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エデンの東からパンデミアへ  作者: 鈴木
勇者は二度死ぬ
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第六話

 夕方から降りだした雨は、午後八時をまわって、さらに勢いを増した。今宵、割烹料亭の離れを貸しきって麻雀賭場が立っていた。

 そこに代打ちとして卓を囲んでいた男の名は、川村辰巳。墨を流したような美しい黒髪を、乱雑にオールバックにまとめあげ、高級感のあるダークグレーのスーツを台無しに着崩している。均整のとれた顔の造作に不似合いな、野人のような眼光と頬いっぱいに広がる無精髭。


 「ツモ」


 ボソと呟いて、南四局、辰巳は四暗刻単騎をツモ和了りで終えた。オーラスまでダンマリでひたすら自力でツモ和了りするという、極端な雀風であった。しかし結果を見れば終始、辰巳が主導権を握っていた。


 今宵の場は、対面の男とのサシウマだと聞かされている。実際にやり取りされる額については、辰巳はあえて聞かないことにしていた。

 雇い主から封筒を受け取って、辰巳は料亭の玄関を出た。兄貴、と外で待っていた舎弟が傘を差し出してくる。何枚か札を抜き取って、舎弟の胸ポケットにねじ込んでやる。今タクシーを呼んでますから、と言いながら、舎弟は律儀に返そうとした。それを押しとどめながら、辰巳は言う。


「おれはこういう雨は嫌いじゃないから、一人で歩いて帰るぜ。そいつは傘の代金だ。」


 お前の傘が無いからな、タクシーにはお前が乗れ、と付け加えると、舎弟は厳つい顔に似合わぬはにかみを見せて、勿体無いことです、と頭を下げた。


 結局、舎弟は辰巳を家まで送ると言い張った。ならタクシーで帰ろう、と提案したが、それではおれが邪魔したみたいだ、と拗ねて拒否された。

 辰巳の歩く斜め後ろを、舎弟が守るようについてくる。激しい雨のなかを、男が二人、傘もささずに歩いて行く。傘を持っているにも関わらずだ。一本の傘をどちらがさすかで揉めて、最後は雨で濡れてもどうせサウナに行くのだ、などと馬鹿な結論を出して歩き出した。

 こいつは同じ児童養護施設の出身者らしく、ある日辰巳の家を訪ねてきて、弟子にしてくれと頭を下げてきたのだ。施設を出るときに、園長が辰巳の名前を吹き込んだらしい。賭博と空手、どちらの弟子なのかと問えば、男は迷いなく、


「両方だ、兄貴」


 と、真っ直ぐに答えを返してきた。馬鹿かお前は、と一度は追い返したのだが、でかい熊のようなナリをして、棄てられた子犬のような目でこちらを見てくる、この禿頭の弟分を、辰巳は見捨てることができなかった。


 そいつが今、おれの顔を覗きこんで号泣している。別にお前が悪いわけじゃないさ。おれが選んだんだ。だから、泣くんじゃねえよ。



 おいおい大の大人が泣くもんじゃないぜ。


 辰巳はトラックと衝突し、腹部に重傷を負った。胸から下の感覚があやふやだ。舎弟が顔をぐしゃぐしゃにしながら、今救急車来ますから、来ますから、と騒いでいる。破れ鐘のような声だな、お前、でも、今は、ずいぶん雨の音が強いじゃないか。


 強く照りつける車のビームライトの向こうで、顔面蒼白のおっさんがずっと電話し続けている。多分、ドライバーか。いやでもアンタが悪いわけじゃないんだぜ。うちの弟がな、急に道に飛び出したのが悪いんだ。そんでもって、それを突き飛ばそうと、急に道に飛び出したおれは、もっと悪い。すまねえな。忙しいところ、引き止めて。でも、


「お…い」


 はい、ここにいます、と舎弟が叫んでいる。


「ね、こ、だいじょうぶだったのかよ」


 平凡な二車線道路に、轢き潰された猫の死体が横たわっていた。それだけなら、そんな光景なら、胸を痛めて、後で死体を片付けるくらいで済んだだろう。

 轢き潰された猫の死体、その傍にまだ、子猫がいた。母、だろうか、死体の傍から離れようとしない子猫を拾い上げようと、舎弟は飛び出した。雨で見通しが悪かったのか、直進してくるトラックは見えていなかった。そして、おれも、身を投げ出したのだ。


 泣くなよ、お前、猫育ててやれよ。



 雨が止んでいた。知らない天井だ。いや、灰色の空だ。


 身を起こすと、そこに道化師がいた。子どもの時分に一度だけ見に行ったサーカスに出てきた奴と似ている。違うのは、少年であることと、その中性的な美。道化師の声は、古い名器の楽器を思わせる豊かさを湛えていた。


 「お目覚めかな、タツミ君」


悪い気分じゃない。すーっと頭を抜けるような声だ。道化師は、早速で悪いんだけど...と断って、剣呑な声で告げた。



 ”僕と契約して、勇者になって欲しいんだ”




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