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異世界釣り暮らし  作者: 三上康明


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47 最後の1杯

 アオリイカ例大祭釣り大会の最終日は、騒然としていた。

 ランディーの怒濤の追い上げだ――見たことのない釣法、遠投、サイズも大きく、そして数。

 すでに4杯も釣っているのだ。

 当然、1日の釣果としては今大会最多だ。

 他の釣り人たちは、仕掛けこそ海に放り込んでいるものの、ランディーの一挙手一投足に注目している。

 湾の反対側の釣り人たちにもランディーのことは伝わっていて、ランディーの周辺は一定の距離をおいて人だかりができていた。


 じりじりと日が沈んでいく。あれ以来、まだ釣れていない。白色の太陽が金色に変わっていく。

 焦るよな、ランディー。

 でも焦ったらダメだ。だってここからがちょうど時合い(チャンスタイム)なんだから。


 彼女は落ち着いている。

 キャスト。

 着水。

 フォール……カウント。

 しゃくり上げ。しゃくり上げ。しゃくり上げ。

 フォール……カウント。

 しゃくり上げ。しゃくり上げ。しゃくり上げ。

 フォール……カウント。

 しゃくり上げ。しゃくり上げ。しゃくり上げ。

 繰り返し。


 釣り座を動けないからこそ、何度も投げるしかない。

 この湾は広い。

 アオリイカの数もきっと多い。

 エギ初見のアオリイカならば間違いなく食ってくる。だからあわてず、投げ続けるしかない。


 観客たちも一言も発しない。

 ランディーから立ち上る気迫が、彼らの口を開かせない。

 ササミを投げ込んでいたヤツらは、ササミ攻撃が効かないと思ったら大声で話し始めたが、それすらもランディーの精神にそよとも波風を立てないとわかると撤退した。釣り大会参加者たちが囲んでにらみつけたというのも大きい。

 やっぱ釣り人はいい人たちばっかりだな!

