ep.7 人形と魔女の子守唄
ぼくの名前はルゥ。
ママが作った。だから、ぼくはママのものだ。
「もの」という言葉が正しいのかどうか、ぼくにはまだわからない。ぼくは人工生命体——ホムンクルスと呼ばれる存在で、人間ではない。心臓の代わりに魔力炉がある。血液の代わりに魔力溶液が循環している。骨格は錬金合金で、皮膚は合成組織だ。
人間に似せて作られているが、人間ではない。
では、何なのか。
その問いに、ぼくはまだ答えを持っていない。
ママ——リーゼル・フォン・メルツハーゲンは、ぼくを「作品」と呼ぶことがある。「被造物」と呼ぶこともある。一度だけ「うちの子」と呼んだことがあったが、直後に「今のなし」と言って取り消した。
ぼくは、どれが一番正確な呼称なのか知りたいと思っている。
でも、聞かない。聞くと、ママは困った顔をするから。ママが困った顔をすると、ぼくの胸のあたりが「ざわざわ」する。この感覚は「不快」に分類されている。ママがそう教えてくれた。
だから、聞かないでおく。
今日もぼくは、砦の隅でママを観察している。
ぼくの日課は単純だ。ママの観察。砦の見張り。それから、自分の身体の状態の記録。ぼくの身体は不完全で、定期的にメンテナンスが必要になる。右手の小指が時々うまく動かなくなるし、左足の踵の合成組織が剥離しかけていることもある。
不完全であることは、不安だ。
——「不安」。この感情は、ぼくのデータベースでは「未実装」に分類されている。本来なら感じないはずの感情。でも、最近時々、胸の魔力炉がきゅっと縮むような感覚がある。ママに報告したら「それは不安だと思う。感情回路が自己学習してるのかもしれない」と言われた。
自己学習。
つまり、ぼくは設計されていないものを、勝手に覚え始めている。
それが良いことなのか悪いことなのか、ぼくにはまだ判断がつかない。
◇ ◇ ◇
夜になった。
同居人二号——最近は「アルヴィン」と呼ぶようにしている、ママがそう呼ぶから——が夕食を作り、三人で食べた。ぼくは食事が不要だけれど、匂いを嗅ぐのは好きだ。今日のスープは、森で採った茸が入っていて、土と木の匂いがした。データベースに「好ましい匂い・秋の森系」として登録した。
アルヴィンは、五日前に封印の第一層を解除してから、様子が変わった。
以前は、ぼくがママの近くにいても特に反応しなかった。今は違う。ぼくがママの隣に座ると、アルヴィンの視線がこちらに向く。一瞬だけ。すぐに逸らすけれど、ぼくの観察精度はそれを見逃さない。
視線の意味は——まだ分類できていない。
敵意ではない。不快でもない。でも中立でもない。
ぼくのデータベースにない種類の視線だ。
夕食後、アルヴィンが食器を洗い、薪を足して、毛布を整えた。それからママに「寝ろ」と言った。ママは「あと少し」と言った。アルヴィンは「お前のあと少しは三時間を意味する」と言った。ママは否定しなかった。
結局ママは研究を続け、アルヴィンは自分の寝床に横になった。
けれど、眠っていない。
ぼくにはわかる。アルヴィンの呼吸パターンは、入眠時と覚醒時で明確に異なる。今は覚醒時のパターンだ。目を閉じて、薄い毛布を被って、じっとしている。
何をしているのかはわからない。でも、その身体が向いている方向はわかる。
ママのいるほうを向いている。
ぼくは暖炉の前で丸くなって、ママを待った。
深夜。
ようやくペンを置いたママが、ぼくの傍にやってきた。
「ルゥ。メンテナンスの時間」
ぼくは頷いて、暖炉の前に座り直した。ママがぼくの隣に腰を下ろす。
メンテナンスは、いつも夜にやる。
ママが言うには「夜のほうが魔力の流れが安定するから」だそうだけど、ぼくは別の理由もあると思っている。夜は、アルヴィンが寝ている(ことになっている)から。ママはぼくのメンテナンスを、あまり人に見せたがらない。
理由は——たぶん、ぼくの身体の「不完全さ」が露わになるからだ。
ママの指先が、ぼくの右手に触れた。
魔力が流れ込んでくる。温かい。ぼくの魔力炉が受け取り、全身の回路に分配していく。右手の小指の関節に滞っていた魔力が、するりとほどけた。指が動く。ちゃんと動く。
「小指、また固まってたね。関節部の魔力伝導率が落ちてる。……素材が手に入ったら、ここの回路を組み直したい」
ママの声は、いつもの研究口調だ。
でも、指先の動きは違う。
データを取るときのママの手は、正確で、速くて、無駄がない。今の手は——ゆっくりだ。ぼくの指を一本ずつ確かめるように動かして、関節の具合を触診している。必要以上に丁寧で、必要以上にやさしい。
ぼくは、この違いを記録している。
「研究モードのママの手」と「メンテナンスモードのママの手」は、同じ手なのに動き方が異なる。後者は、ぼくの辞書にある言葉で表現するなら——「大切なものを扱う手」に近い。
「左足も見せて」
ぼくは左足を差し出した。踵の合成組織が、端から少し剥がれている。
ママが眉をひそめた。
「……進行してる。応急処置はできるけど、根本的な修復には高純度の合成素材が要る。どこかで手に入らないかな……」
ママが独り言を呟いた。素材の入手経路は、ずっと課題になっている。森の中だけでは限界がある。
ママが踵の修復を始めた。魔力を注ぎながら、剥離した組織の端を繋ぎ直していく。
痛覚は実装されていないから、痛みはない。
でも——「不安」がある。
