チワワな彼女
『人間、見た目』って言うけど、そうじゃないときもある、と思う。
──多分。
「げ。ちょっと、どうしたのよ、その膝?」
おはようって言いながら教室に入った途端、顔を引き吊らせた親友に声をかけられた。
「ちょっと、負傷しまして」
えへへ、と笑って誤魔化しながら、親友の隣にある自分の席へと座る。
「それは見ればわかるって」
「あ、あのね、怪我自体は掠り傷で全然たいしたことないんだよ? 絆創膏が生憎このサイズのしか家になかっただけなの」
「うん。──で? 私が聞いてるのは、何があってそんな両方の膝に大きな絆創膏が貼られるような怪我したの? ってコトなんだけど」
ですよねー。
親友は、前に落ちてきた、一糸乱れぬといったキューティクルで艶々の長い黒髪を後ろに払い除けながら、私の方へ身を乗り出す。
親友とは、同じ小・中学校出身だ。クラスは違ったけど、中学のときに一緒に所属していた手芸部で仲良くなった。
お化粧なんてしてないのに、形のいい眉、バサバサと音が鳴りそうな睫、ぱっちり大きな二重の目、ほんのり桃色の頬にサクランボ色の唇。誰もが認める美人で、胸も大きい。
多分今もそうだと思うけど、中学時代からモテてモテてモテまくってた。それを全部バッサバッサと振って、未だに彼氏いない歴=年齢、を貫いている。
中学三年の頃、不思議に思って「なんで彼氏作らないの?」って聞いたときの会話は、今でも一言一句違わず覚えてる。
「だって、好きな人がいるんだもの。好きな人がいるのに、他の人と付き合えないでしょ?」
「え、そうなの? 好きな人いたんだ、知らなかったよ。ねぇねぇ、誰なのか、聞いてもいい? この学校の人?」
「残念だけど違う学校なんだ。ものすごく遠くにいるの」
「遠距離の片想いなの? 辛くない?」
「まぁ辛いけど……。会いたいって思えばすぐに会えるから。越えられない壁はあるけどね」
「壁?」
「うん。次元の壁」
……どうやら、親友の想い人は二次元にいるらしい。
手芸部に入ったのも、コスプレ衣装を作る洋裁の技術を磨くためなんだって。
ちなみに、その次元の向こう側にいる想い人のことは、一応紹介して貰った。と言うか、翌日、とあるマンガを(無理矢理)貸してくれた。既刊分──つまり十五巻分──全部一気に。親友の想い人は、そのマンガの主人公のライバル役だった。
借りた次の日には「カッコいいでしょー!」に始まり、想い人の魅力について熱く語られた。実はまだ読んでないって言い出せなかった。
ついでに、エセ想い人にも何人か会わせて貰った。つまり、コスプレイヤーさん。もちろん、薄い本を売買するイベントで。
て言うか、コスプレ要員としてイベントへ強引に連れて行かれた。ちょうど私くらいの背丈のケモ耳っ娘のキャラがいるとかで、その衣装を着せられたっけ。ミニスカートに大きな三角の犬耳と尻尾を着けられて、やたらと恥ずかしかった……。
そしてそのイベントで、親友がいわゆる『腐女子』だと知った。想い人が他の男性キャラと攻めたり受けたりしながら絡む本を買い漁ってるのを見ちゃったら、嫌でもわかる。
つくづく、いろいろと勿体ない親友だ。
「それが、昨日ね」
と私は昨日の出来事を話し始めた。
散歩がてら寄った公園でワンコたちを遊ばせたこと。そうしたら、興奮したセントバーナード二匹が暴走して、リールを持っていた私が引き擦られたこと。怪我は(多分)そのときに負ったこと。
「へぇ、あのセントバーナード、そんなに大きくなったのね」
親友が言った。そう言えば、親友が最後に私の家へ遊びに来たのは、もう何年も前だ。
確かに、あの頃はまだ子犬だったもんね。
我が家にはセントバーナードが二匹と、一ヶ月ほど前に家族になったばかりの柴犬っぽい雑種、合計三匹のワンコがいる。
セントバーナードは私が小学生の頃に近所の公園に捨てられているのを見かけて拾って来た子たち。お父さんとお母さんに「自分で面倒を見るなら」っていう条件で飼うのを許して貰った。
あのときは、この捨て犬たちが『セントバーナード』って犬種だってことも知らなかったし、セントバーナードがこんなに大きくなるなんて全然知らなかったんだよね。
