2 大賢者は言った、「釣ったヤツが偉い」と
「ここがどこか、だと? 決まってる――」
「まあ、待って」
不審げな顔をしている男を押しとどめて、ランディー「様」がおれをしげしげと見つめた。
「……お前はこの村の人間じゃないな?」
「村? あ、えーっと……おれはえーと、確か、三崎に釣りに行って……えーっと、どうしたんだったかな……」
「ここはフゥム村だ」
フゥムムラ? 風無村? なんか言いにくくない?
そんなことより知らない名前の村だ。
おれの記憶がちょっとごちゃごちゃしてるけど、フゥム村なんて名前を聞いたことがないのは間違いない。
「お前が持っているのは……あまり見ない形だが、釣り竿か?」
「あ、ああ」
「では釣り大会に参加しろ」
「はい?」
「みんな! 今は年に一度の大会の真っ最中だぞ! トラブルがあったからと制限時間を延ばしたりもしない、専念せよ!」
そうだった、とばかりに釣り人が散っていく。
見ると、ネンブツダイやらクサフグといった小物を釣り上げては喜んでいる。おいおい。「殺生」という言葉が脳裏にちらつかなかったら地面に叩きつけるべきエサ取りフィッシュどもだろ。つまりは放魚対象だ。
「確かにお前の言うとおり、これはアイゴだ。だが……これほどのサイズだぞ」
「あ、えっと、うん、すんません。20センチあると結構大変だよね」
「……お前、自分ならそんな魚を釣っても喜ばないとでも言いたげな顔だな」
見抜かれてる。実際喜ばない。むしろガッカリする。
「では釣ってみせろ。かの大賢者が言った、『釣ったヤツが偉い』。その決まりは当然この村でも通用する」
「あ、っと、でも……」
「なんだ、怖じ気づいたか?」
「いや、そうじゃなくて……もっとデカイの釣っても、おれ、アイゴだったらリリースするけど……」
「なんだと?」
「え? もしかしてアイゴを釣る大会なのか?」
「違う。サイズを競う大会だ」
ほっとした。アイゴを釣る大会とかどんだけニッチな趣味嗜好の大会かと思ってしまった。
「アイゴでなければ簡単に釣れるとでも言いたげだな」
「それは海に聞いてみないとわからない――」
言いかけて、おれは海に視線を送った。
……絶句したよ。
なんで、おれはこっちに気づかなかったんだろう。
相模湾でも城ヶ島までいけばかなり透明度が高い海になるんだけど――それとは比べものにならない。
美しい。
透明度はもとより、魚影が……すごい。
海面をうねるように泳ぐカタクチイワシ。
海の底を泳ぐのは黒鯛だ。
アジにメバルにカサゴ。
おれの知っている魚がこれでもかとばかりに泳いでいる。
ここって海上釣り堀?
そんなことを一瞬思ってしまうほど。
「お前、面白い男だな。『ここなら釣れる』と目が言っているぞ。態度だけじゃないところを見せてみろ」
「……ああ」
おれは――彼女から距離を取った。
真横で釣り糸を垂れるようなマナー違反はさすがにしない。
人がいない場所を探す。
長い長い桟橋のいちばん奥――なんでいちばんいい場所に誰もいないんだ?
まあ、いい。
行こう。
釣りだ!
「行っけぇー!」
目の前は海。左右から陸地がせり出していて、ここは自然の湾になっている。
ぶん投げたルアーがぐんぐん飛んでいく。
潮の流れは? 水深は? 知らない湾。知らない村。――おれの中で「あ、これ夢だわ」という思いが湧いてきているんだけども、それにはフタをした。夢なら夢でいい。目が覚めてまた釣りゲームのパラメーターをいじくる作業になるかもしれないけど、今だけすべてを忘れられるのなら。
この豊穣の海に。
すべてを忘れて挑みたいじゃないか。
100メートルほどを飛んだところで、投げたルアー、メタルジグ40グラムが着水する。
カタクチイワシを模したルアーで、色はブルー。
おれの目には偏光グラスを装着している。海面の照り返しを軽減して海の中が見えやすくなる優れものだ。
海面に魚影がちらりと見えたあたりに落とした。
定番どおりに一度海底まで落とそうかと思ったが、海面まで魚が上がってきているなら落とすこともない。
リールを巻く。
ダダ巻きというヤツである。
「お……」
こつんっ、という手応え。
だけど手は緩めない。一定のペースで巻き続ける。
「っきたぁーっ!」
ぐいっ、引き込まれた瞬間、こちらもロッドを軽く引く。
針を、魚の口に食い込ませるフッキングだ。
ぐん、ぐんっ、と引いてくる。いい引き! そうそう、これ、これだよ! 釣りってこれだよ!