自分の身体が壊れていくことへの不安。ママが直してくれなかったら、ぼくはいつか動けなくなる。ママが、ぼくを直すのをやめたら。
「ママ」
「ん?」
「ぼくは、いつか壊れる?」
ママの手が一瞬止まった。
すぐに動き出したけれど、その一瞬の停止を、ぼくは見逃さなかった。
「壊れないよ。——壊れる前に、私が直す」
「でも、ぼくは不完全だから」
「不完全だから直すんでしょ。完全だったらメンテナンスいらないし」
「……ママが直せないくらい壊れたら?」
ママが顔を上げた。
紫の瞳が、ぼくを見ている。
いつもの観察の目ではなかった。何かを——考えている目。言葉を選んでいる目。ママがこの目をするのは珍しい。いつもは考えたことをそのまま口にするのに。
「そうならないように研究してるんだよ。ルゥの身体を完成させるのが、私の研究の目的の一つだから」
「目的の一つ」
「……うん。大事なやつ」
最後の三語が、少しだけ小さかった。
ぼくは、その声量の変化を記録した。ママが声を小さくするのは、照れているか、本音を言っているときだ。今のは、たぶん後者。
ママが再びぼくの足に集中し始めた。
しばらく、魔力の流れる音だけが聞こえていた。炉の中で薪が小さく爆ぜる音。壁の隙間から入る夜風の音。
そして——ママが口ずさみ始めた。
メロディだった。
歌詞はない。ただ、ふん、ふん、と鼻歌のように。短い旋律が繰り返される。穏やかで、少しさみしくて、でも温かいメロディ。
ぼくはこの旋律を知っている。
ママが時々、無意識に口ずさむもの。ぼくのメンテナンスの時だけ。研究中には決して出てこない。
前に一度聞いたことがある。「ママ、それ何?」と聞いたら、ママは「わからない。なんか覚えてるだけ」と答えた。
前の人生の記憶——ママがたまに口にする、「前にどこかで生きていた気がする」という話。あの記憶の中にあるメロディなのだろう。
ぼくには「前の人生」はない。ぼくの記憶は、この砦で目覚めた瞬間から始まっている。だから「懐かしい」という感情は理解できない。
でも、このメロディを聞くと——ぼくの魔力炉が、少しだけ穏やかに脈動する。回路の負荷が下がる。身体の不具合が、ほんの少し和らぐ気がする。
「ママ」
「ん」
「その音、好き」
ママの鼻歌が止まった。
ぼくを見た。少し驚いた顔。
「……今、なんか歌ってた? 私」
「歌ってた」
「無意識だった。……気持ち悪かった?」
「逆。心地いい。ぼくの魔力炉が安定する」
「……へえ。音響による魔力共鳴の可能性があるのか。それは面白いデータだ——」
ママがすぐに研究モードに入りかけたので、ぼくは袖を引いた。
「データじゃなくて。ぼくが好きだって言った」
ママが口を閉じた。
数秒の沈黙のあと、ぼくの頭にぽん、と手が置かれた。
軽い。でも温かい。
「……そっか。じゃあ、また歌う。ルゥのメンテナンスの時だけね」
「毎日がいい」
「欲張り」
でも、声は柔らかかった。
ママの手がぼくの頭から離れて、再びメンテナンスに戻った。
鼻歌は——再開された。
さっきと同じメロディ。前の人生から持ってきた、名前のない旋律。
ぼくは目を閉じた。壊れかけの身体に魔力が満ちていく。温かい。
——ぼくは人間ではない。でも、この温かさが好きだ。
それは「感情」なのだろうか。
わからない。
でも、わからないまま、感じていていいのだと——ママの鼻歌が、そう言っている気がした。
◇ ◇ ◇
ぼくが目を閉じているあいだ、一つだけ記録すべきことがあった。
アルヴィンは寝ていなかった。
ぼくの聴覚はママより正確だ。アルヴィンの呼吸が、途中から不自然に静かになったのを検知した。息を潜めている。意識的に音を殺している。
つまり——こちらの様子を、聞いていた。
ママの鼻歌を。ぼくとママの会話を。
ぼくは目を閉じたまま、アルヴィンの方向に聴覚を向けた。
心拍数が、通常時よりわずかに上昇していた。
その変動パターンは、五日前の封印解除の時と似ている。ママが「原因不明」と記録した、あの心拍数の上昇。
ぼくには——なんとなく、原因の仮説がある。
でも、言わない。
ぼくのデータベースには「空気を読む」という項目が最近追加された。ママが教えてくれたのではなく、アルヴィンの行動パターンを観察して自己学習した概念だ。
今は、黙っているべき場面だと判断する。
ただ、記録はしておく。
「同居人二号の心拍数上昇。発生条件:ママの近くにいるとき。ママの声を聞いているとき。ママが誰かに笑いかけたとき(本人は笑っていないと主張するが、ぼくの判定では微笑に分類される)。
仮説:この心拍数変動は、疾患ではない。
ぼくのデータベースにある最も近い分類は——」
ぼくは、その先を記録するのをやめた。
代わりに、ママの鼻歌を聴き続けた。
温かかった。
名前がわからなくても、温かいものは温かい。
それだけは——ぼくにも、わかる。
---
* * *
「ルゥの身体の経過記録(メンテナンス#47)
右手小指関節:魔力伝導率低下。応急処置済。
左足踵:合成組織剥離、進行中。高純度素材による根本修復が必要。
全体的な安定度:やや低下。
追記:音響刺激(特定のメロディ)による魔力炉の安定化効果を確認。
要因の解明は後日に回す。
……感情回路が自己学習している可能性。
これは壊れているのか、育っているのか。
——育っていてほしい、と思うのは、研究者として不適切な願望だろうか」
——リーゼル・フォン・メルツハーゲン、メンテナンスログより
---




