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エデンの東からパンデミアへ  作者: 鈴木
プロローグ
3/11

第三話

 砂の都サーブルは周囲を強固な防壁で囲われている。これは外敵から街を守る、というよりも流民の流入をスムーズに管理するための意味合いが強かった。大砂海につながる北門は、鉱石の主要採掘路として、出入りを工業用の用途に限られ、ドワーフ族が管理していた。南には、比較的気候の穏やかな平野が広がっており、これに面して居住区が設定され、南門が日中のみ開かれている。そして炎神フランベルジェが切り開いた西方への道に沿って、西大門がそびえている。


 炎神の東方遷都、と、サーブルに住むものたちは都の起源を謳うのだが、これを追ってこの地にたどり着いた部族は多彩である。砂海を渡る姿に感動した砂の民。竜骨山脈を切断するという奇跡を目の当たりにし、地底より這い出てきたドワーフ族。そして西方からの侵略を嫌って新天地を求めた多種多様な獣人属。この他にも岩人やら、竜人やら、自我も知性も怪しい種族まで入り混じる、一言で片付けるなら混沌の坩堝であった。彼らの間に、貴賎の別は存在しない。圧倒的な炎神の力と、その恩恵に浴するという立場の前に身分の差など生じ得なかった。ただ、強いていうならば、この都市で最も「神に近い位置にいる」のはオッターと呼ばれる魔獣であった。


 都市に入ろうとする者が西大門をくぐると、そこには巨大ではあるが簡素な土壁の礼拝堂が建っている。サーブルに入関所は存在しない。ただ初めて来た者は、まずこの礼拝堂で僧の説法を聞くことが慣わしとなっていた。

 

 礼拝堂の中では強く香が焚き染められている。供物である魚の干物と、オッター特有の獣臭をごまかすためである。床に直接並べられた香炉たちが通路と灯りの代わりとなっている。吹き抜けの高い天井、広間の中央には沐浴場が用意されており、旅人はまずここで汚れを落とす。サーブルは海辺に巨大な蒸気タービン群を擁しており、ここから濾過処理された清潔な淡水が供給されていた。奥には更に講堂が広がっており、その最奥に極厚の座布団をうず高く積み上げて、高僧ヌルハチが鎮座している。


 四足を器用に丸めて饅頭のように座布団に収まっている姿はカワウソそのものだが、立派な髭を床まで垂らす姿からは、「高僧」らしき威厳が漂っている。半眼を薄っすらと開けて、寝ているようにも見えるが、何よりも目立つのは、ふっくらとした鼻面、マズルを中心とした、ふくよかな顔相である。


「ヌルハチ様のありがたーい、ご説法を聞くのピャ」


 若いオッター僧は慣れない二つ脚で立ち上がり、舌っ足らずな共通語で案内する。とはいえ、元来オッター種は魔獣であり、共通語を解するものではない。この開祖ヌルハチが百年前、フランベルジェから直接「恩恵」を受け取って以来、彼らは共通語を話し始めたのだ。


「……ワシの後ろにある文字が読めるかのぉ」


 ヌルハチの鎮座する向こう、壁に高く掲げられた石版には「働け」と力強い文字で記されていた。


「これは、かの炎神フランベルジェ様から、直接ワシが賜ったものじゃ」


 齢百歳を越える老師の言によれば、炎神は若きヌルハチのふくふくとしたマズルをいたく気に入って、彼にその膨らみを揉みしだかせた代償に、この宣託を与え、同時にオッター族に神と人との仲立ちの役割を与えたというのである。


「これから皆の衆には誓言を立ててもらう。炎神様は働く者には、別け隔てなく加護をお与えになるであろう」


 サーブルの戒律はただ一つ、働くこと。働く者には「炎熱の加護」が与えられ、この街の内では炎と熱を自由に操り、またそれから守られるという埒外の力が保証された。それはこの街の発展の担保であった。砂漠の民は灼熱の苦しみから解き放たれ、探し求めていたオアシスに歓喜した。ドワーフは莫大な熱源と、通常は実現不可能な高温を与えられ、理想の創造物の追求に邁進した。虐げられた種族、影に生きてきた者たちは、広大な開拓地に新たな希望を見出した。


 若いオッター僧が、魔力を込めた筆で木札に「私は働き者です」と書いていく。この札が街の住人であることの証であり、公共サービスを受ける証明書としても機能する。人々は魚の干物と引き換えに、この札を受取り礼拝所を後にする。働く意思を捨てたとき、自然とこの札は燃え尽きる。あるいは他者を害そうとするものは、その身をもって償わねばならぬという。


「今度はちゃーんと働くんだピャ?」

「は、はい。こ、今度こそ就職します」


 時たま見られる光景である。「今度こそ働きます」と書道された札を首から下げて、中年の男は出て行った。オッター僧は干物を袋いっぱいに受け取って満足そうだ。通常は干物一枚と引き換えなのだから、どう見ても賄賂なのだが神は寛大であった。怪我や病気で働けぬ者は「働きたいです」という札に書き換えれば、それで加護が失われることはない。ヌルハチはバリバリと骨煎餅を齧りながら、煎茶を飲む。若い僧が老師の髭に油をさし、丁寧に櫛でといていく。


 そこへドタドタとオッターの子どもたちが走りこんできた。彼らはまだ共通語を学んでおらず、ぴゃあぴゃあと騒ぎ立てている。ぴゃっ!と老師は一喝し、事の次第を報告させた。ヒクリと翁のマズルが跳ねた。ヌルハチはしゃんと二脚で立ち上がると、座布団を踏んで跳躍した。しゅるりと長大な白髭をなびかせ、彼は礼拝堂から走り出る。


「百年ぶりの漂流者とはのぅ」


 疾駆する翁の後を追って、オッターたちがぴゃあぴゃあと走って行く。


 砂の都に、新たな風が吹き込んできたのだ。


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