 王国だろうと帝国だろうと「釣れるヤツが偉い」んだとみんなわかってる。


 だけど――事態が動かない。

 イカが釣れない。誰も釣れないでいる。

 太陽が茜色を帯び始めている。

 完全日没時が大会終了時間だ。係員はちらちらと夕陽に視線を送っている。早く終わって欲しいのだろう。

 いつ、ランディーが釣るかわからないから――。


「あっ」


 誰かが声を上げた。そのときにはおれもタモを手にとって立ち上がっていた。堤防の際まで走る。ランディーの竿がしなり、リールのドラグがジイイと鳴る。


「来た、来た、来たぞッ、ハヤト! 16杯目だ!」


 海面に姿を現したアオリイカは、サイズこそ中型だが確かにアオリイカだった。

 おれのタモにアオリイカが入る。

 わぁっ、と釣り人たちが歓声を上げる。

 その――ときだ。


 歓声が上がった。

 ここからは遠い場所――湾の入口で。

 ディルアナの釣り座で。

 ディルアナもまた釣り上げたのだ、アオリイカを。

 それもかなりの大物を。遠目にもはっきりわかる。

 ここに来て大物? どうして——。


「仕掛けを変えていたのか」


 ディルアナがお付きの人たちと揉めていたのは、これだったのか。

 仕掛けを変えたいと彼女は言ったのだ。皇帝が見ているからだ。小さいイカを釣って勝っても胸を張れないから。

 すごいヤツだ。

 釣果が明らかに落ちる、仕掛けのサイズアップ。

 それをこの土壇場、追い上げられている最中に決断した。

 その上で釣った。


「また1杯差ついてしまったか……」


 ぽつりとつぶやいた、ランディー。

 だけどおれはランディーに言わなきゃいけない。


「ランディー……すまない。残念な報せだ。……エギが壊れた」


 アオリイカを引き上げ、エギを外したときだった。

 エギについた針が、取れてしまった。

 不良品だというわけじゃない。

 根掛かりもやったし、あまりに大物をかけ過ぎたせいで、負荷が大きかったんだろう。


「エギングはもう……ダメだな。ランディー、その――」


 おれがなんて声をかけていいか迷っていると、


「ハヤト、まだ時間は残っている」


 迷いなく言い放つ。彼女は予備で持ってきていたエサ釣りの仕掛けを準備した。

 ランディーはまだ釣る気だ。ランディーはあきらめない。

 そうだ。

 エギだけが釣りじゃない。

 もともとあったこの世界のエサ釣りがある。ディルアナはそれでずっと戦っていたし、ランディーだって昨日までそうだったじゃないか。

 手際よく、フワフラ糸にウキを取り付けていく。

 太陽が水平線に触れる。

 急げ、ランディー、急げ。


「がんばれ……!」


 おれは声を漏らしていた。


「がんばれ、ランディー!」


 するとおれの声に引き出されるように、


「そうだぞ、がんばれ!」

「嬢ちゃんまだ時間はあるぞ!」

「行ける行ける!」


 釣り人たちの声援に彼女は照れたように苦笑する。

 ササミを巻きつける。

 立ち上がる。

 ふりかぶった彼女がキャストした仕掛けは、放物線を描いて、茜色きらめく海面へと着水した――。




 おれの手の中には針の抜けてしまったエギ。コーティングしている布地が剥がれて、中のプラスチックが見えている。

 スノゥが物欲しそうな目をしていたのでエギを渡した。


「ランディー様……ランディー様が勝てますように……」


 カルアがうつむいて、両手を握りしめる。

 神に祈っている。

 この世界の神がどんなものなのかはわからないけど、おれも神に祈りたい気分だった。


「大丈夫……きっと勝てます……ここまで来たのですから……」


 リィンが小さくつぶやく。

 おれもリィンと同じように――リィンだけじゃない、他の釣り人みんなと同じように、誰よりも離れたところにぽつりと浮かぶウキを見つめる。

 太陽が沈んでいく。青色だった湾が、藍色に染まっていく。

 もう、いつ銅鑼が響いてもおかしくない。

 ダメ、か……?


「!」


 ぴくん。

 ウキが、小さく動いた。


 次の瞬間。


「あっ――」


 沈み込んだ。

 鋭く、深く、海の底へと。


 ランディーはあわてなかった。

 すぐさま竿を立てるとリールを巻く。


「来たっ!」

「すげえぞ、1位に並んだ!」

「ここで釣るのかよ!?」


 群衆がどよめく。

 おれは係員を見る。最後の最後で妨害が来てはたまらないからだ。

 だけど向こうは妨害をする気はないようだ。ただ、手を挙げた。遠くへなにかを連絡するように。


「あ……」


 銅鑼だ。銅鑼を鳴らさせようとしている。銅鑼さえ鳴れば大会終了だ。


「ランディー急げ!」


 おれは必要かどうかはわからないタモを持って走った。

 そのとき気がつく。

 ランディーの表情が――苦しそうなのだ。


「ランディー……?」

「ま、マズイ、マズイぞハヤト……」


 ランディーは言った。


「今まででいちばん大きいぞ!!」


 それも――満面の笑顔で。


 こんの……。

 こんのバカ野郎!

 今、そんな顔するヤツがあるかよ!?

 うれしそうだなぁチクショウ。

 この瞬間だけは勝ちも負けも帝国も貴族も、全部すっぽ抜けて、ランディーはただひとり、大物とのやりとりに心を奪われたのだ。


「タモは任せろ!」

「ああ、頼む!」


 ゆらり――暗くなり始めた海面に浮かび上がったアオリイカの姿。

 それは、


「なんじゃありゃあ!?」

「でっか! でっかいぞこれぇ!」

「あんなん見たことねえ!」


 釣り人たちが大騒ぎするほどの大きさ。

 絶対3キロは超えている。胴だけで枕くらいのサイズがあるぞ。お化けアオリイカだ。

 しかしこれだけ重いと、なかなか寄らない。寄せたと思うとドラグが鳴ってフワフラ糸をどんどん吐き出していく。

 マズイ。

 時間がない。

 遠くでは、銅鑼の前に叩き手が上がっていくのが見える。


「ランディー! 時間がない!」

「わかっている!」

「強引に寄せろ!」

「くっ――」


 ランディーとて釣りの経験は長い。だからといって筋力がおれほどあるわけじゃない。これほどのサイズが相手となれば純粋な「力」も必要となってくる。

 彼女の手が震えている。竿先は「つ」の字を描いて海面に引きずり込まれそうだ。

 来い。

 来い。

 来い来い来い来いっ!!


