その手は、すっと顔を通り過ぎて脇の植え込みから道に向かって伸びた一本の枝を押しのけた。あと一歩、下を向いたまま進んでいたら、気付かずぶつかっていたと思う。
「……ありがと」
「どういたしまして」
特に気にしてない感じで、さらりと返事が返ってきた。ここまでなら感謝で終わったのに、彼は一拍おいてお節介なことを付け加えた。
「目を逸らすから、勝手な想像が先走って怖くなるんだよ。ちゃんと見てみなよ、怖がらなくても何もいないよ」
どうやら、古い家屋のことを言っているらしかった。怖いから見ないのに、怖いと思うなら見ろ、なんておかしな話だ。やっぱり彼はどこか人とずれている。余計なお世話だと思ったわたしは、彼の言葉を無視した。黒田くんは何も言わなかった。
相変わらず、お互い無言のまま歩き続け、やがて住宅街が見えてきた。カーテンの隙間からこぼれる光になんだか安心する。コの字型の住宅街の右奥がわたしの家だ。
「うちはそこだけど、黒田くんって家、どこなの?」
住宅街の入口付近で、後ろの黒田くんを振り返り、尋ねると彼は「もう少し先」とさらに真っすぐ奥の道を指差した。
「ふうん……。暗いし、気を付けてね」
「うん、ありがとう。じゃあまた明日」
ばいばい、と手を振ると意外なことに振り返してくれた。少しだけ、先を進む黒田くんの背中を見送ってから我が家へと歩みを進める。
暗くてよく見えなかったけれど、きっと彼の鼻はまた少し伸びたんじゃないだろうか、と思った。
わたしの家は、中学校の校区ギリギリの場所に建っている。つまり、うちより先はまた別の中学の校区なのだ。はっきりした意図はわからない。わからないけれど、彼はみんなが言うような嘘つきではないのかもしれない。そんなことを考えながら、わたしは「ただいま」と家の玄関を開けた。