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ep.13 追う者たち


 異変を最初に察知したのは、カイだった。


 朝もやの残る森の中を、いつもの巡回から戻ってきたカイが砦に駆け込んできた。息は荒くないが、狼の耳が完全に立っている。警戒の姿勢だ。


 「人間が来てる。二手に分かれて、森の東と南から」


 朝食の支度をしていたアルヴィンの手が止まった。リーゼルは机で写本を開いたまま、顔を上げた。


 「何人」


 「東から四。馬に乗ってる。鎧の匂いがした。——南からは三。こっちは軽装で、足が速い。獣道を使って森の中を移動してる」


 二組。別々の方角から。


 リーゼルの頭の中で、情報が組み上がっていく。


 東からの四人。馬。鎧。——レーヴェン王国の魔術騎士団。第一章で撒いた追手が、また足跡を辿ってきた可能性がある。ただし、前回は追跡術式を妨害しただけで、拠点の場所までは掴まれていなかったはず。


 南からの三人。軽装。速い。獣道。——暗殺者の動き方だ。正規軍ではない。


 二組が同時期に、別方向から。


 「……偶然じゃない」


 リーゼルは呟いた。


 カイが頷いた。


 「俺もそう思う。時間が近すぎる。示し合わせたか、同じ情報源を持ってるか」


 アルヴィンが鍋を火から下ろし、布巾で手を拭きながら近づいてきた。


 「南の三人。身なりの特徴は」


 「黒い外套。顔を隠してた。ただ——一人が短剣を二本帯びてたのは見えた。帝国式の暗器だ」


 アルヴィンの目が、僅かに細まった。


 「ガルシュタイン公爵の私兵だろう。帝国軍ではなく、公爵家の暗部に属する連中だ。暗殺と情報収集を専門にしている」


 「あなたを追ってきた?」


 「俺を、というより——俺が生きていることを確認しに来た可能性がある。奴隷として売り飛ばした相手が、まだ息をしていると知れば、公爵にとっては都合が悪い」


 リーゼルはペンを置いた。


 東から騎士団。南から暗殺者。自分を追う者と、アルヴィンを追う者が、同時に来ている。


 偶然ではないなら——誰かが、二組に情報を流した。


 「カイ。集落のほうは大丈夫?」


 「離れてるから直接の脅威はない。だが、森の中をうろつかれると猟場に影響が出る。——どうする? 追い返すか」


 リーゼルは考えた。


 逃げるという選択肢はある。砦を捨てて、さらに奥に逃げ込む。だが、それでは永遠に追い回される。今回撒いても、また来る。追手は拠点の存在を——少なくとも、おおよその位置を掴んでいる。


 「逃げない」


 リーゼルが言った。


 カイとアルヴィンが、同時にこちらを見た。


 「騎士団のほうは交渉の余地がある。暗殺者のほうは——排除するしかないけど、直接戦闘は避けたい。私もアルヴィンも、正面からの戦闘向きじゃない」


 「俺がやる」


 カイが即答した。


 「三人程度なら——」


 「待って。まだ情報が足りない。動くのは相手の目的と戦力を把握してから」


 リーゼルが立ち上がり、革袋を手に取った。


 「セレンに連絡を取りたい。あの人なら、外の情勢に詳しい。——カイ、ランテルン村まで走れる?」


 「走るのは得意だ。任せろ」


 カイが踵を返した。獣人の脚力なら、村まで半刻とかからない。


 入り口で一度振り返り、にっと牙を見せた。


 「戻るまで死ぬなよ」


 「死なないよ」


 カイの姿が木々の間に消えた。


 砦に、リーゼルとアルヴィンとルゥが残された。



 ◇ ◇ ◇



 カイが戻ってきたのは、昼過ぎだった。


 そして——セレンを連れていた。


 セレンは旅装のまま、汗ひとつかいていない涼しい顔で砦に入ってきた。翡翠の瞳が広間を見回し、リーゼルを見つけると柔和に微笑んだ。


 「お呼びと聞いて」


 「早いね。村にいたの?」


 「ええ。ちょうど次の納品の打ち合わせに来ていたところで。——事情はカイ殿から伺いました」


 セレンが砦の中央の椅子に腰掛けた。自然な所作だが、入り口と窓の隙間の両方が視界に入る位置を選んでいることに、アルヴィンは気づいた。背後を取られない座り方。商人にしては、妙に慣れている。


