第一話「滅びの使者」
「……どこだ、ここ」
目を覚ましたら、見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。
確か俺はトラックに撥ねられたはずなんだが、なぜか外傷は見当たらない。それどころか……
「身体が……軽い」
そう、身体が異様に軽い。まるで自分の身体の重みを感じない。どこか浮いているような感覚がある。
「おお、起きなさったか。大丈夫かね?」
自分の身体の異変に戸惑っていると、部屋のドアが開いて、老人がひとり入ってきた。
優しそうな老人だ。少なくとも俺に対して敵意や害意はない。
「大丈夫かね? 気絶しとったようだが……」
ベッドの横に置いてあった椅子に座り、心配そうに聞いてくる。
「ええ、大丈夫です。あの、ここは?」
「ん? ここは私の家じゃよ。たまたま君が村の近くで倒れとったんでのぉ、運んできたんじゃ」
「そうですか、ありがとうございました」
そう言ってふと気付く。一体何年ぶりだろうか、「ありがとう」なんて言ったのは。
使う場面に恵まれなかったせいで(半分自分で放棄していたが)長いこと忘れていた言葉だ。
「いやいや、構わんよ。しばらくゆっくりしていきなさい」
「すみません、ご迷惑をおかけしたようで」
「構わんよ、このくらい。ところで……君はどこの国の人かね? 見慣れん服を着ているようだが」
「は?」
一瞬意味がわからなかった。どこの国って、ここは日本じゃないのか?
それに見慣れない服って……こんな制服ぐらいどこにでもあるだろ?
「え、と、日本ですが」
「ニホン? どこかねそれは、聞いた事の無い地名だが」
俺は、自分の耳を疑った。日本がわからないって、しっかり日本語で会話しているんだが。
「あの、ここは日本じゃないんですか?」
「何を言っとるんだ? ここはカスカ村じゃよ」
どこだよ、それ。少なくとも俺の頭の中には、そんな地名はない。
だが、この老人が嘘をついているようには見えない。少なくとも、ここは日本ではないようだ。
「……カスカ村って、どこの国なんですか?」
「サン・ド・クルス王国じゃが」
そんな名前の国は無いはずだが……。いや、俺が知らないだけかもしれない、聞いてみよう。
「それって、何大陸にあるんですか?」
「何を言っとるんだねさっきから。アルテリア大陸に決まっているだろう」
決定的だった。地球上にそんな大陸は存在しない。となると、導き出される結論は一つ。
「異世界……なのか」
認めたくは無い、余りに非現実的な事だ。しかし……
「どうかしたのかね? 気分が悪そうだが」
俯いて考えているのを、気分が悪くなったと勘違いしたらしい。心配そうに聞いてくる。
「あ、いえ、大丈夫です」
「ふむ、そうかね。無理しなさんなよ」
「ええ」
さて、どうするか。何かしようにもこの世界の事を知らないし、頭も混乱してる。
この老人に話してみるか。悪い人じゃ無さそうだし、力になってくれるかもしれない。
「お爺さん、実は……」
俺は、目の前にいる老人に異世界から来たのかもしれない事を話した。
「……!」
一瞬、強烈な敵意……いや、殺気を感じた。老人は笑顔のままだが、間違いなく、先程の殺気はこの老人の物だ。
「……そうかね。わかった、協力しよう。少し待っていたまえ」
そう言い残すと、その老人は部屋を出て行った。部屋が静寂に包まれる。
それにしても、先程の老人の様子は明らかにおかしかった。一体どうしたんだ?
十分後、再び、今度は大量の殺気を感じた。明らかに様子がおかしい、老人も返ってこない。
恐らく、殺気の対象は俺だろう。理由はわからんが、どうやらやばそうだ。
幸い、部屋には窓があった。ここは一階のようだし、ここは逃げよう。
俺は、ベッドから這い出ると、窓から部屋を抜け出した。
「……しまった! 滅びの使者が逃げ出したぞ!」
窓から出た後直、部屋の中からそんな声が聞こえてきた。
滅びの使者って……俺のことか、やっぱり。
「いたぞ、窓から逃げやがった!」
窓から顔を出した男に見つかってしまった。相当殺気立っているようだ。
しかし、幸い距離が離れていたので、何とか逃げられたようだ。追っ手の姿は見えない。
それにしても、身体が軽い。さっきだって、いつもよりもずっと速く走れた。一体どうなってるんだ?
「来たぞ! 殺せ! 奴は滅びの使者だ!」
くそ、待ち伏せか。村の出口のような場所まで来ると、数人の男たちが待ち構えてきた。
全員、桑などの凶器を持って向かってくる。しかも後ろからは追っ手が迫ってきた。
「くそ、挟み撃ちか」
どうする? 後ろは数が多い、前は凶器持ちだが数は少ない。それに門があるのは前だ。ここは……
「正面突破だ」
俺は、門に向かって走り出した。目前に凶器を持った男たちが迫る。
「喰らえ、悪魔め!」
男たちの内のひとりが、桑を振り下ろしてきた。何の躊躇も無い、本当に殺す気のようだ。
「このぉ!」
だが、俺もまだ死ぬ気は無い。振り下ろされた桑を受け止めようと、手を出した……その時だった。
バキッという音がしたかと思うと、俺が掴んだ桑は、木の枝か何かのように簡単に折れてしまった。
何なんだ、今のは。俺はただ握っただけなんだが。
「ひ、ひぃぃ、化け物だ」
桑を振り下ろしてきた男が腰を抜かしながらそう言う。化け物……か。
この間までただの中学生だったんだが。
「くそ、滅びの使者め」
近くにいた男が叫ぶ。滅びの使者って一体何なんだ?
その男を問いただそうとしたが、後ろから追っ手が迫ってきたため、そのまま門を潜って外に出た。
「ハァ、ハァ、ハァ」
どのくらい走っただろうか、村を出た後も、暫く村人たちは追ってきた。
しかし、なぜかいつもよりも速く走れたお蔭で、追っ手は直に振り切れたのだが、何となくそのまま走り続けた。
今は草原のど真ん中にいる。
「ハァ、ハァ……ふぅ。それにしても、一体滅びの使者って何なんだ?」
「フフ、教えてあげましょうか?」
振り返ると、そこには角と翼の生えた女が、微笑みながら立っていた。
何だ、この女は?