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ドーベルマンな彼

 



 人が落ちる切欠なんて些細な事が多い。しかもその瞬間はあっけない。

 『抗う』事を思い付く間もなくソコにいる。

 そうなって初めて気付く。


 ──あぁ、自分は落ちたんだ、と。




 あれはいつだったか。家路途中の住宅街の路地で小学生ガキ共が六、七人集まってるのを見かけて足を止めた。

 もともと俺は他人にあまり興味がない。所詮、自分とは違う生き物だ。全ての人間に好かれるのは絶対に不可能だ。誰が何を思おうが、言おうが、他人の評価を気にしたって仕方ないからな。

 普段なら当然無視するんだが、男児ガキどもの真ん中に一人だけしゃがみ込んで丸くなっている少女が目に入ってしまったら、さすがの俺も気にはなる。

 ガキによくある『好きな子をいじめたい心理』にしちゃ性質タチが悪い……と思ったところでタイミングよくガキの一人と目が合った。

 俺、高校二年。しかも185センチ。驚きのデカさ。かたや小学生。平均身長150弱の発展途上。身長差、約40センチ。

 見下ろす俺に慄いたガキ共は蜘蛛の子みたいに散った。残ったのは、ヤツらにいびられてたまい少女だけ。


 数秒後、ようやくガキがいなくなったことに気付いたらしい少女が、警戒しつつも顔を上げた。

 第一印象は『目がデカいな』。そのデカい目は濃い睫に縁取られていて、怯えからかしっとりと潤んでいる。それに対して、身体の大きさに比例してか鼻も口も小作りだ。高めの位置で二つに結われた髪はふわふわで、少し乱れたスカートの裾から延びる白い脚がやたらと眩し──おい、小学生ガキ相手に何考えてる俺……じゃねぇ。コイツ、俺と同じ高校の制服着てるじゃねぇか!?

 マジで高校生か? とてもそうは見えないが。てか、ガキ相手に何やってんだ?

 答えはすぐにわかった。少女の腕の間から小汚い子犬が顔を出したから。

 くぅん、と甘えて少女の頬を舐める子犬と、擽ったそうに眉尻を下げる少女を見やって、俺は思う。

 ああ、バカだコイツ。野良犬を庇って自分がやられてたのか。

 俺に気付いて一声吼えた子犬に応えるように首を回した少女の瞳が、俺を捉えてびくんと震えた。

 顔を真っ赤にしながらあたふたと立ち上がった少女は、予想以上にまい。さっきのガキ共よりもっこそうだ。なるほど、舐められるわけだ。

 一見した所、腕と脚に擦り傷ができてるくらいで大きな怪我はない。放っておいても大丈夫だろうと踏んで、俺はその場を去った。


 同じ高校らしいがあんな奴いたか? ま、偶然見かけたくらいで俺が覚えてるわけないんだが。



 ──ところが、その『偶然』とやらは案外いろんなところに落ちてるものらしい。



 翌日の放課後、部室に向かう途中の廊下を曲がったところで、鉢合わせた女子生徒とぶつかった。

 軽く接触しただけでお互いに被害はない。相手は相当急いでいたらしく、謝罪と共に走り去ろうとして「きゃん」と小さな悲鳴を上げて止まった。見ると、俺の制服の第二ボタンにふわふわした髪の毛が絡まっている。この高さに引っ掛かるとはまい奴だなと思えば。


 なんだ昨日の小娘か。


 状況を理解した小娘は焦っているのか、碌に首を動かせもしないのに「すみません」と何度も謝りながら髪を外そうと必死だ。

 おい、見えてもいない癖に無理に触るな。余計酷くなるだろうが。ほら見ろ。ますます絡まったじゃないか。ああ面倒だ。貸せ。

 触れた途端にびくんと震えた小娘の手を無理矢理ボタンから引き剥がし、ボタンに絡んだ髪を少しずつ解していく。見た目の通り柔らかい髪だ。摘んだ房を動かす度、艶やかな髪からふわりと甘やかな香りがした。

