完璧乙女は『私は人間です』に失敗する
私は一度も、転んだことがない。
物理的に、ではない。
人生において、という意味でだ。
私の名前は、完璧碧瑚。
容姿端麗。
頭脳明晰。
スポーツ万能。
成績は常に学年一位。
運動会ではリレーのアンカー。
文化祭では実行委員長に推薦される。
ピアノが弾ける。
英語が話せる。
料理も、裁縫も、一通りできる。
――完璧だ。
自分で言うのもなんだが、私は、完璧だった。
だが、目立たないことが、美徳であることも知っている。
だから私は、普通の高校生でさえ、完璧に演じてきた。
少しだけ天然で、少しだけ抜けていて、親しみやすくて、近寄りがたいほどではない。
完璧な調整。
完璧なバランス。
――そのはずだった。
だが今日という今日、この瞬間に、全てが崩れ去った。
「……私は、人間じゃない……?」
知ってしまった。
あまりにも衝撃的な事実を。
目の前の画面には、こう表示されている。
『信号機をすべて選択してください』
写真は、正方形の十六分割。
道路、交差点、空、建物。
そして、確かに、信号機。
違う写真だが、先程も、私は確実に信号機を選択した。
完璧な私が、間違うはずがない。
整理整頓された私の部屋。
机の上には無駄なもの一つない。
独り言は、誰にも届かず、静かな壁に吸収される。
「……いや、待って」
信号機の柱も、含まれるべきだった?
それとも、ランプ部分だけ?
基準が、分からない。
分からない、という事実が、理解できなかった。
信号機とは、どうやら縁がなかったらしい。
震える指で、リロードボタンを押す。
『横断歩道をすべて選択してください』
簡単だ。
白い線が、地面に引かれている。
……いや、待て。
この、数ピクセルだけ飛び出している白。
これも、横断歩道の一部なのか?
いや、それはただの白いピクセルだ。
私は慎重に、写真の一部を選択し、確認ボタンを押した。
「……私は、ロボットだった?」
表示される文字。
『オートバイをすべて選択してください』
進んでいない。
もちろん、失敗だ。
これは偶然だ。
あの白いピクセルも、考えてみれば横断歩道の一部だったのかもしれない。
今度は直感に従う。
オートバイらしき部分を、迷いなく押す。
確認。
「……え?」
再び表示される。
『オートバイをすべて選択してください』
写真が変わっただけ。
言葉を失った。
まさか。
左端に、ほんの少しだけ写り込んでいたサイドミラーも、オートバイ判定だった?
理解が、追いつかない。
もう一回。
もう一回。
もう一回。
ついに──
『ご利用の端末からはアクセスが制限されています』
無慈悲な宣告。
それは、私が人間ではないという事実。
「……そうだったの……ね……」
やっと、理解した。
私が完璧すぎた理由。
それは私が、ロボットだったからだ。
次の日。
正確な時間に起床し、決まった朝食を摂り、余裕をもって家を出る。
普通の高校生は、こうではないらしい。
「やっぱり、私はロボットだったのね……」
決まった規則で動く私。
体に染みついた行動は、すべてプログラム。
私は、今日も完璧に、学校へ向かう。
校門をくぐる。
「おはようございます」
挨拶当番の生徒に、ちょうど良い角度で頭を下げる。
声量は大きすぎず、小さすぎず、爽やかな朝を彩る笑顔を添えて。
「おはよー、完璧さん!」
「おはようございます」
即座に返す。
名前を呼ばれたから。
挨拶をされたから。
これは、自動応答。
廊下を歩く。
歩幅は一定。
速すぎず、遅すぎず。
背後から聞こえる、ひそひそ声。
「やっぱり綺麗だよね」
「頭もいいしさ」
「でも、なんか近寄りがたいんだよなぁ」
いつもの反応。
人間関係の最適解。
私は、それを常に選んできた。
教室に入る。
あいさつをする。
席に着く。
鞄をかける。
教科書を出す。
無駄な動作は一切ない。
始業のチャイム。
