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エデンの東からパンデミアへ  作者: 鈴木
勇者は二度死ぬ
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第八話

 たった五年前のことだ。ある朝、一人の農夫がいつもどおり自らの畑に赴くと、そこに不思議な赤い肉の塊が落ちていた。肉塊はずるりと触手を伸ばし、農夫の首を飛ばした。金属音を鳴らして、その肉塊はこう鳴いたという。テケリ・リ、と。

 それ以来、王国の外縁北部で頻繁にこの化け物が発見され始めた。そして現在、異形の肉塊の侵攻は、ついに人間の生存圏の内側へと食い込み始め、この日、北部平原において会戦へと及んだのである。



 それは圧倒的な蹂躙であった。ロキがショゴス、と呼んだ肉塊は周囲を兵士に囲まれながらも、感情の欠片も見せず、怯むこと無く前進し、見事な戦線を築いていた。


「クトゥルフ、という異界の神々の下僕なんだそうだよ。あれも僕が呼び寄せたんだ」


 ロキが無邪気な笑みを伴って解説している。辰巳はそれどころではない。地上が近づいている。どうする、このままだと間違いなくミンチだ。受け身を取れるか?無茶だ、いくらなんでも衝撃力が強すぎる。何か思いつくか?現実は非情である。


「どけええええええええええええ!」


 辰巳にできることは、着地点にいる兵を巻き込まないように雄叫びをあげるだけだ。そのとき、ともに落下していた、辰巳の座っていた椅子が、生き物のように動き始めた。皮膚を裏返すごとく、ぐるりと革張りのシートを反転させ、辰巳の肉体にまとわりついた。


 ずん!と小型のクレーターが落下の衝撃で出来上がる。噴煙の中から腕が伸びる。その手は黒く染まり、禍々しくヌメった光沢を放つ。静寂、晴れる煙、そして男が立ち上がった。繋ぎ目のない黒鎧が辰巳の全身を保護している。

 人の姿をした辰巳に、兵士たちは対応を戸惑っているようだった。真っ二つの作戦卓、折れた床几、吹き飛んだ幕舎の覆いが、風にさらわれていく。


「責任者を呼べ」


 未だ静寂が支配するなか、辰巳の声が響く。なんだよ責任者って、ヤケクソもいいところだ。何より自分の声とは思えない邪悪さだ。

 周囲を十人ほどの、身なりの良い兵士が囲んでいる。おそらく将校にあたる者たちだろう。震える男たちのなかから一人の若者が這い出て、辰巳の足元を指さした。

 恰幅の良い壮年の男、その頭を辰巳の足が踏み抜いている。こいつか、こいつがこの場のトップか。不可抗力だ。事件じゃない、事故だ。いや、これは人じゃない、トマトだったんだ。


「人ですよー、タツミ君」


 どこからか現れたロキがニヤリと笑みをこぼし、意味ありげな視線を送ってくる。

 やりましたね、童貞卒業おめでとう!と肩を叩くロキを、呆然と見返すことしか今の辰巳には出来なかった。いくら暴力に耐性があると言っても、実際に人を殺したことはない。だが、なんだ、この無感動さは。もっとこう罪悪感や、同じ人間に対する憐れみ、同情が湧いてきてもいいはずだろう。

 ロキの軽口に心を折られた将校たちは、いつの間にか逃げ去っていた。背後ではショゴスの群れがひと通りの軍勢を駆逐し終えたらしい。


「そもそもタツミ君は死んでるからね。今のその肉体は僕が用意した人形です。そこに君の魂を入れて動かしてるわけ」


 そうか、死人か。死人が死体に感動しないのは道理だろうな。おれと同じものなんだから。糞ったれ。


「さしずめお前は人形遣いか」

「いやだなあ、人形を操っているのはタツミ君の魂だよ。僕は観劇する側の立場」


 精一杯の皮肉にさえ、自分が殺したという事実を突きつけられ、立場を弁えろという無言の圧力が返ってきた。大丈夫、安心してね、感情制御も素体の機能の一つだから、とロキは慰めるような口調で続けた。


