おっとこ令嬢はいけない 〜お嬢様のはしたないご発言のせいで、僕の心はいつも揺れ動いてしまう〜
よく晴れた日の、とある昼下がりのこと。
「おほっ。いい執事。やらないか、ですわ!」
ふと見てみれば、園庭の噴水広場に置かれた白いガーデンベンチに、一人の若い女性が足を組んで優雅に座っていた。
目が覚めるような青いドレスを華麗に着こなしていらっしゃる。
そして何故だか清々しいほどのドヤ顔だ。
薔薇や百合の咲き溢れるこの美しい庭園において、お嬢様の佇まいはきっと絵になるであろう光景なのに、その桜色の潤った唇から発せられた言葉ときたら……。
つい唖然としてしまった僕に満足したのか、お嬢様がニヤニヤとしながら続ける。
「あっらぁ〜? いいんですの〜? そんなにホイホイと立ち止まってしまって。私はノンケだろうと――」
「――お嬢様。さすがにそれ以上はいけません」
「おぅふっ」
さすがに、これ以上はいけない。
ご令嬢様として間違いなくよろしくない。
どうしても僕はスルーすることができなかったのである。
ご発言をスマートな言葉で制しつつ、咳払いと共に淡々と続きを述べさせていただく。
「アイビィお嬢様。今このご時世では、そちらはセクハラに該当してしまいます。人の上に立つ者として、どうかお控えいただければ、と」
あくまで失礼のないように、深々と頭を下げながら嘆願するのが立場が下の者からの物申し方だ。
僕は一介の執事でしかない。
主に身の回りのお世話を仰せつかっている。
今日の彼女は自室で歴史の授業を受ける日だと思っていたのだけれども、おそらくは一時の休憩として、この庭園にまで羽を伸ばしにきたのだろう。
そこでちょうど捕まってしまったというわけか。
気晴らし相手に説教を向けるというのも忍びないのだが、どんなときであれ厄介な枝葉を広げそうなときは、芽のうちからでも慎重に摘み取っておかねばならなければと僕は思う。
「コホン。聡明なお嬢様であれば、お分かりいただけますね?」
「……んもうーっ。せっかく面白いお話を仕入れてきたといいますのにぃっ」
ぷくりと頬を膨らませた彼女は、何とも言えない愛嬌があってとても愛らしい。
アィビィお嬢様はこの大邸宅の一人娘だ。
まだ齢17の快活明朗な女の子ではあるが、とても歴史のある名家のお生まれで、お若いながらに博識で聡明で思慮深い存在だと、既に領民の皆から慕われ始めている。
見た目のほうも最近になって急に大人びてきたようで、その立ち振る舞いは既に淑女のソレと言っても過言はないだろう。
……茶目っ気だけが、たまに、珠にキズ。
持ち前の好奇心旺盛さ悪さをして、ただ一つ、言動にだけ一抹の不安を覚えてしまうというのが、ここ最近の僕の悩みの種なのである……っ!
「……ハァ。お嬢様。そもそもどこでそのような言葉を覚えてきなさったのですか」
「えっへへぇ。それはナイショですの。乙女のヒミツの会合を明かすわけにはいきませ――はっ!? な、何でもありませんわッ」
「なるほど。侍女団の入れ知恵でしたか」
誤魔化すように下手な口笛を吹き始めた彼女だったが、残念ながら、日々おそばにお支えしている僕には全てお見通しである。
おおかた礼儀作法の講義の際に、侍女の誰かに吹き込まれでもしたのだろう。
もしくは自ら進んで情報を仕入れにいったかの二択だ。
いずれにせよこのまま放置しておくわけにはいかないよな。
お嬢様の今後のためにもよくないだろうし、僕も、僕の雇い主に怒られたくはないのだ。
「……ともかく、お嬢様がどこで覚えられたのかは存じ上げませんが、あまり人前で発してよい内容ではありませんからね。領民の誰かに聞かれでもしたら」
「それくらいは分かっておりましてよぉ。私だって相手を選んで言っているつもりですし!」
「であれば、尚更にダメですよ」
僕だから大丈夫であるというのは理由にはならない。断固としてプイと顔を逸らすことで、相手にしてさしあげるつもりがないことを暗に示してみる。
冷たいことを言うようだが、未来の領主たるお人が特定個人に甘えるのも芳しくない状況だと僕は思う。
それに、同じ台詞を耳にして、勘違いをしてしまうような輩が出てきてしまったらどうするおつもりなのだろうか。
まったくもう。常日頃から貴女をお守りする側の立場もいうのも考えていただきたい……!
