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完璧乙女は『私は人間です』に失敗する

掲載日:2026/01/31

 私は一度も、転んだことがない。


 物理的に、ではない。

 人生において、という意味でだ。


 私の名前は、完璧(かんかべ)碧瑚(へきこ)


 容姿端麗。

 頭脳明晰。

 スポーツ万能。


 成績は常に学年一位。

 運動会ではリレーのアンカー。

 文化祭では実行委員長に推薦される。


 ピアノが弾ける。

 英語が話せる。

 料理も、裁縫も、一通りできる。


 ――完璧だ。


 自分で言うのもなんだが、私は、完璧だった。


 だが、目立たないことが、美徳であることも知っている。


 だから私は、普通の高校生でさえ、完璧に演じてきた。


 少しだけ天然で、少しだけ抜けていて、親しみやすくて、近寄りがたいほどではない。


 完璧な調整。

 完璧なバランス。


 ――そのはずだった。


 だが今日という今日、この瞬間に、全てが崩れ去った。


「……私は、人間じゃない……?」


 知ってしまった。

 あまりにも衝撃的な事実を。


 目の前の画面には、こう表示されている。


『信号機をすべて選択してください』


 写真は、正方形の十六分割。

 道路、交差点、空、建物。

 そして、確かに、信号機。


 違う写真だが、先程も、私は確実に信号機を選択した。

 完璧な私が、間違うはずがない。


 整理整頓された私の部屋。

 机の上には無駄なもの一つない。

 独り言は、誰にも届かず、静かな壁に吸収される。


「……いや、待って」


 信号機の柱も、含まれるべきだった?

 それとも、ランプ部分だけ?


 基準が、分からない。


 分からない、という事実が、理解できなかった。


 信号機とは、どうやら縁がなかったらしい。


 震える指で、リロードボタンを押す。


『横断歩道をすべて選択してください』


 簡単だ。

 白い線が、地面に引かれている。


 ……いや、待て。


 この、数ピクセルだけ飛び出している白。

 これも、横断歩道の一部なのか?


 いや、それはただの白いピクセルだ。


 私は慎重に、写真の一部を選択し、確認ボタンを押した。


「……私は、ロボットだった?」


 表示される文字。


『オートバイをすべて選択してください』


 進んでいない。

 もちろん、失敗だ。


 これは偶然だ。

 あの白いピクセルも、考えてみれば横断歩道の一部だったのかもしれない。


 今度は直感に従う。

 オートバイらしき部分を、迷いなく押す。


 確認。


「……え?」


 再び表示される。


『オートバイをすべて選択してください』


 写真が変わっただけ。


 言葉を失った。


 まさか。

 左端に、ほんの少しだけ写り込んでいたサイドミラーも、オートバイ判定だった?


 理解が、追いつかない。


 もう一回。


 もう一回。


 もう一回。


 ついに──


『ご利用の端末からはアクセスが制限されています』


 無慈悲な宣告。


 それは、私が人間ではないという事実。


「……そうだったの……ね……」


 やっと、理解した。


 私が完璧すぎた理由。


 それは私が、ロボットだったからだ。




 次の日。


 正確な時間に起床し、決まった朝食を摂り、余裕をもって家を出る。


 普通の高校生は、こうではないらしい。


「やっぱり、私はロボットだったのね……」


 決まった規則で動く私。

 体に染みついた行動は、すべてプログラム。


 私は、今日も完璧に、学校へ向かう。


 校門をくぐる。


「おはようございます」


 挨拶当番の生徒に、ちょうど良い角度で頭を下げる。

 声量は大きすぎず、小さすぎず、爽やかな朝を彩る笑顔を添えて。


「おはよー、完璧(かんかべ)さん!」


「おはようございます」


 即座に返す。

 名前を呼ばれたから。

 挨拶をされたから。


 これは、自動応答。


 廊下を歩く。

 歩幅は一定。

 速すぎず、遅すぎず。


 背後から聞こえる、ひそひそ声。


「やっぱり綺麗だよね」

「頭もいいしさ」

「でも、なんか近寄りがたいんだよなぁ」


 いつもの反応。


 人間関係の最適解。

 私は、それを常に選んできた。


 教室に入る。

 あいさつをする。


 席に着く。

 鞄をかける。

 教科書を出す。


 無駄な動作は一切ない。


 始業のチャイム。


 私は背筋を伸ばす。

 特に意識しなくても、自然とそうなる。


 国語の授業。


 教師が黒板に文章を書き写す。

 私は同時に、ノートに要点を書き留める。


 理解、整理、要約。

 遅延はない。


「では完璧さん」


 当てられる。


 立ち上がる。

 机を引く音すら、ちょうど良い。


「この一文で、作者が本当に言いたかったことは何だと思う?」


 一瞬で、解が浮かぶ。

 最も“求められている”ものを選ぶ。


「はい。“希望”だと思います。ただし、前向きな意味ではなくて、失うことを前提にした希望です。この登場人物は、叶わないと分かっているからこそ、それを“希望”と呼んでいるんだと思います」


