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ピノキオ



 ──彼らは、わたしたちから「嘘」を奪った。

 嘘は人を傷つけ、陥れ、踏みつけるものだと彼らは言った。そして、こうも言った。

 真実こそが絶対の正義だ、と。


***


 この世に、嘘は存在しない。いや、しないという言い方は少し語弊がある。存在はしている。だけど存在しないも同然だ。なぜなら、嘘をつくとわたしたちの鼻は伸びるからだ。だから嘘が嘘として機能しない。

 それがどういう感じか、というのはピノキオを想像してもらうといい。


 世界から嘘が消えたのは、もう、何十年も昔に政府の研究機関が撒いたあるウイルスが始まりだ。

 この世にはたくさんの犯罪が存在している。暴行、殺人、窃盗──そしていちばん多く、厄介だったのが「知能犯罪」いわゆる詐欺だ。

 なにが厄介かって、知能犯の多くは言葉の通り知能を使う。バレないように綿密な計画を立て、時間を使い、標的を絞り、逃げ道まで用意して犯罪を犯す。だから、なかなか明るみにでない。当時、立証されていた事案よりも、はるかに多くの詐欺が横行していたはずだ。

 だから彼らは考えた。そしてある一つの結論に至った。

 この世から嘘をなくしてしまえばいいのではないか?

 嘘さえなければ知能犯ものさばることはできない。嘘によって苦しめられる人々も減り、冤罪事件も減るのではないか? そう、考えた。嘘つきと正直者が可視化できる平和な世界。それはこの世にかつてないほどの世論を呼んだ。やがて政府の協力のもと、大掛かりな研究機関が設けられた。

 研究が始まり、ウイルスが撒かれたのは研究から十五年が経過した頃だった。そのウイルスは飛沫感染、粘膜感染、空気感染とありとあらゆる経路で感染する上に、遺伝性もある。逃れるにはシェルターでも作って一生、日の目をみぬ生活でもしないと無理だ。つまりは、もう全世界の人々がこのウイルスを保持しているといっても過言ではないだろう。知能犯罪は年々、急激な現象をみせ、今では年間に検挙されるのは数十件のみだ。

 このウイルスがもたらす症状をわたしたちはピノキオ症候群(シンドローム)と呼んでいる。

 ──と、これがわたしたちの歴史の教科書に記してある内容だ。


 澄んだ空気が開け放った窓から流れ込んでくる。その風を肺いっぱいに吸い込んで、身体中に染みわたらせるとなんだか浄化されたような瑞々しい気分になった。


「華凛、何してんの? 次、移動教室だよ」


 窓辺の席でぼうっと外を眺めていると、ふと、横からそんな声が聞こえた。ゆっくりと視線を声にそって這わせると、不思議そうに首を傾げた柚希が立っていた。

 その言葉にやっと、わたしの頭は次の授業が二階の科学室での授業だったことを思い出す。


「あ、そうだったね」

「そうだよ。そろそろ行かないと遅刻するよ」


 柚希に急かされて、机の中から慌ただしく必要なものを取り出した。時計をチラ見すると、授業まであと五分を切っていた。


「忘れ物ない? ほらほら、急いで!」


 柚希に背中をグイグイ押されて追い立てられながら、わたしは視界の隅でひとり座って本を読んでいる男の子の姿を捉えていた。

 黒い癖毛が風になびいて時折ちいさく揺れている。中学生になって二ヶ月。決して親しくはないけれど、必死でクラス名簿を覚えたから名字はわかる。確か……彼は黒田くんだ。彼にまつわる噂を耳にしない日はないような、クラスで噂の人物。こんな時間まで本を読んでいるところをみると、彼もまた移動教室であることを忘れているのかもしれない。


 教えてあげるべきじゃないか、とわたしのちいさな良心が疼いたけれど、関わりたくないという本音があっさりとそれを打ちのめした。見なかったことにして、柚希に急かされながらパタパタと廊下を走る。途中、「こら、廊下は走るなー」と叱咤の声が聞こえたので「ごめんなさーい!」と足を止めることなく謝っておいた。


 彼は噂の人物だと述べたけれど、噂というものが必ずしもいい噂とは限らない。彼の場合はどちらかというと悪い意味で有名だ。その理由は彼の鼻にあった。長いのだ、クラスメイトの誰よりも。中学生にして既に七センチほど伸びている。

 嘘をつくと鼻が伸びる、といっても一度に伸びる長さはほんの数ミリだ。つまり七センチも伸びているということは、彼が相当な嘘つきだということを体現していた。そんな彼が「ピノキオ」と忌み名をつけられて遠巻きにされるのは自業自得というものだろう。

 誰だって嘘つきだとわかっている人物と仲良くしたいなんて思うわけがない。いつか裏切られるのがわかっているのだから。

 触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだ。わたしはそのことわざに倣って今の今まで関わらず、傍観者を決め込んでいた。



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