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エデンの東からパンデミアへ  作者: 鈴木
プロローグ
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第一話

 王都から真東に伸びる街道は、それを造成した人間の性格を反映してか、一分の狂いも許さず文字通り「真東」へと広がっていた。その路面もまた均一に均されており、不思議なことに塵一つ落ちていない。森を越え、山を貫き、砂漠を渡り、極東へと至る道は次第に輝きを増していく。ガラス化した大地は灼熱の太陽を照り返す。すでにここは王国の版図の外である。王権の及ばぬ治外の未開地。これより東には広大な東海が横たわっている。


 その地の果てに、衛生局極東支部は存在する。支部とは名ばかりの、局員は二名に過ぎぬ調査部ではあるが。


 イヴ・フラックスは、窮地に陥っていた。右腕の肘から先が喰いちぎられた。ミスリル鋼のショートソードを握った「あるべき」右腕は、自らの眼前に投げ出されている。本来であればこの程度のダメージは容易に復元できる、はずだった。この腹部に刺さる竜尾さえ無ければ。魔力体の核は幸い無傷だが、逆棘の尾は彼女の腹に深く食い込み、「返し」を更に強く押し込もうと機を伺っている。荒れた呼吸も、流れすぎた血液も、慣れぬ異界の魔素も、眼前の敵も、何もかもが想定の外だった。尾を覆う鱗は目が細かく、触れた感触からは極めて高密度の魔素で構成されていることがわかる。天井にはイヴが落ちてきた穴があり、地上からの木漏れ日が差し込んでくる。ぬるりと光を反射させた尾の先、その持ち主は何故か背を見せ、遺跡の壁へ向かい蹲っている。白を通り越した銀髪を床まで垂らし、壁から生えた石像へ祈りを捧げる少女。その背に異形の竜がいた。イヴは動けずにいる。下手に動けば竜尾は更に深く食い込む。何より敵の異形を目の当たりにして、イヴは警戒を最高にせずにはいられない。


 少女の背から竜が生えている。衣一つまとわぬ裸身である。彼女の背は琥珀色に包まれて、その背骨は異常な隆起を示している。尾骶骨から生えた竜尾。その骨から対照に広がる竜鱗。肩甲骨のあるべき場所から伸びた翼。何よりもうなじから生えた、竜の首。先程からイヴを苦しめた敵は少女ではない、この竜頭である。異界の中心となっているこの遺跡の最奥で、主神と思しき石像を見つけたはいいが、触れようとした瞬間に突如、尾と顎の同時攻撃を受けてしまった。無人と油断していたことは否定出来ないが、気配を感じ取ることが全くできなかった。完璧な不意打ちに、イヴは飛び退った。彼女を無視して、少女は祈りを捧げ始め、伸縮自在の竜首と尾が、その背中を守っている。


「未熟よの。その程度の腕で我が主の異界に足を踏み入れるとは」


 ゴウと嵐が吹きすさぶかのような声音である。枯れた低音のなかに、魔素がぶつかり合った際に鳴る、特有の金属音が混じっている。竜頭が言葉を解すること自体は予想された。高位の魔物が知性を持つことはままあることだ。これほどの魔素を宿した竜なら当然だろう。しかしその言葉が共通語であったことにイヴは驚きを隠せない。


「ジルバよ、主への祈りは済んだかの」


 竜頭の言葉に反応し、少女がすっと立ち上がる。ええ、と細い声で肯定を返しながら、彼女は振り向いた。白磁を思わせる裸身が遺跡の闇に浮かび上がる。未成熟な肢体に琥珀の竜首を巻きつけてジルバと呼ばれた少女は、イヴへと一歩ずつ近づいてくる。


「聖域を侵し、あまつさえ主への祈りを妨げようとするとは・・・」


 静かな怒りだ。双頭の異形は同時に口を開く。


「「万死に値する」」


 ジルバが腕を振りかぶった。振りぬかれた腕は琥珀に染まり、キィィンという金属音とともに、無数の竜鱗が撃ちだされる。遺跡の床石を砕きながら迫る礫に、イヴは覚悟を決める。腹を貫通した尾が回避を許さぬ。鱗を撃ち落とすにも、剣は己の右腕とともに床に転がっている。もはや、死中に活を求めるしかない。