彼女の目を見つめて説得を試みる。
……少しは効果があってくれたのだろうか。
「ふぅむ。仕方がありませんわねぇ。分かりましたの。もうヤりませんの」
まだ口を尖らせてはいたが、組んでいた足を元に戻して、ちょこんと姿勢良く座り直してくださった。
どうやら納得していただけたらしい。
聞き分けが良くてありがたい。
今回のイタズラもちょっとした息抜きとして、適当に通りかかった誰かに、言葉遊びを仕掛けようと目論んでいたにちがいない。
むしろ現れたのが見知った僕だったからこそ、喜んでネタをふっかけてきたとも考えられる。
「……それで、反省されているわりには、お顔のニヤニヤが変わっていないように思いますが」
「ふっふっふっ。駄目と言われるとシたくなるのが乙女という生き物ではありませんこと? 私のこの胸を見て思うことはありませんの? すごく……大き――」
「アイビィ様」
「うぅ……」
また悪ノリを始めそうな雰囲気を感じたので、自分にできる精一杯低い声色で名前をお呼びしてみる。
はっと我に返ってくださった。
どうして彼女はこんなにも見目麗しいのに、そのお口から発せられるご冗談には少しの品性も感じられないのか。
特に最近は下のネタが多すぎる。
……きっとお年頃なのだろう。
窮屈なお屋敷生活がそうさせているのかもしれない。
そうは言っても、やはり一介の執事の僕には、改善してさしあげられるようなチカラや権力まではないのだけれども。
「……あまりお戯れが過ぎますと、また旦那様に釘を刺されてしまいますゆえ。気晴らしがお済みになりましたら、どうかお早めに部屋にお戻りください。本日はこの国の歴史を学ばれる予定なのでしょう?」
「んむぅ。アナタはいつも釣れませんのねぇ」
分かりやすく口を尖らせて拗ねていらっしゃる。
「ふっふっふっ。ですがご安心なさいまし。歴史なら既にココにキチンと入っておりましてよッ! 昨日パパッと覚えましたもの!」
コロコロとよく表情を変えるお方だ。
今はもう満面のドヤ顔をしたまま、指で自らの頭をトントンと小突いている。
暗記には相当な自信があるのだろう。
もちろん優れているのは記憶力だけではなく、読解力に計算力に、はたまた身体能力に至るまで……。
正直、できないことは何もないと言ってしまいたくなるくらいに、お嬢様は完璧な人間だ。
だからこそ僕が余計に矮小な存在に思えて、凹んでしまいそうになる日もある。
昔から背は小さいし、身体も薄いし、これといって愛嬌もなければ度胸もない。
せめてお嬢様のように自信を持てれば……だなんて、そんな取り留めもない絵空事を思っては一人行き場のない溜め息を吐いているだけの毎日だ。
しばらく目を伏せていたが、前を向き直した際に、ふとお嬢様と目が合った。
無垢な瞳が僕を一心に捉えている。
そして……何故だかまたニヤリと笑われて。
「ふふふ。それに私、最近は武術も上達してきましたゆえ。ほら、お腹周りがスッキリしてきた感じがしませんこと?」
「まったく。まだお続けになら――ッ!?」
咄嗟に目を逸らした。
だから幸いにもほとんど見えてはいない。
青いドレスをペロンとめくって、まさに透き通るように白くて、シミ一つない柔肌が見えたような気がしなくもないが、決して見てはいないッ。
いや、問題はそもそもソコじゃない……ッ!
いくら庭園の植え込みに囲まれているとはいえ、成人にも満たない乙女が人前でドレスをたくし上げて、あまつさえキメ細やかなお腹を他人に見せようとするなどと!
「お嬢様! なんて不埒なご格好を!」
「ふぅむぅ? 別にこれくらいは普通ではありませんこと? 私も相手を選ぶと言っておりますしぃ」
「僕だから良い悪いの話ではないのです!」
大袈裟に咳払いをしつつ、直視は避けながらも言うべきことをしっかりと注意させてもらう。
お嬢様を正しい淑女へと導いてさしあげるのも、僕の、そして執事の役目なのだから。
「とにかくっ! 早く隠してください。そのままでは、その、世の男性が目のやり場に困ってしまいましょうから」
「目の、ヤり場ぁ? つまりはハッテン場ッ!?」
「本当にどこで覚えられたんですかッ!? ご自分で直す気がないなら……くっ。仕方ない。失礼しますよ。コレは不可抗力ですからね!」
ああもう、ただでさえ綺麗に着るのに時間の掛かるドレスを、こんなにも適当に着崩されてしまっては……!