なんだ、なんだ、なにがかかったかな~?
「お、おお……」
5メートルほど手前まで引いたところでそれがなにか、わかった。
ワカシだ。
出世魚ってやつで、サイズが大きくなるにつれて名前が変わる。
これは25センチくらいだろうか? 40センチくらいからイナダ。60センチくらいからワラサ。80センチを超えるとブリだ。
こいつら肉食なんだよな。がっついてやがる。
でもな、おれのロッドはシーバスロッド。80センチを超えるシーバスを引っかけてもなんともないぜというスペックなのだ。
軽々と桟橋へとぶっこ抜く。
「うーん……リリースするかな。味はいいけど、さすがにイナダくらいからじゃないとな」
おれがすぐに海へ戻してやると、ざわざわした声が聞こえた。
遠巻きに、おれを見ている男が3人ほど。
なんだよ。文句あんのか。確かにまあ、釣り上げた時点で魚への虐待ではあるけど、リリースされた魚はちゃんと海で生きていけるんだぞ。
「次だな。……時期的に今は初夏だろ。サイズアップで考えると……」
サバなら40センチくらい行くだろうな。
あるいは、これだけ魚影が濃ければ真鯛や黒鯛もいいか? メジナもあり。でもその辺はおれあんまり得意じゃないんだよな……ルアーよりも餌釣りのほうが釣れる魚種だし。
「よし、サバあたりやってみるか」
おれはルアーのサイズを下げた。28グラムのメタルジグである。40グラムと比べるとかなり小さいが、大きめのサバを狙うならちょうどいい。
そう言えばシーバスはいるのかな? シーバスは和名で言うところのスズキな。スズキも実は出世魚で、セイゴ、フッコ、スズキと名前を変える。まあ、釣りを楽しむだけなら面倒なのでまとめて「シーバス」にしちゃってるところがある。
「来いっ……来い来い来い」
28グラムのメタルジグ。今度はぶん投げずに、近場に投げ込む。
カタクチイワシを追っているサバがいた。マサバかゴマサバか、どっちだろうか。
ぐんっ、一気に食ってきた。
「っしゃあ!」
巻き上げる。力任せに巻いても問題ないくらい装備である。
ぶっこ抜いたそれは――。
「あれ? アジ?」
マアジだ。しかもでかい。25センチ以上……28センチか29センチか? 30センチ一歩手前のサイズを「泣き尺」とかいうんだよな。……泣いてないよ?
「マアジは……キープ!」
だって美味いもん。
刺身も美味い、塩焼きも美味い、フライも美味い、なめろうも美味い。「味がいいからアジ」だなんて言葉もあるもんな。
どんどん行こう!
「また来た!」
さっきよりは軽い引き。
アジは群れで行動するからな、一匹釣れると同じところに投げてじゃんじゃん釣れる。
でも力任せに釣るのはもうしない。アジは口が弱いのだ。一定の速度でリールを巻かないと、口が切れて魚が逃げてしまう。
おれは立て続けに5匹釣った。
5匹目がようやく31センチ。
「尺アジだっ!」
おれがひとりで喜んでいると、おおおおっ、と歓声が上がる。
いつの間にかこっちを観察しているギャラリーが増えていた。
『ななんとぉぉぉっ! ランディー様に認められた飛び入りが、いきなり爆釣連発!? しかもかなりのサイズのワカシをリリースしたとか! これはフゥム村、なめられちゃってますかぁ〜!?』
アナウンスが聞こえてくる。言ってる相手は明らかにおれ。いやいやいや! 別になめてないでしょ!? リリースは悪いことじゃないって!
「なんだあの釣り竿は!?」
「すごい男が出てきたもんだ」
「投げ込んでいるのは小魚か?」
まるでルアーを知らないような発言があったけど……ルアー禁止とか? だからみんな延べ竿だとか? ま、いいや。まずかったらなんか言われるだろ。
「……ん?」
そのときだ。
おれは――アジの群れの中に、ひときわでかいヤツを見つけたんだ。
そのアジは……紫色の光を放っていた。