 「二組の追手。東からの騎士団と、南からの暗殺者。——私の耳にも、少し入っていました」


 リーゼルの眉が上がった。


 「知ってたの?」


 「正確には、その兆候を。ここ数日、辺境に不審な人間の出入りが増えていました。情報を集めていたところです」


 セレンが鞄から薄い冊子を取り出した。手書きの報告書のようなもの。


 「東の騎士団は、レーヴェン王国の第三魔術騎士隊。四名編成の追跡部隊で、指揮官はヴェルナー准尉。——あなたの逮捕状を持っています」


 リーゼルが眉をひそめた。名前に覚えがあるのだろう。


 「南の暗殺者は、ご推察の通り、ドラグノア帝国ガルシュタイン公爵家の密偵です。三名。目的は——」


 セレンの視線が、一瞬だけアルヴィンに向かった。


 「アルヴィン殿の所在確認と、必要に応じた処理」


 処理。


 その言葉の重さが、砦の空気を冷やした。


 アルヴィンは壁際に立ったまま、表情を変えなかった。


 「……聞きたいことがある」


 リーゼルが言った。


 「この二組が同時に来ているのは、偶然じゃない。誰かが二組に情報を流してる。——セレン、心当たりは」


 セレンの微笑みが、ほんの一瞬だけ薄れた。


 「……ありますよ」


 「教えて」


 「リーゼル殿。その前に一つ確認させてください。この情報は、あなたの身の安全に直結します。私が知っていることをすべてお話しした場合——私もまた、危険な立場に置かれることになる」


 セレンの翡翠の瞳が、初めて笑みを消して、リーゼルを見つめた。


 「あなたは、私を信用してくださいますか」


 砦の中が静まった。


 リーゼルはセレンの目を見つめ返した。数秒の沈黙。


 「……信用するかどうかは、聞いた内容で判断する。でも——あなたが嘘をつくつもりなら、わざわざこの場に来ない。リスクを冒してここにいること自体が、一つの答えだと思う」


 セレンが目を閉じ、小さく息を吐いた。


 それから——微笑みではなく、初めて見る真剣な表情で、口を開いた。


 「二組に情報を流しているのは、単一の情報源です。辺境の闇市場を経由して、レーヴェン王国と帝国の双方に、あなたがたの位置情報が売られている」


 「闇市場。誰が」


 「表向きは、辺境の情報屋です。ですが——その情報屋を操っている人間がいます。ここ数ヶ月、辺境一帯で暗躍している組織。『竜牙の使徒』と名乗る集団です」


 竜牙の使徒。


 聞き覚えのない名前だった。アルヴィンも首を振った。


 「宗教結社のようなものです。始祖竜の復活を信仰し、竜の因子の完全覚醒を——人為的に引き起こすことを目的としている」


 空気が、凍った。


 リーゼルとアルヴィンが同時にセレンを見た。


 「……竜の因子の覚醒を、人為的に」


 リーゼルの声が低くなった。


 「ええ。彼らはアルヴィン殿の存在を知っています。数百年ぶりの完全覚醒者が帝国を追われて辺境に流れ着いたことを。——おそらく、あなたがたを追い詰めることで、アルヴィン殿の因子の暴走を誘発しようとしている」


 追手は、目的ではなく手段だった。


 騎士団と暗殺者をぶつけて精神的に追い詰め、恐怖と怒りで因子を暴走させる。それが真の狙い。


 「セレン。その情報、どこで手に入れた」


 リーゼルの問いに、セレンは一瞬だけ間を置いた。


 「私は——ただの商人ではありません」


 「知ってた」


 「……知っていましたか」


 「底が見えない商人なんて、商人じゃないでしょ。最初からおかしいと思ってた。品揃えが良すぎる。禁書の写本を手に入れられるルートを持っている人間は、表の商売だけでは説明がつかない」


 セレンが、苦笑した。初めて見る、本物の苦笑だった。


 「……情報屋です。各国の宮廷や闇社会に顔が利く。商人は表の顔で、本業は情報の売買。——竜牙の使徒の動向を追っていたのは、彼らが私のネットワークにも手を伸ばし始めたからです」


