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異世界釣り暮らし  作者: 三上康明


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釣り大会3日目・大賢者様

 玉網の中にあるシーバスは、優に70センチを超えていて、下手をすると80センチオーバーはあるんじゃないかと思えた。

 その魚体は美しい銀色で、日没後すぐだというのにきらきらしていた。

 すげえ、きれいだ……。

 こんなに大きな成体なのに、傷がほとんどない、奇跡みたいな魚体だ。


「よかったな……ハヤト——」

「ランディー!」


 玉網を持っていたランディーはもう体力の限界という感じで、こちらに倒れ込みそうになるのをおれはとっさに支えた。


「……すぅ」


 立ったまま寝てやがる!

 器用だな、って思うよりも前に、ランディーがおれのためにここまでがんばってくれたことに感動していた。彼女のかぶっていた帽子が足下に落ちてしまった。

 おれはそのときになってようやく、周囲を見回す余裕ができた。


 ……あー、なんだこれ?


 釣り人と釣り人が取っ組み合いのケンカをしている。

 そこへ警備兵が突入してきて三つ巴の戦いだ。

 さらにはディルアナが長髪の男を地面に組み敷いて、首元に刃物を当ててる。


 ちょっ、流血沙汰は止めような!?


「なに、なになに、なんなんだよ……確かさっき釣ってる途中で、おれの邪魔しようとしてたヤツがいて——えーっと」


『皆さん落ち着いて! 落ち着いてくださーい! 釣り大会の競技時間は終了ですよ! 荷物を片づけてくださーい! ケンカしてる場合じゃないですー!』


 実況の人の声が聞こえてくる。

 だけど観客席はざわざわしてるし、関係者席は——あっ、リィンが身を乗り出してこっちを見てる。その横にはカルアもスノゥもいる。

 おーい。とったどー。

 おれは彼女たちに見えるように手を大きく振った。

 ……ん? なんかリィンの動きが止まったような。なんだ?


「静まれ! 静まらんか!」


 そこへやってきたのは、明らかに高そうな鎧を身に纏った騎士っぽい人たちだ。釣り人といっしょになってケンカ状態になっている警備兵たちは、ハッとして事態を収める方向へと動き出す。

 で、おれはなんでそんな偉い騎士様たちが来たのか、理解した。


「おお、ウシオ! それがそなたの釣ったスズキか! 大きいのう」

「ほんとう。ゴマサバも大きいものがありましたけれど、ウシオのスズキにはかないませんね」


 聞いたことのある男と女の声。

 え、えええ! なんでビグサークの王様と、ノアイランの女皇帝のふたりがここに!?

 もしかしなくても、その後ろにいるきんきらきんの服着た人たちって各国の偉い人だよね!? あ、人陰からキャロル王女も手を振ってる。


「あ、あのー、国王様に皇帝様? なにしてるんです?」


 もはや釣り人より騎士のほうが多いんじゃないかっていうくらいのボディーガードを引き連れてやってきた彼ら。広めの堤防が、あっという間に満杯になる。


「ウシオ」


 真顔でビグサーク王がこちらを見た。

 なに、なになに?

 3日目終了のなんか、行事みたいなのがあるの?

 おれは居住まいを正す——や、ランディーを支えたままだけど。


「お主なら……このスズキ、どのように食す?」


 違った! やっぱこの人食い気優先だわ!


「あ、えーっと……刺身はちょっと淡泊なので、オリーブオイルと岩塩、それに胡をちょっとまぶしたカルパッチョがいいかなぁ。サッパリしてていくらでも食べられる——じゃなくて!」

「火を通したもののほうが余は好きよ。どんなお料理があるかしら?」

「あー。スズキはやっぱりムニエルですよね。小麦をまぶして、バターで焼くっていう超簡単ながら外側のぱりぱりと内側のジューシーさがたまらない一品——じゃなくてぇ!」


 この食欲魔人どもめ!


「あ、あの、なんでここに?」

「この場を収めるため——と言いたいところだがのう。実はな」


「それはなぁ、俺がお前に会いたかったからだよ。牛尾くん(・・・・)


 なんだかゴージャスだな、って思った。

 すんげー美人を引き連れてるんだもんよ。金髪に長耳……エルフ!? それにネコミミお姉さんに、泣きぼくろの巨乳お姉さんとか、5人くらいの美人連れなんだ。

 んでハッキリわかるのは、彼女たちはみんな、その人にベタ惚れだってこと。

 よくわかるハーレム。見事なまでの「成功者」。


 でも、おれの目はその人のある一点に釘付けだった。

 黒い髪——この世界ではまず見なかった、黒髪だ。

 目元はサングラス、たぶん偏光グラスなのでわからないけど、おれはこの人の目も黒いんじゃないかって気がした。

 着てる服こそこっちふうだけど、なんか、見たことがあるような気がしたんだ。


 そう、日本で。


「あなたは、日本人……!?」

「おお。やっぱしお前もか。しかも見たところ釣りをしてるときにこっちの世界に来たのか? すんげーちゃんとしたタックルじゃねーか」

「あ、はい。というか、あなたは——」

「ハイハイ、説明しなきゃねぇ、ハヤトきゅん」


 にゅるんと滑り込むようにやってきたのはこの国のトップ、公爵閣下だ。ていうかこの人ほんとにフットワーク軽いな。あと「きゅん」付けは止めて。


「こちら、釣り界の頂点、大賢者様よぉ」


 紹介軽っ!