みるみる大きくなって、今や私よりも重いし力も強い。躾はちゃんとしているつもりだけど、散歩になると嬉しさの剰り興奮し過ぎて、半分くらい制御不能になっちゃうのが難点。私の全体重をかけても負けちゃうんだもんなぁ……。
こないだ仲間入りしたチビちゃんも、大先輩に倣ってか、散歩中は無駄に忙しないし。
そんなわけで、この子たちの散歩はいつも三十分の軽いランニングだ。毎日続けているおかげで、持久力はしっかりと身に付いたと思う。
「うん。もう私よりもずっと重いもん」
「アンタが標準より小さくて軽いのよ」
親友が私の頭をポンポンと叩く。それを言われると反論できない。自分がこの年齢の平均身長よりもかなり小さいことなんて、自覚してるし。体重は身長に比例してるだけで、決して軽いわけじゃないと思うんだけど……。
「でもそれだけじゃないでしょー?」
声のトーンとともに、急に親友の笑顔が黒いものに変わった。私の頭にあった手が離れ、頬杖をつく。
「えっと……何?」
「昨日、それ以外に何かあったでしょー? なーんか嬉しそうだもん。誤魔化したってダメよ? ちゃんと言いなさいね」
うは、バレてるし!
「ご、誤魔化してたわけじゃないんだけど」
と前置きして、私は続けた。
「前に虐められてたおチビちゃんを庇ったって話したでしょ? そのときに助けてくれた男子生徒さんにようやくお礼を言えたの」
「あぁ、ずっと気にしてたもんね。突っ立ってただけっぽいサイテーな男だってのに」
「サイテーって……」
「だって、アンタまで虐められて、怪我までしたのに、止めようともしてなかったんでしょ?」
「それは! 私が見えなくて、何が起こってるのかわかってなかっただけ…だと…思う……」
言ってて自分の小ささを自覚して泣きたくなってきた。小学生に囲まれて埋もれる女子高生ってどうなのよ。
尻窄みになってしまった私を、親友がよしよしと慰めるように頭を撫でてくれる。
「はいはい、ごめんごめん。イイ人なんだよね、アンタの中では」
全然気持ち籠もってないよ。
「うん、いい人だよ。おチビちゃんを助けてくれたこともそうだけど、廊下でぶつかったときも怒らなかったし、昨日なんてセントバーナードに体当たりされたのに怒らなかったんだよ? 優しい人なんだよ」
そう続けると、親友の手が止まる。不思議に思って顔を上げると、目を丸くして私を見ていた。そして私と目が合うとにやっと笑う。
「どしたの?」
「惚れたかぁ」
「えっ? ほっ、惚れ……ちょっと何言ってるの!?」
「なんだー、無自覚? まぁ、それはそれで美味しいけど」
にやにやにやにや。親友が笑う。そんな顔してても美人なんだからイヤになる。
「美味しいって!? だから、違うんだってば。そりゃ、感じのいい人だな、とは思うけど」
無表情だけど。愛想がないけど。だけど、行動に優しさが滲み出てる人。
「はいはい、キャンキャン吠えない」
私をワンコ扱いする親友に、むぅと唇を尖らせた。でも当の親友は、あっ、と笑顔になる。
「その表情『パピー』が拗ねたときにそっくり。ねぇ、今度またコスやろうよ」
と誘ってくる。私、ちょっと怒ってるのに。空気読もうよ。
パピーっていうのは、以前に私がコスプレさせられたケモ耳キャラのことだ。よりにもよって子犬って……作者さんも、もうちょっと考えてネーミングして欲しい。
怒ってるのが馬鹿らしくなって私が溜め息をつくと、親友はまた花が咲くように笑った。
「今度、その男子生徒クンを見かけたら教えてよ。どんな人か見てみたいから」
「うん、見かけたらね」
私が応えるのと同時に、予鈴が鳴った。
それから、件の男子生徒さんを二回ほど校内で見かけた。でも、一人でいるときばっかりで、親友には教えられていないままだ。
二回ともまた目が合ったので、軽く会釈した。男子生徒さんは、一回目は驚いたのか眉を少しだけ上げられ、二回目はあまりいいタイミングじゃなかったのか僅かに眉を顰められた。うーん、距離感が難しい。言葉は交わしたけど、親しいわけじゃないし。かと言って、知らない人ってわけじゃないから、目が合ったのに無視するわけにも行かないし。
ただ、見かける頻度は数日に一度と高い方なので、親友に教えられる日も近いかなって思ってる。
見たらきっと、優しい人だって思ってもらえる、と思うんだけど。