 「つまり、あなたも狙われてる」


 「ええ。ですので、利害は一致します」


 セレンが冊子をテーブルに広げた。追手の配置図と、竜牙の使徒の活動拠点の推定位置が書き込まれている。


 「提案があります。目の前の脅威——騎士団と暗殺者を処理した上で、竜牙の使徒の情報をさらに集める。そのために、私のネットワークを使ってください」


 リーゼルは配置図を睨んだ。


 東の騎士団。四人。正規軍。交渉の余地あり。


 南の暗殺者。三人。非正規。排除が必要。


 そして、その背後にいる「竜牙の使徒」。


 「……まず、目の前の火を消す」


 リーゼルが顔を上げた。


 「騎士団は私が対応する。暗殺者は——」


 「俺とカイでやる」


 アルヴィンが壁から背を離した。


 リーゼルが振り返った。


 「あなた、封印がまだ——」


 「第一層は解けてる。魔力は使えないが、身体能力は戻りつつある。剣があれば戦える」


 「剣なんて——」


 「ある」


 カイが口を挟んだ。


 「集落に予備の山刀がある。帝国式の剣じゃねえが、斬れりゃ同じだ」


 リーゼルは二人を見比べた。


 反対したい顔をしていた。だが——反対する根拠がなかった。自分一人で全方位に対応できないことは、数日前に思い知ったばかりだ。


 「……無茶はしないで」


 「する可能性は否定しない」


 カイが正直に答えた。アルヴィンが小さく息を吐いた。同意なのか呆れなのか、判別できない。


 「セレンは?」


 「私は後方で情報の整理を。それから——もう一つ、切り札があります」


 セレンが鞄から封書を取り出した。封蝋が押されている。紋章は——ガルシュタイン家のもの。


 「これは」


 「ガルシュタイン公爵の不正を示す証拠書類の写しです。公爵が王太子の謀反をでっち上げた際の工作記録。——ある人物から預かりました」


 アルヴィンの目が、封書に釘づけになった。


 「ある人物とは」


 セレンが、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


 「……イレーネ・フォン・ガルシュタイン殿です」


 砦の中の空気が、また変わった。


 アルヴィンの顔から表情が消えた。


 「……イレーネが」


 「ええ。彼女は父親の所業を知り、証拠を集めていました。私にこれを託したのは三ヶ月前。『必要な時に、必要な人の手に渡してほしい』と」


 セレンが封書をテーブルに置いた。


 アルヴィンは、それに触れなかった。


 触れられなかった。


 あの夜、公衆の面前で踏みにじった女。その女が——父の罪の証拠を集めて、自分を救おうとしている。


 言葉が、出なかった。


 リーゼルがアルヴィンの横顔を見た。何を考えているかは読めなかったが、今話しかけるべきではないことだけはわかった。


 代わりに、セレンに向き直った。


 「わかった。この証拠は、騎士団との交渉で使える。——準備を始める。時間はどのくらいある?」


 「東の騎士団の到着は明日の昼。南の暗殺者は——今夜」


 「今夜」


 「ええ。暗殺者は夜に動きます」


 リーゼルが息を吸った。


 半日。準備に使える時間は、半日。


 「——やるよ」


 振り返って、三人の顔を見た。


 カイ。牙を剥いて笑っている。


 セレン。微笑みの下に、鋭い光を隠している。


 アルヴィン。表情のない顔の奥で、何かが燃えている。


 ルゥが、暖炉の前からぽつりと言った。


 「ママ。ぼくは何をすればいい?」


 「留守番。——嘘。偵察。あなたの目と耳は、夜に強いでしょ」


 「了解、ママ」


 紫水晶の瞳が、かすかに光った。



---


*    *    *


「状況整理メモ

 脅威A:レーヴェン王国第三魔術騎士隊(4名)——交渉で対応

 脅威B:ガルシュタイン家密偵(3名)——排除

 脅威C:竜牙の使徒(規模不明)——情報収集中

 味方:カイ(戦闘力◎)、セレン(情報力◎)、アルヴィン(制限付戦闘力)、ルゥ(偵察)、なんとかする

 備考:『なんとかする』を作戦に含めるのは良くないと思うけど、

 他に書きようがなかった」

——リーゼル・フォン・メルツハーゲン、作戦メモより


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