第七話
「まずはお前が誰で、ここが何処なのか教えてもらおうか」
辰巳は、出来る限り声色に感情を乗せないよう注意しながら言った。灰色の空の下には、何一つ無い荒野が四方に広がっている。眼前では、妖艶に笑う道化師が、どこから引き出したのか肘掛け付きの王侯貴族が座るような椅子に、ぼふんと飛び乗っていた。
「まあ、君もかけなよ」
辰巳の前に、道化師と同じ椅子が現れた。
まただ。何もないところから椅子を出しやがった。手品の類か。だが手の平に隠しておいて出せるサイズじゃない。あらかじめ置いてあった椅子を、見えなくしておいたのか?
辰巳の逡巡を見透かして、道化師は嬌笑する。笑いを押し殺しながら、道化師が語り始めた。
「まずね、君は死んだ。これは前提。で、ここはまだどこでもない。僕の内側に君の魂を捉えて、対等な立場でお喋りしてるだけさ」
そうか、やはり死んだのか。あの記憶、感覚がまがい物ではなかったという事実が、辰巳を安心させた。用意された椅子に腰をかけつつ、それで、と視線で話を促す。道化師は目をキラキラさせながら、言い切った。
「僕はね、神様さ」
ピエロの口から、そんな言葉を聞かされても信じられねえな、と辰巳は鼻で笑った。
「閻魔じゃねえのか、地獄行きは免れないような生き方だったとは思うんだが」
「よその世界の宗教観を持ち込まれても困るなあ、それに僕は神に成り立てでね」
「たわけたことを言う奴だな、で、その自称神様が」
おれに何をさせたいんだよ。
おれは死んだんだ、不本意ながらではあったが、弟分守って死んだんだ。だらだらした生き方だったが、一応最後は義侠らしきものに殉じることが出来た。そのおれを…
「まさかもう一回生き返らせて、何かさせようなんていうんじゃねえだろうな」
道化師の貼り付けたようなニヤニヤ笑いが消えて、正解、と呟いた瞬間、地面の底が抜けた。
急速に落下していく感覚と、突然に消えた荒野、灰色の空はすでになく、全てを包む暗黒が広がっている。ハハハハハ、と狂った笑いを響かせる道化師に、先程までの美少年の面影は無い。辰巳の体は、いつの間にか椅子に拘束され、身動きを取れぬまま落下していく。無限に続く自由落下のなかで、加速していく辰巳の周囲を、道化師が優雅に舞ってみせる。
「我が名はロキ。退廃と虚飾を信奉する者の庇護者、遊興の神ロキである。定命の者よ、汝の魂は我が求めに応じて此処に顕現したのだ、我との契約を結べ。それ以外に汝の辿る道はない。このまま夢幻の闇に墜ちていくのみよ!」
この浮遊感、重力に任せて落ちていく感覚。ここまで手品なら、大したペテンだ。なるほど目の前にいるのが、自分の常識の外の化け物だということまでは理解できた。だが神だと?非協力的な態度を見せた途端に脅迫に転じるとは、とんでもねえ神もいたもんだな、と心のなかで毒づいた。だがこのままでは埒があかないのも事実だ。
「お前の狙いは何だ!」
闇への落下を続けながら、辰巳が叫ぶ。交渉に応じる姿勢を見せた辰巳に対して、ロキは先程までの威圧感を捨てて、また道化師の仮面をかぶる。
「僕はね、国を作りたいんだ。僕を信じる者たちが安心して暮らせる楽園をね」
「おれに何をさせたいっ」
「君には勇者として、民を導き、国づくりの礎となってもらいたい」
「具体的に言え!」
ロキは告げた。
「戦ってもらう、現在の世界を支配している魔なる者たちと」
その瞬間、闇が消えた。辰巳の体から拘束が解ける。だが、落下は続いている。閃光が走り、視界が開けていく。地上が見えた。喚声がいたるところから響いてくる。あれは、人か?黒い粒が隊列を組んで、巨大な影を取り囲んでいる。巨大な影は、その醜悪な肉塊は、無数の触手を振り乱して、周囲の人間を蹂躙している。おれに、あれと戦えって?
「おい、あんなもんおれにどうにかなると思ってるのか」
「ん、いや、君、何か勘違いしてないか」
地上が近づいてくる。落下速度が緩むことはない。落下地点は、目測、あの人間の軍隊の本営らしき場所だ。
「安心してよ、あのぶよぶよ、ショゴスは君の味方だよ!」
ああん、なんだと。
「それに君の主な役割は交渉だ。まあ、必要なら戦ってくれても構わないし、最終的にこの土地を僕らのものにできるなら、それで構わない。必要な能力は君の素体にあらかじめ仕込んである」
能力、能力だと?だが、問い詰めている暇は無さそうだ。この落下をどう凌いだらいい。おれの姿を認めた兵士たちが、叫びを上げながら指差してくる。だが、ロキは言った。『この土地を僕らのものに』と。
「てめえ、それはつまり、おれの役割ってのは」
地上げじゃねえか。