「おう」


 受けたほうも軽っ!


「ほおー、このリールはDA○WA製か。見たことねぇ名前だな。おいおいぃ、なんだこのラインは? こりゃあこっちの世界のもんか? 編み込みもきれいなもんだ」


 ってすでにおれへの興味よりタックルへの興味が勝ってらっしゃる!


「おお! やっぱりと思ったがこいつはシーバスロッドだな。うーん、やっぱりシーバスロッドは最高だな! 男が魚を釣るのなら、シーバスロッドがあればいい」


 あ——。

 おれは、そのとき、天啓に近いものが脳裏をよぎったのを感じた。


「シーバスロッドできっちりシーバスを仕留める。しかもこのサイズってのはなかなかできることじゃあねえ。お前、腕もやるじゃねぇか——って、どうした?」

「あ、あ、あ、あなたは……」


 偏光グラスで目元はわからない。

 だけど、シーバスロッドを持つその姿に、おれは強烈な既視感があったんだ。


「チェリー藤岡……!?」


 おれが釣りを始めた原点にして、おれがシーバスロッドだけを持って釣りをしている原因たる人物。

 確か、あの人は10年くらい前から全然見なくなった。

 おれはそれを「この人不器用っぽいしなぁ、シーバスロッドしか使わないから仕事干されちゃったのかなぁ、残念だなぁ」とか勝手に思っていたのだ。

 だけど、もしも。

 見なくなったのではなく「世界からいなくなっていた」のなら——。


「くっくく……あっはっはっは!」


 すると彼は、こらえきれないというふうに大きく笑った。


「懐かしい名前だ! ——だがな、牛尾くん。おれはチェリー藤岡じゃねえ」

「え」


 すると彼は、近くにいた美人を引き寄せて、肩を抱いた。


童貞(チェリー)は卒業したんだ。今はただの藤岡だよ」


 そうして偏光グラスを取った目元は、どこか少年のような夢見がちな部分を残した、おれの記憶にあるチェリー藤岡の目、そのものだった。


「あ、ああ……」


 おれは思わず、言葉に詰まってしまった。

 この人のことをずっと追いかけていた。

 いなくなってしまっても、この人の釣りをずっと追いかけていた。

 シーバスロッド一本では絶対無理だと思われる釣りにも何度も挑戦した。

 釣り友なんていないから、たったひとり、試行錯誤して。

 だいぶ昔だからチェリー藤岡の釣りについて書かれた本や映像で残っているものは少なくて。

 それでも、「この人に憧れて釣りを始めたんだから」と、ずっと追いかけていた。


 その、チェリー藤岡——いや、今は藤岡さんが、褒めてくれた。

 シーバスロッドできちんとシーバスを釣り上げたことを。

 おれの釣り上げた魚のサイズを。


「ああ……」


 おれの視界が滲む。鼻水も出そうになって鼻が鳴る。ああ、くそう。あんまりうれしくて泣けてきちゃったじゃないか……!


「牛尾くんよ。この後、時間あるんだろう? 聞かせてくれよ——俺がいなくなった後の日本のことを。それに、君がどんな釣りをしてきたのかをさ」


 茶目っ気たっぷりにウインクして見せるその姿も、おれの記憶にある姿とまったくいっしょだった。

 ただちょっと年を食っただけだ。


「はい! もちろんです——」


 と、言いかけたときだった。


『さて、騒ぎは終息したみたいですね? それでは釣り人の皆さん、今度こそほんとのほんとに、荷物をまとめて釣り場を出て行ってくださいねー。釣り場を汚さない、それが釣り人の義務ですからねー……って、きゃっ!? ちょ、ちょっと!?』


 拡声器によって大きくなっている実況の声に困惑が混じる。


『つまらねぇ茶番はこれで終わりだ』


 トラブルは突然やってくる。


『大人しく釣りで済めば命を落とすこともなかっただろうが、抵抗したのはお前らだ。——今から我がアガー君主国の精鋭がこの会場を押さえる。抵抗すれば殺す。武器を持たぬ市民は邪魔しなければ生かしてやる。——俺様が必要としているのは、各国首脳の身柄と、大賢者の命だ』


 それはアガー君主国、君主代理による唐突な攻撃宣言だった。

 湾の入口で——つまりおれたちの逃げ道の先で、ボウッと巨大な火炎の壁が現れた。おれたちは湾内に封じ込まれてしまったんだ。

来週、船釣り行ってきます。オニカサゴ狙いの中深場で。

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