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異世界釣り暮らし  作者: 三上康明


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50 魔魚とエギとランディーと

 アオリイカ例大祭の最終日は、必ず新月の大潮の日と決められていた。

 その日、魔魚が多くのイカを引き連れて湾内に雪崩れ込むからだ。

 最終日の夜は、みんながそのイカを狙う――という話を、おれは後になってから聞いた。


「釣るぞぉぉぉっ!」


 おれはシーバスロッドを構え――キャストする。

 空気を切り裂くヒュウッという音とともに、ランディーの仕掛けと大体同じところに落ちる。うぅむ……やっぱりシーバスロッドでエギを投げるのは無理があるな。ロッドが固すぎるんだ。

 それでもタイミングはよかった。

 ちょうどイカの群れが通りがかる直前だった。

 ゆらーと水中を潜っていくエギ——さあ、どうだ。スノゥの修理が問題なければイカは食ってくるはずだ。


「!」


 道糸(ライン)のたわみが、ぴんと伸びた。食ったか? ぐん、と竿を立てると、緩めておいたリールのドラグがジイイと鳴る。


「乗った」


 思ったほど重くはないけど、イカだ。


 おれはラインを張ったまま糸を巻く。この、テンションを緩めないことが大事だ。エギの針は「カンナ」と呼ばれるもので、ふつうの釣り針とは違う。このカンナは傘の骨のような形になっていて、二段重ねだ。

 カンナには釣り針にある「返し」がついていないので、引っかけたテンションを緩めるとイカが抜けてしまうのである。


「ん……アオリイカじゃないのか」


 手近なところまで引き寄せ、そいつが水面に現れるとヤツの正体に気がついた。残念ながら魔魚ではない。

 ヤリイカだ。

 槍の穂先のように細長いイカだ。刺身にしても焼いても煮ても干しても美味い。若干サイズは小さいけどな。

 タモは要らない。ぶっこ抜かれ、堤防に上げられたヤリイカがぷしゅーと墨を吐く。

 おおっ、と周囲で釣り人の歓声が上がる。

 とりあえず……絞めるか。

 先端が小さく二叉になっている鉄の棒を、イカの目と目の間に突き刺す。まずは耳のほうへ斜めに差し入れると、ぶつん、という手応えとともにヤリイカの茶色い身体が半分、半透明へと変わる。次に足の方面へ斜めに差し込むと、同じくぶつんという手応えとともに残りの半身が半透明へと変わる。


「よし、次っ」


 投げ込むとすぐにまた次のヤリイカがかかる。

 うおっ、入れ食いかよ。


「いい調子じゃないか、ハヤト!」


 まるで我がことのように楽しそうにランディーが言う。


「調子はいいけどヤリイカばっかりなんだ。魔魚を釣りたい」

「はははっ。お前はほんとうに強欲だな! なら絞めるのは私がやろう。ハヤトは釣るのに集中するといい」

「えっ、いいのか?」


 そうしてくれるとすごくありがたい。今は手数勝負だ。いつまでこの回遊が続くかわからないし——それに釣り人がぼんぼん仕掛けを投げ込むから、群れの形が崩れている。

 釣果は多くないが、それでもヤリイカがぽつりぽつりと釣られている。エサへとヤリイカが寄っているんだ。


「大会中は私のサポートをしてくれたろう? 次は私がお前を支える番だ」


 くぅ、うれしいこと言ってくれる。

 こんな美人に「支えてやる」なんて言われた日にゃたいていの男はぐらっと来ちゃうでしょうよ。しかも釣りに理解があるんですよ? それどころかいっしょに釣りに行ってくれるんだよ? 最高じゃない?