 視線を感じてふと顔を上げると、小娘がまい身体を更に萎縮させ、潤んだ瞳で俺を見上げていた。その姿が妙に被虐的だ。俺が取って喰うとでも思ってるんだろうか。危害を加えるつもりはないんだが。

 まぁいい。ちょうど髪も解けた。もう関わることもないだろう。


 そう思っていたんだが。



 その後、何故か構内で件の小娘をよく見かけるようになった。

 購買部の人だかり、登校する生徒の波の中、全校集会……他より低いふわふわの髪がいちいち目に留まる。しかも、何故か必ず目が合いやがる。

 人間ってのは、一度認識した相手が近くにいると自然と気付くようできているんだろうか。

 小娘は、俺が気付くと目を潤ませておどおどした視線を寄越してくる。近づくでもなく、離れるでもなく。


 何だ。何がしたいんだ。俺が怖いなら隠れるなり見えない所に行くなりすればいいだろうが。


 くそ。俺を苛つかせるな。



「お前、最近何かあっただろ」

 そんなことが続いたある日、教室で突然肩を組んできた悪友は、俺に向かってニヤリと笑いかけてきた。寄るな暑苦しいと睨んでも

「おぉこわ。さすが三白眼、迫力あるねぇ」

 と軽く去なされる。


 この悪友とは、性格こそ正反対だが幼馴染の腐れ縁だ。他人に無関心で、わざわざ仲良くなろうとしない俺をドーベルマンよわばりしつつ、平然と話しかけてくる数少ない輩でもある。


 その悪友がのたまうには、ここ最近、俺が常に纏っている冷たいオーラが絶対零度にまで下がっているらしい。

「恋でもしたか?」

 何故そうなる。意味がわからん。お前が一番俺の性格を知ってるだろう。

 反論したところでコイツは堪えまい。無駄な努力はしないのが俺の主義だ。目を眇めるに留めた。

 悪友が隣で「つれねぇなぁ」とか呟いているがそれも無視し、視線を窓の外に移す。


 ちょうど見える渡り廊下を数人の女子生徒が歩いていた。内一人、まいふわふわ頭に見覚えがある。間違いなくあの小娘だ。

 小娘は笑っていた。友達と一緒にじゃれ合いながら。俺に気付くことなく。

 なんだ、笑えるのか。そういえば子犬を助けたときも嬉しそうに笑ってたか。俺と会ったときはいつも泣きそうな表情なんだがな。

 それにしても、あまりに楽しげで何故か癪に障る。

「──ほぉぉ、なるほどね。お前が誰に惚れたかと思ったら、チワワちゃんか」

 耳元から聞こえた悪友の声に我に返り、俺の眉間の皺が一層深くなった。

 顔寄せるな。勝手に視線盗むな。そして何故そうなる。いい加減にしろ。年中女のケツを追い掛け回してるお前と一緒にするな。

 それより何だ『チワワちゃん』て。

「あのだよ。なんか似てるだろ?」

 確かに似てなくはないが。

「可愛いよな。いつも笑顔だし」

 知らん。俺に対してそんな表情かおを見せたことがないからな。

「へー、お前がチワワちゃんねぇ……。オレはチワワちゃんのお友達ちゃんの方が好みだけどな。美人だし、胸デカいし」

 おい、俺の話聞けよ。

 悪友は苦笑し、さらに小娘情報を並べた。身長146センチ、動物好き、一年C組、成績、部活動、血液型に誕生日、等々。放っておくとスリーサイズまで言いかねん。いやそれ以前に何故お前がそこまで知っている?