 イヴは逆刺の「返し」を、更に深く押し込んだ。おおおお、という叫びとともに腹部から血が決壊し流れだす。抜けぬなら、抜かなければいい。激痛、目眩、だが前にしか生は無い。脹脛に魔力を過集中させる。限界を越えて弾けた肉とともに、イヴの肉体は前方へと疾走する。血の軌跡を残しながら、転がっている自らの腕だったものを蹴りあげる。放り出された右腕は琥珀の弾幕にぶつかり、ミンチに変わっていく、しかし腕一本では勢いを殺しきれない。まだだ、まだ前へ。左腕も防御に回す、ザクザクと竜鱗が突き刺さるが貫通はしない。頭部を守りきればそれでいい。蹴りあげたのは、腕だけではない。使い込まれたミスリル鋼の短剣は、持ち主の思い描いた軌道で宙に舞う。差し込んだ陽光を跳ね返し、剣身に映り込む自らの口元。獣性が迸っている。もはや左腕も使い物にならない。それでも腹を貫く尾をたぐり、獲物の首元へ自らの牙を立てることしか頭にない。最後の一歩を弾丸のように跳躍し、空中で短剣の柄に喰らいつく。身体ごと捻り込み、柄を首で振りぬく。ぶちぶちと腹部が尾に圧迫されちぎれていく。血の花弁を空中に描いた決死の剣閃、だが竜頭はそれを難なく牙で絡めとる。柄を食いしばり更に深く押し込んでいく、竜頭の濁った目の奥にぎらと光が灯ったのをイヴは見逃さない。


「くだらない」


 急に鍔迫り合いめいた押し合いは終わり、力の行き場を失ったイヴは体ごと前へと倒れこむ。ジルバは回避するように後方へ飛び退き、壁に塗りこまれた石像の前へと立ち塞がる。竜尾はぷつりと切れていた。自切である。何事も無かったように、ずるりと尾の断面から新たな竜尾が生えてきた。先ほどより、幾分か細身ではあるが。


「グラン、主の御前です。賊を相手にみっともない姿を晒してはいけません」


 竜を叱責するジルバの声は変わらず小さい。しかしそこからは油断の色が抜け落ちている。ぬう、とグランは唸り、しゅるしゅると首と尾を縮めていく。


「何よりこれ以上、静謐を妨げることはなりません」


 イヴは血を流しすぎていた。決死の攻撃は確かに活路を開いたが、結果的には命を少し延ばしたようにしか見えない。だが、彼女の口元には微笑があった。それを見とめてジルバは眉間を寄せる。満身創痍だ。だが、この女はまだ何かを隠し持っている。全力で叩き潰すべきだ。翼を大きく広げる。翼膜に脈打つ、魔素の道が銀色に光り始める。竜頭はジルバのうなじに牙を立て目を閉じる。んっ、と喘ぎを漏らしながら少女の肉体を鱗が走る。琥珀色ではない、自ら光を放つ、銀色の鱗に全身を包み込まれる。薄っすらと上気した肌が、鱗の向こうに透けて見える。床に体を投げ出していた賊は、半身を起こそうとしていた。


 ゴリッ、という音が自分の後頭部、骨を通じて聞こえてきた。息を整え体を起こすのに必死だったイヴは敵の変化に気付けていなかった。腹部にはまだちぎれた竜尾が刺さったままだ。刺は内蔵をかき混ぜている。だが、それよりも今は。


 主の寝殿で、全力を出すわけにはいかない。その動きは銀の線を残し、銀竜の爪を宿して禍々しく変化した掌がイヴの顔面を鷲掴みにする。そのまま壁へ叩きつけ翼を打って上昇する。ゴリゴリと壁を砕きながら太陽へ向かって真っ直ぐに。不埒な女の肉体を撃ち出すべく、空中で制動し二回転した勢いのまま、受けた遠心力を直上へと解放し、強化された腕を振りぬいた。


 めりめりという音を聞きながら、果たしてそれが何の音なのかすら、イヴにはわかっていなかった。ただ突き刺さった竜尾にはもう魔力が通っていない。これならいける。この敵は、私が何なのか知らないようだ。知っていたならば、例え首に短剣を刺されても、この竜尾を離すべきではなかった。海を隔てた異界だけのことはある。要するにこの生き物は、私達とは違うのだ。力なく宙を舞いながら、ああ、それでも、ここは美しい。高く舞い上がる己の肢体の下を、鬱蒼としたジャングルが流れていく。手付かずの自然、最後の楽園。銀竜の出現に、周囲の野生動物は驚いた様子で、天然色の鳥の群れが、幾つも塊で飛び上がっていった。イヴはそのうちの一つにぶつかり、逃げ惑う鳥たちにもみくちゃにされながら、やがて上昇から下降へと転じていく。あとは落ちるだけだ。ぷつり、と意識の糸が切れた。


 ぐじゅり、と腹が再生を始めた。竜尾を砕くべく、空腹を満たすべく、暴食の魂が扉を開く。イヴの背は仰け反り、腹は真っ二つに裂けて、その上下には完璧な歯並びで黄金の歯が並ぶ。噛み付くためではない、磨り潰すための魔物。竜尾を丸呑みにしてゴリゴリと骨を砕く音がする。高密度の魔素の塊だ。持ち主の魔力が通っているうちは食えば毒をもらうようなものだが、今となっては「ただの」肉に過ぎない。瞬く間に体が「復元」されていく。魔素が収束し、右腕を形造る。削られた後頭部が受肉する。あるべきものが、あるべき場所へと帰っていく。刹那の眠りから目覚めたイヴの目が、黄金の光を宿していた。


「さあ、第二ラウンドと行きましょうか」

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