「ありがとう、ランディー」


 ただし、ランディーの仕掛けは回収されず浮いたまま。うん。イカが掛かったらそれはそれで釣ろうってことですね、わかります。さすがランディー。おれとどっこいの釣り好き。


「かかった——ヤリイカ!」

「任せろっ」

「かかった、ヤリイカ!」

「よしっ」

「かかった、またヤリイカ……」

「いいぞっ」

「かかっヤリ」

「雑だな!?」


 いや、だってさ、かけてもかけてもヤリイカなんだもんよ。

 ここまで来たら絶対魔魚を釣りたい。


 おれには、約束があるからな。


 ――イカを釣って欲しい。


 それはフワフラについて教えてくれたクロェイラの「お願い」。

 イカならなんでもいいのかもしれないけど、どうせなら——最高のイカをあげたい。

 最高のイカ、つまり魔魚だ。


「……ん」


 おれは7杯目のヤリイカを上げたところで気がつく。

 魔魚のイカ……ってことは、ヤツは「ヤリイカ」が魔魚化したものではないんじゃ……?


「待てよ」


 思い出せ、おれがかつて一度だけ釣ったことのある「ヤツ」のこと。

 冬の2月、三浦半島のとある漁港から船を出した。気温2度。海水温は20度弱あるんだけど、吹き付ける風がとんでもなく冷たい。海も荒れて波がかかるそばから肌がひりつくように冷たくなって、いやほんともう死ぬかと思ったよぅ……じゃない。そこじゃない。

 船釣りでイカを狙うときには当然エギなんかは使わない。

 水深150メートル以上を狙うからだ。

 ゆっくりふらーっとエギが落ちていくんじゃ、いつまで経っても150メートルに到達しない。

 300グラム以上のでっかい鉛の塊を、どっぼーんと海に放り込む。で、つける仕掛けも「プラ角」と言って、ストローみたいなカラフルなプラスチックにカンナをつけただけのもの。すんごい速度で海中に吸い込まれていくラインを見つめてたっけ……凍死しかけの目で。


「スノゥ、天秤をくれ!」

「え?」


 おれはタックルケースを持っていたスノゥに声をかける。スノゥは不可解な顔をしながらも、キス釣りのときに使った天秤重りを取り出した。

 エギを外しラインに天秤をつける。天秤の先に長めの糸を取り付け、エギはそっちにつける。


「ハヤト? そんなことしたら、エギのバランスがおかしくなる」

「ああ、しゃくれなくなるな」

「?」


 わからないという顔のスノゥだったけど、今は説明しているヒマはない。


「いくぞ」


 重量の増したエギは、むしろおれのシーバスロッド的にはちょうどいい重さになった。エギは軽すぎるんだよな。

 シーバスロッドが空気を切り裂き、エギが夜風に乗って飛んでいく。おお……めっちゃ飛んだ。着水によって起きた飛沫が、遠いところでぽつんと起きる。


 おれの仮説。

 ヤリイカばっかりかかる理由は——エギの沈降速度が遅すぎたのではないか?