 教室が、静まる。


「……素晴らしい」


 教師が、少しだけ目を潤ませる。


「完璧さん。本当に、完璧な答えです。国語教師の私でさえ、感動を覚えました」


 着席。


 ――違う。


 これは、私がロボットだからだ。


 ロボットは、人間が求める回答を返す。


 空気を読む。

 期待を読む。

 正解を読む。


 そこに、感情は必要ない。


 授業は続く。


 すべて、滞りなく終わる。


 昼休み。


 人間たちが、一斉に動き出す。


 笑う。

 騒ぐ。

 立ち上がる。

 机を寄せる。


 予測不能な動き。

 非効率な選択。


 私は――


 立ち上がれずにいた。


「へきっち、メシ行こ、メシ。腹減ったー」


 私に、気安く声をかけてくる生徒が一人。


 彩羽(いろは)ヒナ。

 クラスでも目立つ、いわゆるギャルだ。


 私は彼女に対しても、特別な対応をしてこなかった。

 誰に対しても同じ。

 普通に、適切に、完璧に。


 だからなのか、彼女は、いつも私に絡んでくる。


「へきっちさー、今日テンション低くない? ほらほら、いつもの笑顔で『もちろんです』って言わないと」


 茶化すような声。

 だが、私の内部には響かない。


「もちろんですよ。では、行きましょうか?」


「ふっふっふ……言ったね、へきっち。今日は特別な場所、連れてってあげる」


 有無を言わさず、手を引かれる。


 温かい。

 柔らかい。


 ――だが、それもセンサーが感知した情報にすぎない。


 背後から、他の生徒の声が聞こえる。


「さすが完璧さんだよね」

「あの彩羽さんに付き合ってあげるなんて」

「本当に優しい……」


 このギャルでさえ、私の完璧さを際立たせるための装置にすぎない。


 手を引かれる。

 視線を浴びる。


 視線から逃げる。

 階段を上る。


「屋上は、立ち入り禁止のはずですが」


 私は、淡々と言った。


「だいじょぶだいじょぶ。ウチ、科学部だからさ。特別〜」


 彩羽ヒナは、鍵をチャラっと見せてくる。


 私は規則を破れない。

 それは、人間から与えられた命令だから。


 ロボット三原則、第二条――


「ぶふっ」


 彩羽ヒナが、突然吹き出した。


「どうしました?」


「いやさ、へきっち。今、顔ガチすぎ。ロボットみたいだったから」


「……そうですか」


「もう、ウケる。ほら、行こ行こ!」


 彩羽ヒナも、人間。

 ならば、その命令には従うべきだ。


 屋上で、弁当箱を開く。


 栄養バランスは完璧。

 味付けも問題ない。


 ――なのに。


 味が、しない。


 ぽた、と。


 弁当箱の上に、水滴が落ちた。


「ちょ、へきっち!? なに!?  どしたの!?」


 目から、水分が出ていた。


 なぜだろう。


「……エラーです」


「エラーって何それ! ねえ、ちゃんと話しなって」


 彩羽ヒナが、急に真面目な顔で覗き込んでくる。


「それは……」


 言葉に詰まる。


 話すべきか。

 隠すべきか。


 ロボット三原則、第三条。

 自己保存。

 しかし、話せという命令は第二条。


 ――矛盾。


 思考が、限界を迎えた。


「わ、た、し、は……ロボット、です」


 沈黙。


 次の瞬間。


「あーっはっはっは!」


 彩羽ヒナが、腹を抱えて笑い出した。


「やば。そんなロボット、聞いたことないんだけど!」


 笑い声が、青空の下に響いた。


 私の脳は、遅れて冷却され、思考が元の速度に戻っていく。


「……すみません。忘れてください」


「いや忘れないけど! てかさ、なんでロボットだと思ったの?」


 もう、隠す意味はない。


 彩羽ヒナが、心優しい人間であることを信じて、話そう。


「私は……完璧です。完璧すぎる」


「自己評価、高っ!」


 間髪入れずに、ツッコミが飛ぶ。


「ですが、昨日……失敗しました」


 言葉が、少し詰まる。


 これから言うのは、私が人間ではないという“証拠”だ。