「これで日直の仕事も終わりだねっ♪ ようやく部活行けるわ~」
それから数日後の放課後、親友との日直最後の仕事として、ゴミ箱のゴミをまとめて体育館裏のゴミ処理場に運ぶお仕事の最中、親友が私の背後から抱きついてきた。
ぅをふっ! 突然の衝撃に少し前につんのめる。危ない危ない、ゴミをぶち撒けるところだった。
あ、ゴミ袋は私が持ってます。一袋分しかないから一人で行くよって言ったのに、おしゃべりがてら親友もついてきたのだ。
「そだね。今日の部活も、またコス衣装やるの?」
そう答えた私の肩には、親友のデッカくて柔こい胸が当たってます。ぽよんぽよん。
これって一種のセクハラだよね。Eカップあるんだってさ。この親友とはスキンシップが多いから、もう慣れたけどね。でも、こうやって肌に押し付けられるマシュマロ感に、自分の胸の残念さを自覚させられて涙が出るよ。
「うん、もちろん。次のイベントまで、あと二週間チョイしかないし、自分の衣装もあるからパピーの分は早めに仕上げちゃいたいんだ。今日、仮縫いまで終わらせるから、試着してもらえる?」
「うん、わかった」
私が頷くと、親友が身体を離して私の肩を後ろから押してくる。本当、羨ましいほどにポジティブで、自分の欲求に正直だなぁ。
親友は、今度のイベントのために、また一から私の衣装を作り直してくれている。身体の採寸して、型紙作って、とオートクチュール並に本格的だ。
どうやら私の知らない間に『パピー』さんの衣装が変わっていたらしい。私はそのマンガにハマってるわけじゃないし、連載を追ってるわけでもないから知らなかった(相変わらず親友はコミックの新刊が発売される度に貸してくれるけど)。
「面倒だろうから、前に使った衣装でいいよ」
って何気なく言ったら
「何言ってるの!? アンタにはパピー愛が足りなさ過ぎる! アンタほどパピーの要素を持った人は他にいないのよ? いい? アンタはパピーになるために生まれてきたの。クイーン・オブ・パピーなのよっ!!」
ってものすごい勢いで説教を受けた。
半分くらい、何を言われてるかわからなかった。二次元愛、怖い。
雑談している内に着いたゴミ処理場に、私はゴミ袋をえいっと投げ入れた。
すぐ隣の体育館からは、キュキュキュッという小気味の良い床を擦る靴音や、ボールの跳ねる音や、たくさんの掛け声が聞こえてくる。風通しをよくするためにか、体育館の吐き出し窓が開いているからよく聞こえるんだ。
振り返って中を覗いてみると、体育館の中をいくつかのエリアに区切って、バスケット部とバレー部とバドミントン部が練習していた。
私たちもこの後部活がある。今日は親友の衣装作りのお手伝いしよっと。そう思って踵を返そうとしたとき、一番手前で練習していた男子バスケット部に見覚えのある人がいることに気付いた。
あ、『あの人』だ……!
試合形式で練習している人たちの脇、コートの外に彼はいた。真剣な目で練習試合のボールの軌跡を追う彼は、紛れもなく小学生たちから私を助けてくれ、その後何度も迷惑をかけてしまった『あの人』だ。
「ねぇねぇ、いたよ。『あの人』!」
後ろにいる親友に話しかけると、
「え、誰?」
と振り向いた。
「私を助けてくれた人だよ。ほら、あそこ。バスケ部の、あの背の高い人。今、点数表の右っ側にいる」
「あぁ……その『あの人』。どれどれ、あの片手上げてる人?」
「ううん、えっと、あの、片手でボール掴んでる人。うわ、すっごい握力」
親友も彼を見つけたらしい。隣で「あーあー」と頷いた。
「あの人か。ちょっとツリ目であんまり愛想がない人でしょ? 二年の」
「えっ、二年生なの? てか、知ってるの?」
「知ってるって言うか……何回か見たことあるから覚えてただけ。知り合いとかじゃないよ」
私は、今初めて、この親友がちゃんと三次元にも興味があるって知ったよ……! ちょっぴり安心した私は、次の瞬間にはそれが盛大な勘違いだったことを思い知らされた。
「あの人ね、今近づいてきたバドミントン部のお友達さんとすごく仲がいいのよ。距離が近いって言うの? ほら、今も肩組んじゃって……ジャレてるでしょ? あの二人って顔がなかなかイイ感じだし、見てるとこう、wktkって気分になるのよねー」
はい?