「あああああああああああああ!!」


 銅鑼の叩き手が腕を振り上げる。

 おれがタモを海面に突っ込んで、アオリイカを抜き上げる。


 ジャァァアアン、ジャァァアアン――。


 銅鑼の音が鳴り響く。

 そのときアオリイカは、海面と堤防の中間にいた。

 すぐさまおれは渾身の力でもってイカを引き上げる。


「どっちだ」


 おれは係員をにらみつける。

 この1杯は、「釣った」のか「間に合わなかった」のか。

 釣り人たちも同じだ。

 ランディーだけはすべてをやりきった表情で、荒く息を吐いていた。土壇場で現れたモンスター級のアオリイカに、見とれていた。


「そ、それは……」


 係員は周囲の剣呑な空気に飲まれてしまう。

 この1杯は、アリなのか、ナシなのか。

 これほどのサイズが上がったせいで、大会が終了したというのに釣り人たちがどんどんこちらに集まってくる。


「ハヤト、私は……釣ったのか? 釣ったのだな? この巨大なイカを……」

「そうだ。お前の手で釣ったんだよ。お前の力で」

「……私だけの力じゃない。ハヤトやみんなが造ってくれたフワフラ糸のおかげだ。これがなければ釣ることはできなかった、絶対に――」

「ランディー!?」


 ぐらりと身体揺れたランディー。

 おれは彼女に手を伸ばし、その身体を支える。

 ランディーはおれにもたれかかるようにして、ぐったりとしている。息だけが荒い。もう体力の限界なのだ。いや、違う。限界を超えて力を絞り出したんだ。


「ランディー……って、なにこのサイズ!? ほんとにアオリイカなの!?」


 そこへ現れたのはディルアナだった。

 彼女がさっき釣ったサイズも大きかったが、ランディーのこのサイズには負けるだろう。


「そう……ランディーと私は同数1位ってワケね」

「それはまだわからない」

「えっ?」


 きょとんとするディルアナの後ろで、彼女の付き人と係員がなにかを話している。

 マズイ雰囲気だった。

 係員は何度かうなずくと、声を上げる。


「ランディー選手の最後の1杯は、銅鑼が鳴った後に釣ったものと判断し、無効とします」


 クソ……やっぱりそう来たか。

 どのタイミングで「釣れた」とするかは難しいところなのだ。

 日本の釣り大会では、ルアーにタッチした時点、あるいはネットに入れた時点で「釣った」と判断する。ただそれは日本の大会だし、標準化されたルールというワケじゃない。

 こっちの世界のノアイラン帝国では、どうルール化されているのかわからない。明文化されていない可能性もある。


 だけどこの判定に異を唱えたのは釣り人たちだ。


「おいおいおい、おかしいだろ! タモに入ってりゃぁ釣れたとカウントできるだろうが!」

「そうだ! 当たりがあっただけってワケじゃねえんだぞ!」

「こんなにでっかいアオリイカをカウントしないとか、バカじゃねえのか!?」


 ブーイングが湧き起こる。

 それは思いもかけないほど大きな声に変わり、波紋のように広がっていく。

 係員が青ざめた顔で後じさる。


「聞いてるか、ランディー。お前のためにみんな怒ってくれてるぞ。王国だろうが帝国だろうが関係ないんだよ、釣り人にとっては」

「……ああ、聞こえてる……うれしいよな」


 ディルアナもまた厳しい顔をしていた。

 泡を食った係員がディルアナの付き人に視線を送るけれど、付き人は首を横に振る。ブーイングの声はさらに大きくなっていく――。


「なんの騒ぎだ!!」

「控えろ!!」


 鋭い声が飛んでくる。

 群衆となっていた釣り人たちが横にどいて、そこには一筋の道ができた。

 騎士たちが先頭を切って歩いてくる。キンキラの、かなり手の込んだ彫り物が入った鎧を着込んだ騎士だ。

 その後ろには――、


「まあ、大きなイカですね。最終日にふさわしい釣果ではありませんか」


 緋色のマントをまとったヤツが現れた。

 ……あれ?


「釣ったのは——あなたなのね。ランディー」


 この人ってもしかして皇帝?

 でもって……女なの?

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