 重量で300グラム以上あるような仕掛けにも食ってくる「ヤツ」だ。

 陸から釣るというのはあまり聞いたことがないのだけど、ないことはない。

 たとえば、遠投用のジェット天秤という重り。これの先にエギをつける人もいるんだとか。

 つまり、沈降速度はもっと速くても大丈夫なのだ。


 エギは着水からのフォール時に食うことがいちばん多い。

 この仕掛けは、むしろ、そのタイミングしか狙わない。天秤がついてるからしゃくっても変な動きになるからな。


「さあ、来い……来い、来いっ……」


 イカの群れはいよいよめちゃめちゃになっている。

 光っていた魔魚は、潜っているのか、最初ほどの光が海にはない。

 深いところにいるならなおさらこっちのチャンスだ。


「来い——」


 がつんっ。

 ジイイイイイイイイイイ。


「——乗っ、たっ……!?」


 な、なんだこれ、なんだこのショック。

 これほんとにイカか? イカが噛みついたのか? とんでもない当たりがロッドに伝わってきた。固いものでも殴ったようなショックだ。

 ロッドを立ててラインを張ろうとするが、ジイイイイイイとすさまじい勢いでラインが吐き出される。あわててドラグを多少絞めると、今度は竿先がぐぐぐぐと引き込まれる。


「イカ、じゃない!? いや、エギに食ってくるのなんてイカくらいだ……!」


 サバなんかはバカだからプラ角にも食ってくるけど、エギの場合は別だ。魚が食うには形が悪い。噛んでもすぐに吐き出すはずだ。

 竿先に重さを感じたままというのは、やはりイカが乗っているのだ。


「ハヤト、大丈夫か!?」

「わっかんねー! こんなに重くて、引くイカなんて……聞いたこともない!」


 船釣りで釣ったイカは、ただひたすら重かった。イカ、って重いんだよ。でかくなればなおさら。

 おれが過去に釣ったことがある「ヤツ」。

 あいつはこんなふうに引きはしなかった。


「ぬおおおおおおぅぅぅぅ……」

「ハヤトっ!? 誰か押さえて! 私がタモをやる!」


 ランディーがタモを取りに走る。

 ヤバイ。上体が泳ぐ。引きずり込まれそうだ。

 それでもなお糸が切れる気配がまったくないのはさすがフワフラ糸。それに天秤をつけたのもよかった。天秤自体がしなることで引き込む力を吸収しているんだ。


「お、押さえる、とは、どうしたらいいでしょう?」

「リィン! ごめん、腰の辺りをつかんでくれないか?」

「わ、わかりました……その、失礼します!」


 え?

 り、リィンさん……?


「これでよろしいですか!?」


 背後からぎゅうって……抱きつかれましたよ!? ああ、控えめなリィンの胸の感触が背中に当たる……。


「リィン様、ず、ずるいですぅ!」

「こ、これは頼まれたから! 頼まれたから仕方なくやっているのです! ……は、ハヤトさんって意外と男らしい身体つき……」

「リィンはむっつり」

「スノゥさん!?」


 後ろが騒がしいが、おれはとりあえずイカに集中しないと、マジで海にどぼんしてしまう。

 魚の力で人間が海に落ちるなんてバカバカしいと思われそうだけど、これにはいくつも実例があるんだ。人間は両足で踏ん張ろうとするだろ。でも、釣り竿を持っているのは腕だ。魚がうまくバランスを崩せば人間なんてあっけなく海に落ちる。

 もちろん、強い力を持った魚限定ではあるけど。


「イカごときが舐めんなよ……おれはこれでもシーバスハンターなんだぁぁぁっ!」


 ロッドを引き上げる。

 エギを抱いたイカが水面に浮かび上がってくる。

 白色の光——紛う方なき魔魚の光。


 大歓声が上がる。


「魔魚だ! 魔魚をかけやがったっ!」

「史上初だぞこれぇ!?」

「でかい、でかすぎる!」


 予想はしていた。

 予想はしていたけど——。


「「「「「魔イカだ!!」」」」」


 やっぱりマイカだったかよおおおおおお!

 スルメイカ、通称マイカ。真鯛や真アジと並ぶように「真」の文字がつく、ザ・スタンダード「イカ」である。おれが三浦半島沖で釣った「ヤツ」もスルメイカだ。

 イカそうめんもこれ。スルメにするのもこれ。炊き込みご飯もこれ。刺身でイカが出てきたらたいていこれである。

 だけど、だけどさ。


「デカすぎいいいい!!」


 なんだこいつ、胴だけで60センチくらいあんぞ!

 そんなサイズのスルメがあったらびびってのけぞるぞ!

 イカそうめん何人前作れる!?


「ハヤト、寄せろ! 寄せたらあとは私に任せてくれ!」


 タモを構えたランディーが男前過ぎる。


「頼むぜ相棒!」

「っ!? ああ!!」


 ランディーが一瞬、頬をバラ色に染めたと思うと、タモを一気に突き込んだ。

 おれがロッド操作でなんとかタモへ入るようイカを調整する——。


「「入った!」」


 おれとランディーの声が重なる。


 ワアアアアア————大歓声が上がる中、ランディーとおれは、ふたりがかりでイカ——魔イカを堤防に引き上げたのだった。

美人で釣り好きでタモを持たせても安心感ある釣り友とか最高過ぎて結婚したい。

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