「あれね、ツリ目さんが攻っぽく見えるんだけど、実はお友達さんが攻でツリ目さんが受よ、絶対」
そーゆーこと聞いてない。
何この半端ない『持ち上げて落とす』感……。消しゴムとシャーペンが~、とか、時計の長針と短針が~、とか、たまに聞かされるけどさ。その想像力の豊かさには尊敬しかできない。
呆れる私の隣で、親友はにこにこと嬉しそうだ。
「へー、あのツリ目先輩かぁ。優しそうには見えないけど、人は見かけに寄らないのね」
うーん、その『人は見かけに寄らない』って言葉、誰かさんにもバッチリ当てはまってると思うんだけど。
と、背中にまた『ぽよん』というマシュマロ的感触のものが当たった。本当にもう、腹立つくらいに柔こいな。なんていう精神攻撃だ。
「ま、とりあえずは応援したげたら?」
親友は私の耳元でそう言うと、体育館の中を指した。
いつの間にか練習試合が終わっていたらしい。メンバーが総入れ替えになって、新たに練習試合が始まろうとしていた。今度はツリ目先輩もメンバーに入っている。
ボールトスの直後から、コート内を十人が縦横無尽に走り回る。ボールがあっちに行ったりこっちに飛んだり。人とボールの俊敏な動きに目が回りそうだ。すごいなぁ……。
運動神経が悪いわけじゃないけど得意ってほどでもない私は、放課後まで運動する人たちを純粋に尊敬する。
どちらが攻勢なのかすらわからないままに、しばらく練習試合を眺めていたら、突然大きなどよめきが起こった。
何事? とボールに注目した私の視線の先で、ツリ目先輩がスリーポイントラインからシュートを放った。
ジャンプする、そのフォームの美しさに目を奪われる。ボールを掲げて上がっていく身体が、やけにゆっくり感じられた。
──きれい──
そう思ったとき、先輩の背中に翼が見えた。
体育館に差し込む日の光に透ける、広がった翼が。
先輩の跳躍が最高点に来たとき、ボールが手から放たれて私の目の前にあるリングに向かって弧を描き始める。
皆の目がその軌跡を追う。でも私の目は、先輩に吸い付いたままだ。
彼がふわりと床に舞い降りた途端、背中に見えていた翼がフッと消えた。
はっとしてボールに目を移す。未だ宙に在ったボールは、吸い込まれるようにリングにぽふっと入っていった。
どっと湧く歓声とともに、時間の進み方が元に戻る。
シュートを決めったていうたのに唇の端すら上げないまま、先輩は仲間からのハイタッチに応えていた。
「へぇ、上手いね」
「うん……」
隣から聞こえてきた親友の声に私は頷いた。でもなんだか意識がふわふわしているし、視線もツリ目先輩に貼り付いたまま離れない。
「そろそろ私たちも部活行こうか」
「うん……」
促された私はツリ目先輩から視線を引き剥がして親友の方を見る。と、目が合った親友の眉根が寄った。
「げ。ちょっと、どうしたのよ、その顔?」
「え?」
「真っ赤なんだけど!?」
指摘されて頬に手を当てると、ほんのりと熱が集まっていた。そのことに気付いたら急に恥ずかしくなって、ますます頬が熱くなっていく。
親友の形のいい唇と大きな目が、悪魔のようににんまりと弧を描いた。
「惚れたかぁ」
「えっ? ほっ、惚れ……!?」
「まさか、まだ無自覚? まぁ、それはそれで美味しいけど」
にやにやと笑っているけど、親友の目は優しい。
あぁ、私って、ホント単純。
「……ハイ」
──すみません、どうやら私、ツリ目先輩に惚れちゃったみたいです。