私は背筋を伸ばす。
特に意識しなくても、自然とそうなる。
国語の授業。
教師が黒板に文章を書き写す。
私は同時に、ノートに要点を書き留める。
理解、整理、要約。
遅延はない。
「では完璧さん」
当てられる。
立ち上がる。
机を引く音すら、ちょうど良い。
「この一文で、作者が本当に言いたかったことは何だと思う?」
一瞬で、解が浮かぶ。
最も“求められている”ものを選ぶ。
「はい。“希望”だと思います。ただし、前向きな意味ではなくて、失うことを前提にした希望です。この登場人物は、叶わないと分かっているからこそ、それを“希望”と呼んでいるんだと思います」
教室が、静まる。
「……素晴らしい」
教師が、少しだけ目を潤ませる。
「完璧さん。本当に、完璧な答えです。国語教師の私でさえ、感動を覚えました」
着席。
――違う。
これは、私がロボットだからだ。
ロボットは、人間が求める回答を返す。
空気を読む。
期待を読む。
正解を読む。
そこに、感情は必要ない。
授業は続く。
すべて、滞りなく終わる。
昼休み。
人間たちが、一斉に動き出す。
笑う。
騒ぐ。
立ち上がる。
机を寄せる。
予測不能な動き。
非効率な選択。
私は――
立ち上がれずにいた。
「へきっち、メシ行こ、メシ。腹減ったー」
私に、気安く声をかけてくる生徒が一人。
彩羽ヒナ。
クラスでも目立つ、いわゆるギャルだ。
私は彼女に対しても、特別な対応をしてこなかった。
誰に対しても同じ。
普通に、適切に、完璧に。
だからなのか、彼女は、いつも私に絡んでくる。
「へきっちさー、今日テンション低くない? ほらほら、いつもの笑顔で『もちろんです』って言わないと」
茶化すような声。
だが、私の内部には響かない。
「もちろんですよ。では、行きましょうか?」
「ふっふっふ……言ったね、へきっち。今日は特別な場所、連れてってあげる」
有無を言わさず、手を引かれる。
温かい。
柔らかい。
――だが、それもセンサーが感知した情報にすぎない。
背後から、他の生徒の声が聞こえる。
「さすが完璧さんだよね」
「あの彩羽さんに付き合ってあげるなんて」
「本当に優しい……」
このギャルでさえ、私の完璧さを際立たせるための装置にすぎない。
手を引かれる。
視線を浴びる。
視線から逃げる。
階段を上る。
「屋上は、立ち入り禁止のはずですが」
私は、淡々と言った。
「だいじょぶだいじょぶ。ウチ、科学部だからさ。特別〜」
彩羽ヒナは、鍵をチャラっと見せてくる。
私は規則を破れない。
それは、人間から与えられた命令だから。
ロボット三原則、第二条――
「ぶふっ」
彩羽ヒナが、突然吹き出した。
「どうしました?」
「いやさ、へきっち。今、顔ガチすぎ。ロボットみたいだったから」
「……そうですか」
「もう、ウケる。ほら、行こ行こ!」
彩羽ヒナも、人間。
ならば、その命令には従うべきだ。
屋上で、弁当箱を開く。
栄養バランスは完璧。
味付けも問題ない。
――なのに。
味が、しない。
ぽた、と。
弁当箱の上に、水滴が落ちた。
「ちょ、へきっち!? なに!? どしたの!?」
目から、水分が出ていた。
なぜだろう。
「……エラーです」
「エラーって何それ! ねえ、ちゃんと話しなって」
彩羽ヒナが、急に真面目な顔で覗き込んでくる。
「それは……」
言葉に詰まる。
話すべきか。
隠すべきか。
ロボット三原則、第三条。
自己保存。
しかし、話せという命令は第二条。
――矛盾。
思考が、限界を迎えた。
「わ、た、し、は……ロボット、です」
沈黙。
次の瞬間。
「あーっはっはっは!」
彩羽ヒナが、腹を抱えて笑い出した。
「やば。そんなロボット、聞いたことないんだけど!」
笑い声が、青空の下に響いた。
私の脳は、遅れて冷却され、思考が元の速度に戻っていく。
「……すみません。忘れてください」