あえてお嬢様に聞こえるように大きめの溜め息を吐きつつ、腰回りの衣服を順々に整えてさしあげる。
……顔が近い。
肌にも直接触れてしまっている。
彼女の体温が、息遣いが、否応無しに伝わってきてしまう。
けれども動揺する心を表には出さず、あくまで所作は最小限に抑えて、テキパキとスマートにこなしていく。
これができなければお嬢様の執事失格だ。
実際、彼女の腹筋を実際に触診して確かめられるタイミングも何度かあったわけだが、執事の精神に徹して、やらなかった。
だって、僕は執事だから。
彼女のそばで彼女を支える役目なのだから。
「…………はい、終わりましたよ」
会ったときより綺麗に整えてさしあげた。
どこに出しても恥ずかしくない自慢のお嬢様だと思ってはいるが、そっぽを向きながら、あくまでぶっきらぼうにお伝えしておく。
「ふふっ。照れちゃってますの。お可愛らしい」
唇に人差し指をあてて、優雅に小指を立てて、ケラケラと笑いかけてくる。
「て、照れてなどいません! 執事は常にポーカーフェイスが基本なのです。どこを見てそのようなことをおっしゃるのか」
「強がっちゃってぇ」
「強がる理由が分かりかねます! 恥ずかしいと思う理由など、もっと分かりかねますッ!」
執事なのだから当然のことをしたまでだ。
それに僕はお嬢様に対して、下心なんて汚い感情を抱いたことはない。僕のお嬢様への思いは、そんな浅はかでチープなモノじゃない……!
悔しいが、拳を握りしめて反論する。
彼女は一瞬だけキョトンとした顔になったが、すぐにまた顔に微笑みをお戻しなさった。
まるで謎を解き終えたかと言わんばかりに、清々しい顔をしていらっしゃるのだ。
「ふふふ。でも私はアナタに恥ずかしがられるの、嬉しく思いましてよ? それだけ意識してくださってるってことですものね。こんなにも美しい美女を前にしては、当然のことと思います」
「べ、別に意識など――」
「――それとも。恥ずかしくないとおっしゃりたいのは、貴女が私と同性だからでして?」
「ッ!?」
彼女はそっと僕の手を取って、ふわりと手の甲を撫でてきた。まるで弄ぶかのように何度も。そう……何度も。
でも僕は、その思わせぶりな行為よりも発言のほうに気を取られてしまって、何も動けなくなっていたのだ。
……核心を、突かれてしまった。
正直に言って僕はお嬢様のことが好きだ。
ずっとずっと昔から。
それこそ自分が侍女だった頃から。
お嬢様に悪い虫が付かないようにと、わざわざ執事団に転向させてもらったくらいには。
「強がっていらっしゃるところ恐れ入りますけれども。残念ながら私には、貴女が私を意識してくださっているように思えて仕方がありませんのよねぇ。
ふふふ。宝石のように私を扱う貴女の手付き、敬意以上の慈しみを感じられちゃうんですもの」
「ぐッ……!」
図星すぎて何も言い返せない。
事実、彼女の綺麗な身体に触れるだなんて畏れ多いと、先ほどはずっと指先が震えてしまっていたくらいなのだから。
「でも私、さっき言いましたわよね? 私はノンケだろうと何だろうとって。嘘偽りなく、私は貴女に一番に心を開いているつもりです。そしてそれは貴女が執事になっても侍女であった頃でも、何一つ変わってはおりませんでしてよ?」
「くっ……」
「そーれーにッ。殿方の多い執事団において、少しでも私に悪い虫が付かないようにと、自ら進んで転向してくださったのでしょう? それこそ最も献身的な愛ではありませんか。応えねば女が廃るってモンでしてよ」
ふふん、とお嬢様は得意げに鼻を鳴らす。
まさか、気付かれていたとは。
余裕そうなその表情ではあったが、やけに熱っぽい視線が僕に一心に向けられていた。
蛇に睨まれた蛙……というと、お嬢様に失礼か。
今度ばかりは目を逸らすことができなかった。
吸い込まれそうな青い瞳に、顔を真っ赤にした自分自身が映ってしまっている。
自覚して、更に恥ずかしくなってしまって。
今すぐにでも噴水に飛び込んで頭を冷やしたくなってしまったが、今ここで大きな音を立てられる勇気までは、僕にはない。
悔しいけれど、いつも思っている。
彼女は誰よりも強くて、男前な方なのだと。
それこそ男の格好をしているだけの僕なんかよりも、ずっとだ。