「自分でやれよ、こんなこと」

 

 辰巳は投げ槍に言い放った。そもそもどうして自分なんだ、圧倒的な力を持つ、この得体の知れない自称・神がやれば済む話だ。


「ルール1、神は定命の者に直接の干渉を及ぼすことができない」


 ルールだと?あの巨大な肉塊を召喚しておいて、人に干渉してないだと?直接の干渉じゃないから問題ないというのか。

 辰巳の思考を先読みするかのように、ロキは親指を立ててグッドサインを示してきた。頭をかきむしりながら、辰巳は更に続ける。


「じゃああのショゴスとやらで世界征服しろよ、余裕じゃないか」


 甘い、と人差し指を振りながら、ロキが口先を尖らせる。そんなことができるなら、お前を呼んだりはしない、という裏の声が聞こえてきそうだ。


「おそらく、僕たちが獲得できる支配領域は、この北部外縁だけ。それより南に行くと、それはそれは恐ろしい神格者が飛んできて、あっという間に駆逐されちゃうよ」

「神格者?他にも神がいるってことか?」

「神格者と神は違う。神になる権利を持ってるのが神格者さ。基準としては肉体を捨てて、完全な魔力体になってることかな。実際に神になるには、それだけでは到底足りないけど」


 ああ、君も肉体を捨ててるという意味では神格者に該当するか、とロキが言う。つまり、おれの仕事はこの後ということか。


「察しがいいね、おそらく南方の神が、といってもこの場合はエデンの神しかいないだろうけど、今回の件を咎めて、神格者エージェントを派遣してくるよ。君の仕事はそのエージェントに丁重にお帰り願うことだ」


 そこさえ乗り切れば、なんとかしてみせる、とロキは真面目ぶって請け負った。


「話はわかった、で、おれに何のメリットがある」


 ここまでの話で、辰巳が介入する理由は何一つ無い。最悪、この肉体を奪われ、魂を幽閉されるかもしれない恐怖はあったが、能動的に事態に関わっていく理由にはならなかった。


「井之頭玉三郎」


 辰巳の眉がピクと反応した。ロキが告げた名は、あの舎弟の名だった。


「彼ね、こちらの時間で半年後に死ぬよ。時間の潮流から計算して、君が亡くなったときから約四十年後に獄中死。傷害、詐欺、恐喝、強盗、あと殺人で結局、人生のほとんどを刑務所で過ごすことになる」


 真偽の確かめようのない言葉だ、交渉の材料にしていいものじゃない、だが、


「僕なら、そのタイミングで、彼をこっちに呼んであげられるんだけどなあ」


 コイツ、コイツ、こいつ!!


「未練があるだろ、後悔があるだろ、その後の未来が歪んだのは、何故だろうね」


 人の魂を何だと思ってやがる!!


「君がいたら、彼は歪まなかったんだろうけどね」


 糞ったれ、こいつは悪魔だ、文字通りの邪神だ、遊興の神とは人を玩具にして楽しむ悪神の名だ、糞ったれ!!

 それでも、玉三郎のその後を語られて、辰巳は胸を締め付けられるような思いだった。あいつは馬鹿だ。おれがいなくなったあと、もしロキのような奴に出会っていたとしたら、骨の髄まで絞られて、語られた通りになるのは目に見えてる。

 もし、あいつともう一度出会って、叱りつけることができるなら。糞ったれ、所詮おれは死んだ身だ。悪魔に魂売っても、当たる罰も、もはやあるまい。

 辰巳の眼が、ロキを見据えた。


「いいだろう、契約してやる。だが、お前もただじゃすまさねえ」

「交渉成立だ、勇者様」


 道化師の笑いが、北原に響き渡る。



 二ヶ月後、北壁に一人の男が現れた。

 エデン十七位階、従三位に位置する神格者。

 デュランダルである。

 


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