 悪友は俺の質問には答えず、下品な笑みを浮かべた。

「ま、ドーベルマンとチワワでちょうどいいんじゃね? 落ちちまえよ。フォーリン・ラブだ」

 本気マジでシめるぞ。

「メイク・ラブのがいいか?」

 ──死ね。



 まったく苛々する。俺が恋してるだと? しかもあの小娘に? 冗談も大概にしろ。

 まぁいい。無視だ、無視。


 気にしなきゃいいだけの話だ。



 数日後、また小娘を見かけた。今度は近所の公園で、綺麗に洗われ真新しい首輪をした子犬とハトに餌をやっていた。

 あの子犬は、どうやら自分で飼うことにしたらしい。

 餌をあげたい小娘と狩猟本能からか鳩を追いかける子犬、逃げ惑いながらも餌を諦め切れない鳩。

「わっ、わっ、ちょっと、ダメだよ!」

 楽しげに微笑みながら、子犬に翻弄されてくるくる回る小娘の髪がふわふわと踊る。

 何がしたいのかわからん。まず子犬を動けないようにすれば万事解決だと思うんだが。

 ──まぁいい。向こうが俺に気付いてるわけでもないし。無視。



 それからまた数日後。部活後の下校途中に突然肩を組まれた。

「おっ、ちょうどいいところに。ちょっと付き合えよ」

 わざわざ確認しなくてもわかる。この声と、俺に対して遠慮なくこういうことをしやがるのは悪友しかいない。俺は溜め息をついた。

「そんな嫌がらなくてもいいだろ?」

 俺は早く帰りたいんだがな。部活で汗掻いて身体がべとついてるし、腹も減っている。

 だいたい、どこへ連れて行くつもりだ?

「すぐそこのコンビニ。エロ本買いに」

 一人で行け!

 そのときだ。切羽詰まった女の声と共にばたばたという足音が後ろから聞こえてきたのは。

「すっ、すみませんっ! 退いてください!」

 振り返ると、セントバーナードが二匹こちらに向かって猛進していた。

 おいおい飼い主、ちゃんと制御しろ。ここは公道だ。

 と言っても超大型犬二匹にあの勢いで追突されるのは勘弁被りたい。俺と悪友は歩道の隅に寄った。代わりに、躾すらできない舐められ切った主人の顔を拝むことにする。

 俺たちの前を通過するセントバーナードの足下を、もう一匹、見覚えのある子犬が走っていた。

 つまりだ。こいつらの飼い主は……

「あっ……!」

 通り過ぎざま目が合った小娘が声を上げる。やっぱりお前か。てか、何だよ「あっ」って。それとその表情かおやめろ。

 小娘は犬共に完全に主導権を握られながらも、いつものおどおどした表情で俺の方を何度も振り返り、引き摺られて行く。

 そんな状態でよく俺に気付いたな。いやそれよりも、ちゃんと前を見ないと危ないだろうが。転んでも知らんぞ。

 ふわふわの髪を靡かせながら小娘が角を曲がって見えなくなったところで、隣から特に今は絶対に聞きたくなかった声が聞こえてきた。

「お前、チワワちゃんといつの間に知り合ったんだよ?」

 案の定、悪友はニヤニヤと殴りたくなるような笑みを浮かべていた。

 経緯を説明するのも面倒なんだが。

「そう言うなって。教えろよ」

 何故お前に教えなきゃならない。教えるようなことは何もないし、第一、俺はあの小娘になんの興味もない。

「ふぅん……言いたくないんだ。あーあ、悲しいね。オレ、お前の親友なのになぁ。親友にも話せないとは」

 下手な泣き真似は同情どころか反感しか生まないし、俺はお前のような下品な親友を持った覚えはない。

「ちぇ。しゃーねぇなぁ……。じゃ、コンビニ行こうぜ☆」

 アホか。俺は帰るからな。



 まったく、小娘といい悪友といい、何なんだ?

 俺をそんなに苛つかせたいのか。

 ──無視だ、無視。無視に限る。他人を気にしても、いいことなんて一つもない。


 悪友は明日一発殴るとして、小娘は無視だ。同じ学校にはいるが、無視していればそのうちまた、その他大勢に埋もれて気にならなくなるだろう。



 そう決めたばかりだってのに。

 何故あの子犬の切羽詰まった鳴き声が聞こえてくるんだ。気になるだろうが本当にムカつくな!