「さぁこっちにいらっしゃいなさいな。頑張っているアナタを、この私がクレバーに抱きしめてさしあげますの。あ、安心してくださいまし。少しばかり頭を撫でるだけですゆえ」
強引に腕を引っ張られてしまい、体勢を崩してしまう。彼女の言葉に抗える気力もなかった。
たった今自分で直してさしあげたばかりのドレスに、ふんわりと包まれる。
……優しい花のような良い匂いがする。
僕がまだ駆け出しの侍女だった頃に、傍で毎日のように感じていた香りだ。
彼女の懐かしい温もりを感じて、自然と笑みが零れてきてしまった。
……そして何故だか、涙も零れてきた。
きっと強がりという名の堤防が決壊して、寂しさと切なさと、そして喜びとがいっぺんに溢れてきたせいだと思う。
しばらく、胸の中で泣かせてもらった。
「ふふっ。貴女が私を大切に思ってくださっているように、私もまた貴女を愛おしく思っておりましてよ。どこの誰よりも、ですの」
彼女の天真爛漫さの向こう側には、確かな慈愛と包容力と、そして何よりの愛情が感じられる。
……一方の僕はちっぽけなままだ。
この光景、誰にも見られていないといいけど、なんて……お嬢様の心を知れた今このときでも世間体を気にしてしまうのは、やっぱり僕が小心者だからなのだろう。
僕も、お嬢様くらい強くなりたい。
胸を張って思いを伝えられるようになりたい。
性別の壁も、身分の壁も……全て乗り越えて。
「さて。というわけで善は急げですの。お父様とお母様にお伝えしておきますわね。やっぱり両思いでしたのって」
「へっ……? へぇぇぁ!?」
え、ちょっと。
ちょっと待ってくださいお嬢様!?
さすがにそこまで話が進むとは思ってない。
こ、これ以上は本当にいけませんよ!?
お嬢様!? お嬢様ぁああッ!?
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
……これは半年も後の、いわゆる後日談というヤツなのだけれども。
あれから毎日のように初心だの純粋だのと執拗にからかってくるお嬢様に反撃して、小一時間ほど本気で説教してとっちめて、ようやく吐いてくださって分かったことがある。
どうやらあの日の出来事は、執事団と侍女団の皆が結託することで、あらかじめ仕組まれていたモノだったらしいのだ。
僕が庭園に向かうように仕向けられていて。
そこではお嬢様がしめしめと待ち構えていて。
……ぐぅ。その策略のおかげでぇ……!
しかも聞き出してみれば、お屋敷の従者だけでなく、まさかの旦那様と奥様までもが一枚噛んでいらっしゃったのだと判明した。
もはや空いた口が塞がらなかった。
知らなかったのは僕だけだったのだ。
お嬢様と、庭園のベンチで、また二人きり。
「ふぅむ? だって貴女。私がずぅっと待っているといいますのに少しも手ぇ出してこないんですもの。もう焦ったくて。だから皆様に頼み込んでみましたの」
「ど、どういうことですかそれ」
「トントン拍子の快諾でしたの」
「はぁあぁぁあっ!?」
ホントに僕だけが笑い者ってことじゃないかぁ!
い、今となっては遠巻きから温かく見守ってくれる人が多いのはありがたい限りなのだけど、それでも、なんというか、そのぉ……。
「ふふふっ。主人と従者の禁断の恋愛だなんて唆るではありませんか」
じゅるりと舌舐めずりをするお姿には品性のカケラもない。こんなの全然淑女的じゃない。
あ、あとで注意しておかなければっ。
「いやそもそも、性別の時点で十分に禁断だと思うんですけど……」
「ふぅむ? これからは多様性の時代でしてよ? 外野から下手なことを言う方がいたら、この私がズバッと言ってさしあげますからご安心なさいましッ」
「……ホント男らしいですよね、お嬢様は……」
ドヤ顔で胸を張る彼女は、とても頼もしくてかっこよかった。
いつもだいたいお嬢様のほうがかっこよくて、ズルい。そして執事である僕の面目が立たないのもかなりマズい。
ああもうっ。
お嬢様の腕に抱かれながら、僕はひっそりと決意を胸にする。
いつか、絶対どうにかしなければぁ……っ!
実行に移れる日は、まだ到底分かりそうもない。
……地味に悔しい。
【完】
好きだと思っていただけましたら、
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他にも……おっとこれ以上はいけない(*´v`*)