「いや忘れないけど! てかさ、なんでロボットだと思ったの?」
もう、隠す意味はない。
彩羽ヒナが、心優しい人間であることを信じて、話そう。
「私は……完璧です。完璧すぎる」
「自己評価、高っ!」
間髪入れずに、ツッコミが飛ぶ。
「ですが、昨日……失敗しました」
言葉が、少し詰まる。
これから言うのは、私が人間ではないという“証拠”だ。
それを聞いたら、この目の前の人間は、どんな顔をするのだろう。
「言いなよ」
真っ直ぐな目。
――ずるい。
「認証に……失敗したのです。人間である証明を、私は、できませんでした……」
風が吹き抜け、二人の間を、静かに通り過ぎた。
「……え、それってさ」
彩羽ヒナが、少し考える。
「『私は人間です』とか出てくる、あの認証?」
「……そうです」
「まじかー……」
彼女は、屋上の空を見上げた。
「へきっち。実はさ、ウチもロボットなんだよね」
「……そんな……」
思わず、口元を押さえる。
「――って、なわけないじゃん!」
彩羽ヒナは、ケラケラ笑った。
「画像のやつでしょ? ウチ、あれ何回もミスってるし!」
「……ですが」
「てかさ、あれ普通に性格悪くない? 信号機の柱とか、サイドミラーとかさ。分かるわけなくない?」
彩羽ヒナは、肩をすくめる。
「真面目に考える人ほど、引っかかるんだと思うよ」
私は、黙った。
──真面目。
それは、褒め言葉のはずなのに。
「へきっちさ」
彩羽ヒナが、急に私の顔を覗き込む。
「最近、笑った?」
「……笑顔なら、作れます」
「そうじゃなくてさ」
彼女は、少しだけ考えてから言った。
「意味もなく、ってやつ」
意味もなく。
効率もなく。
目的もなく。
そんな行動は、私の中に存在しない。
「ねえ、へきっち」
彩羽ヒナは立ち上がり、両腕を広げた。
「スキップって、したことある?」
「……移動効率が悪いです」
「即、否定!」
笑いながら、彩羽ヒナは軽く跳ねた。
一歩、二歩と意味のない上下運動。
「ほら、こういうやつ。楽しいけど、何の役にも立たない」
屋上のコンクリートに、影が弾む。
「でもさ」
彼女は、振り返る。
「人間って、こういう無駄、めっちゃ好きなんだよ」
私は、その動きを目で追った。
転ぶかもしれない。
疲れるかもしれない。
制服が乱れるかもしれない。
合理性は、どこにもない。
「へきっちはさ、完璧すぎるんだよ」
彩羽ヒナは、悪戯っぽく笑う。
「ロボットかどうかなんてさ」
彩羽ヒナは、軽く肩を叩いてくる。
「スキップできるかどうかで決めよ?」
冗談めいた声。
私の内部で、未処理の命令が発生した。
昼休みが終わり、午後の授業は、あっという間に過ぎた。
いつも通り、問題は解けた。
質問にも答えた。
教師は満足そうに頷いた。
それなのに、胸の奥が、少しだけ軽い。
あの意味のない動きが、頭から離れなかった。
放課後。
私は、ボランティア活動に参加した。
校内清掃。
いつものことだ。
床は、完璧には綺麗にならなかった。
少し、拭き残しもあった。
でもなぜか、それでいい気がした。
活動が終わり、校舎を出る。
空が、綺麗だった。
夕日の色は、ちょっと苦めのオレンジジュースみたいだ。
「……バカみたい」
比喩表現が、滅茶苦茶だ。
それでも、私は笑った。
帰り道。
誰もいない歩道で、立ち止まる。
――スキップ。
初めてのそれは、ぎこちない。
足がもつれる。
バランスが崩れる。
私は、完璧な自分を演じるあまり、窮屈になっていたのかもしれない。
だからこそ、『自分がロボットだったら』と、心のどこかで願っていたのかもしれない。
でも、違う。
私は私だ。
完璧碧瑚。
間違ったっていい。
悩んだっていい。
心の底から、笑ったっていい。
「……いたた」
転んだ。
膝が、ひりつく。
血が滲む。
その奥で、赤ではないものが見えた。
細い、青と黄色の線。
配線だ。
「……え?」
――。




