見はらしが丘
私をこの部屋に連れてきた人間たちは、まるで宝もののように大事にしてくれた。
毎朝、毎晩、金魚ばちの前で、ほっぺたをガラスのおもてにくっつけるようにして、私の姿をながめていたものだ。
けれども、季節がいくつか過ぎると、いつの間にか、金魚ばちの水は、うっすらと濁ったままの日が多くなってしまった。
エサをさがして飛び続けなくてもよくなったかわりに、なんとなく、体が重たくなってきた。
(なんだろう?)
黄色い、花びらのようなものが、カーテンのかげからひらひらと舞いおりてきた。
まるで、私のことをからかっているみたいに、あんなに自由に、軽やかに、いつまでも踊りつづけている。
(なんてことだ)
ぼんやりと曇ったガラスごしに見える、四角い、小さな空。そして、この、輝きをなくした、もっと小さなまるい水の中だけが、私の全世界なのだ。
今度生まれかわったら、舞いおちる花びらのように軽やかに、ほとばしる水のように自由に、世界中を駆けめぐるんだ。
‥‥そう。きっと、きっと。
草のにおいで目がさめた。
なんだか、体が軽くなったような気がする。
(おや? 私の体が見あたらないぞ)
その時、急に強い風がふいた。ものすごい力におされて、自分がまるごとふき飛ばされてしまったような気がした。
『ほわり』
私は、今度、羽よりも軽い、たんぽぼのわた毛になってしまったのだ。
花びらのように軽やかに、風にのって漂うことができる。バレリーナのように、くるくると一日じゅう踊ってもいられる。
けれども、私は、自分で舞いあがることができない。自分の行きたいところへ飛んでいくこともできない。
すべては風まかせだ。風のたびだ。
そよ風のふく日は、気持ちがいい。ふんわりとやさしく、花いっぱいの野はらに運んでくれる。ちょうちょたちといっしょに、ワルツを踊ることもできる。
風こぞうのごきげんが悪い日は、たいへんだ。ピュウピュウと砂まじりの荒っぽい風に飛ばされて、あっちへぶつかり、こっちへぶつかり‥‥。
今では、たくさんいた仲間たちも、ほんのわずかに減ってしまった。
たびのとちゅうで、水たまりに落ちたり、いつのまにか姿が見えなくなってしまったり‥‥。
私だって、たんぽぼの種を無事に運ぶことができるかどうか、わからない。
(いや、待てよ)
種を約束の土地へ運んだら、私の一生も、それでおしまいだ。
なんてはかない人生だろう。
風のまにまに飛ばされるだけの、あっという間の命なんて、ごめんだ!
どんな風にもびくともせずに、どっしりとなん百年も生き続ける--そうだ! あの、見はらしが丘のかしの木がいい。どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
神さま、かんたんなお願いでしょう?
もう一度、私をかしの木にしてください。
もう、どれくらいたったのだろう。
千年もの間、ここにすわり続けているような気がする。夕日の美しい、砂ばくのまん中に。
私は、岩になった。
地球のへそぐらいもありそうな、まっ黒い、大きな岩だ。
どんな嵐がきても、びくともしない。かいじゅうにかじられても、多分だいじょうぶだ。
そして、何もしないで、この場所で、太陽や月のみちすじを眺めていればいいのだ。気らくなものだ。
けれど、少々あきてきた。
どうして、私は、こんなところにすわっていなければならないのだろう。もとのかしの木がよかったのに。
どっしりといったって、これじゃちょっと重すぎる。
それに、砂ばくぐらしは体にこたえる。
昼間は、火のように熱い太陽にやかれ、夜のやみの中で、しんしんとこごえる寒さを防いでくれるものはない。
昔はゴツゴツとがっていせいのよかった私の体も、きびしい気候にさらされ続けて、すっかりまるくなってしまった。
あまりの暑さと寒さのせいで、体じゅう、ひびだらけだ
その上、私じしんの重さのせいで、私の体は、少しずつ砂の中に沈みはじめてしまった。
こおりつくように寒い夜、私は、ちっともねむれなかった。
神さまは、私に、こうしていったい何を考えろとおっしゃるのだろう。
(ちょっと、よくばりすぎたかなぁ)
(あんまり、ためいきつきすぎたかなぁ)
ようやく朝の光がさして、少しずつ寒さが遠ざかっていくころ、一羽のちょうちょが飛んできた。
「朝つゆは、とってもおいしいわ」
黄色いちょうちょは、いかにも楽しげに、そしていっしょうけんめい羽ばたいていた。
そのかたわらで、私は、音もなく沈んでいく。熱い砂の下にうもれて、もう、星を見ることもできなくなる。
(今度生まれてくるときは--)
いや。もう、よそう。
何度、同じことをくりかえしただろう。
何のために生まれてきたのだろう。
朝の光はまぶしすぎる。
ゆっくりと、けれども確実に沈んでゆく自分の体をぐるりと見わたしてから、私はそっと目をとじた。
深いためいきとともに、なみだがひとすじこぼれた。
「まぁ、なんてきれい!」
はずむようなちょうちょの声に、ゆっくり目をあけてみると、なみだが流れおちたあとに、ひとつぶの小石があった。
きらきらと、青くすきとおっていた。なみだのしずくの形をしていた。
(これまでに何度も何度もこぼしてきた、ためいきのしずくかなぁ)
(私にも、こんなに美しいものを作ることができたのか)
こころが、少し、やわらかくなった。
(今度生まれてくるときは--。おや、おや)
それでも、夢をみるぐらいはいいだろう。
もう一度生まれかわれるものならば、できれば、人間がいいな。そうだ。見はらしが丘の、あのいたずらっ子のような、小さな男の子がいい。
そして、花の種をまこう。
いっばい花がさくように、毎日、毎日、水をあげよう。
働きもののちょうちょが、遠くまでみつを探しに行かなくてもいいように。
たくさんの生きものたちが、にっこりと笑ってくれるように。
しばらく、静かにねむることにしよう。
私は、もう一度目をとじた。
―おわり―