 それを聞いたら、この目の前の人間は、どんな顔をするのだろう。


「言いなよ」


 真っ直ぐな目。


 ――ずるい。


「認証に……失敗したのです。人間である証明を、私は、できませんでした……」


 風が吹き抜け、二人の間を、静かに通り過ぎた。


「……え、それってさ」


 彩羽ヒナが、少し考える。


「『私は人間です』とか出てくる、あの認証?」


「……そうです」


「まじかー……」


 彼女は、屋上の空を見上げた。


「へきっち。実はさ、ウチもロボットなんだよね」


「……そんな……」


 思わず、口元を押さえる。


「――って、なわけないじゃん!」


 彩羽ヒナは、ケラケラ笑った。


「画像のやつでしょ? ウチ、あれ何回もミスってるし!」


「……ですが」


「てかさ、あれ普通に性格悪くない? 信号機の柱とか、サイドミラーとかさ。分かるわけなくない?」


 彩羽ヒナは、肩をすくめる。


「真面目に考える人ほど、引っかかるんだと思うよ」


 私は、黙った。


 ──真面目。


 それは、褒め言葉のはずなのに。


「へきっちさ」


 彩羽ヒナが、急に私の顔を覗き込む。


「最近、笑った?」


「……笑顔なら、作れます」


「そうじゃなくてさ」


 彼女は、少しだけ考えてから言った。


「意味もなく、ってやつ」


 意味もなく。


 効率もなく。

 目的もなく。


 そんな行動は、私の中に存在しない。


「ねえ、へきっち」


 彩羽ヒナは立ち上がり、両腕を広げた。


「スキップって、したことある?」


「……移動効率が悪いです」


「即、否定!」


 笑いながら、彩羽ヒナは軽く跳ねた。


 一歩、二歩と意味のない上下運動。


「ほら、こういうやつ。楽しいけど、何の役にも立たない」


 屋上のコンクリートに、影が弾む。


「でもさ」


 彼女は、振り返る。


「人間って、こういう無駄、めっちゃ好きなんだよ」


 私は、その動きを目で追った。


 転ぶかもしれない。

 疲れるかもしれない。

 制服が乱れるかもしれない。


 合理性は、どこにもない。


「へきっちはさ、完璧すぎるんだよ」


 彩羽ヒナは、悪戯っぽく笑う。


「ロボットかどうかなんてさ」


 彩羽ヒナは、軽く肩を叩いてくる。


「スキップできるかどうかで決めよ?」


 冗談めいた声。


 私の内部で、未処理の命令が発生した。




 昼休みが終わり、午後の授業は、あっという間に過ぎた。


 いつも通り、問題は解けた。

 質問にも答えた。

 教師は満足そうに頷いた。


 それなのに、胸の奥が、少しだけ軽い。

 あの意味のない動きが、頭から離れなかった。


 放課後。


 私は、ボランティア活動に参加した。

 校内清掃。

 いつものことだ。


 床は、完璧には綺麗にならなかった。

 少し、拭き残しもあった。


 でもなぜか、それでいい気がした。


 活動が終わり、校舎を出る。


 空が、綺麗だった。


 夕日の色は、ちょっと苦めのオレンジジュースみたいだ。


「……バカみたい」


 比喩表現が、滅茶苦茶だ。


 それでも、私は笑った。


 帰り道。


 誰もいない歩道で、立ち止まる。


 ――スキップ。


 初めてのそれは、ぎこちない。


 足がもつれる。

 バランスが崩れる。


 私は、完璧な自分を演じるあまり、窮屈になっていたのかもしれない。


 だからこそ、『自分がロボットだったら』と、心のどこかで願っていたのかもしれない。


 でも、違う。


 私は私だ。


 完璧(かんかべ)碧瑚(へきこ)


 間違ったっていい。

 悩んだっていい。


 心の底から、笑ったっていい。


「……いたた」


 転んだ。

 膝が、ひりつく。


 血が滲む。


 その奥で、赤ではないものが見えた。


 細い、青と黄色の線。


 配線だ。


「……え?」


 ――。

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