 様子を見に通りがかった公園に入れば、芝生広場の真ん中にあの子犬がいた。俺のいる方に向かってキャンキャン吼えている子犬の周りには、いるはずの飼い主がいない。

 あの小娘、飼うんじゃなかったのか? どういうつもりだ?

 俺が近寄って行くと、子犬は何故かやたらと嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振り始めた。ダメだこいつ、全然番犬に向かねぇ……。

 目の前まで来てようやくわかったが、どうやら子犬が勝手にどこか行かないようには配慮しているらしい。子犬の手綱の先には重りらしきものが括り付けられ、側には水の入った皿が置かれていた。

 おい、お前のご主人はどうした。

 子犬が擦り寄ってきて、俺の足をクンクンと嗅ぎ始める。おい、まとわりつくな。動けなくなるだろうが。

 俺が言っても子犬は聞く耳を持たず、俺の周りや足の間を行ったり来たり。あっという間に縄が足に絡まり身動きが取れなくなった。

 俺が諦めて溜め息をついたとき、背後からあの小娘の声が聞こえてくる。

「危ないっ、避けて!!」

 は?

 振り返るのと同時に、腰のあたりにドガッという重い衝撃を受けた。

 足に自由が効かない状態で、まったく構えていない方向からの予想外の強い力。当然受け止めきれるはずもなく、俺はなす術もなく倒れた。

 直後、俺の身体の上に何か重いモノが乗っかり、顔をベロベロと舐めてくる。顔中を舐め回されて目も口も開けられない。腕で退かそうと試みたが、もふっとした手触りのそれは想像以上に重く、下にいる俺に勝ち目はなさそうだ。

「ちょっ、やめなさい! こら!!」

 小娘の声がしてしばらくの後、ようやく俺の上から重いモノが退いた。手の甲で目の周りを拭いながら上体を起こすと、目の前に、あの馬鹿でかい二匹のセントバーナードがいた。嬉しそうに尻尾を振りながら、まだ俺に向かって突進しようとしている。それを、小娘が全体重をかけて後ろに引っ張っていた。

 飼い主の癖に嘗められ過ぎだろう。

 俺がそう思ったとき、小娘が二匹の名前らしきものを呼び、命令する。

「伏せっ! 待て!!」

 途端に二匹のセントバーナードが大人しくなり、その場に伏せてハッハッと息をしながら期待の眼差しで小娘を見上げる。小娘は両手でその頭を撫でながら褒め、次いでタオルを手に俺の脇にしゃがみ込んだ。

「本当にすみませんっ! 怪我とかないですか? 立てますか? これ何本に見えますか?」

 焦りまくっている小娘が俺の目の前で数本指を立てた右手をぶんぶんと振る。

 三本だ。数えさせたいなら振るな。そんなに早く振ったら見えるものも見えん。それに、この程度で怪我する程ヤワじゃない。

 小娘が何度も謝りながら俺の顔を拭く。

 いや、それくらい自分でできる。

 俺は小娘からタオルを受け取り、自分で顔のベトベトを拭った。家に帰ったらソッコーでシャワーだな。まったく、酷い目にあったもんだ。

 俺の足に絡まる子犬の縄を解いて涙目でしきりに謝り続ける小娘に、もういいと告げると、急に大人しくなって俯いた。──おい、頼むから泣いてくれるなよ?

 一通り拭き終えて立ち上がろうとしたところで、小娘が「あの」と声を発する。

 何だ?

 顔を向けると、ちょうど同じ高さに小娘の顔があった。そういえば、目の高さが合うのは初めてだな。


 小娘は相変わらずの潤んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめ返すと、ふわふわな髪を揺らしてふんわりと微笑んだ。俺だけに向かって。


「先日は、どうもありがとうございました」


 呑んだ息が、塊になってストンと俺の胸に嵌まった。



 ──ああ、最悪だ。




 どうやら俺は、落ちたらしい。



 

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