1-6 帝都への護衛依頼
アウルから魔筆をもらい、初めて魔術を成功させて浮かれていたオレは、ソラと一緒にギルドにある魔法演習場を訪れて魔法陣魔術の練習をしていた。
演習場はギルド内の一室にあり、ギルドの登録者であれば誰でも利用できる。
部屋にはいくつもの的が配置されており、一番遠い的までの距離はおそらく10メートルくらいだろう。
天井も高く、2階まで吹き抜けになっている。
術者は床に描かれた一本の白線より手前に立ち、的に目掛けて魔法を放つというだけのものだ。
特に的が動く訳でもなく、魔法の技術を向上させるというよりは魔法をうまく使えるようになるための初心者訓練部屋といった感じだ。
それでも無料で利用できるため、討伐依頼を受けられないFランクやGランクの駆け出し冒険者には利用している者も多い。
ただ、今はまだ早朝とあって他に利用しているものは誰もいなかった。
後ろで椅子に腰掛けて見ているソラの視線を浴びながら、オレはひたすら魔法陣を描き続けた。
その結果分かったことは、魔法陣魔術がいかに使えないかということだった。
収納魔法は使える。
これは別格であり、疑う余地もない。
ただし、Dランクという討伐依頼をある程度こなしはじめた冒険者のぺーぺーでもマジックバッグを購入できる。
そして、マジックバッグは希少性が低いため、最悪代用できる。
では、攻撃魔法の要である火の魔法はどうか。
今のオレが本を見ながらトレースして描くのに3分。
遅すぎる。
もちろん、オレはまだ素人だから遅いのは仕方がない。
だが魔法陣を暗記し、スラスラ書けるようになったとして1分くらいは余裕でかかるだろう。
魔法師であれば初級の炎魔法の詠唱は10秒程度。
これでも相手が熟達の剣士でなくとも首を飛ばされるのに十分な時間だ。
詠唱魔法ですら仲間の援護がなければ魔法を使うことは難しい。
それでも戦闘において魔法が重宝されるのは、高い威力を発揮できるからだ。
つまるところ、詠唱魔法よりも威力が劣る魔法陣魔術の炎魔法を使うために詠唱魔法の何倍もの時間をかけて魔法陣を描くのは極めて非効率と言える。
「そりゃぁ魔法陣魔術の攻撃魔法が忌避されるわけだよなぁ」
オレは独り言ちて、深く嘆息する。
これではとても実戦では使えない。
剣を持って戦った方がまだ役に立つだろう。
魔法使うにしてもせめてもうちょっと早く魔法陣を描けなければ実用は不可能だ。
次に、防御できる土の魔術はどうか。
こちらは火の魔術より魔法陣が複雑なので、本を見ながらトレースして描けるのに4分近くかかった。
仮に魔法師が相手だったとして、炎の魔法を詠唱し初めて10秒後には火球が飛んでくる。
4分もかけてたら20回以上黒焦げにされてしまう。
結論から言うと、戦闘における魔法陣魔術は詠唱魔法と比べて劣化版と呼ぶのもおこがましいほどすべてにおいて劣っていた。
「どうしたんだ?そんなに難しい顔をして」
むむうっと眉間に皺を寄せたオレの顔を見て、ソラが不思議そうに問いかけた。
「いや、魔法陣を描くのに時間がかかりすぎて全然実戦向きじゃないなぁと思って」
オレがそう言うと、ソラはケタケタと笑った。
「まぁ、いずれ役立つようになることを願っているぞ」
そう言って悪戯っぽい笑顔を浮かべたソラはやっぱりかわいくて、オレは思わず見惚れてしまう。
「お、おう。任せとけ」
オレは親指を立てて笑顔を返した。
練習を終えてギルドの受付に戻ると、室内は依頼を受ける冒険者たちでごった返していた。
今はヒルダも冒険者の対応に追われていて、彼女の前には順番待ちの冒険者が並んでいる。
オレとソラはDランクの依頼ボードの前に立ち、良いものはないかと確認していた。
今日はいくつかの討伐依頼のほか、護衛依頼も入っている。
「なんだ?お前、見ない顔だな」
不意に話しかけられ、オレは少し驚いてそちらを向く。
そこには、30代後半くらいの男が立っている。
切れ長の目に高い鼻、無精髭を生やしており、髪はボサボサ。
冒険者っぽいと言えばそれまでだが、その姿から男が何事にも気遣いができないタイプであることは想像がつく。
「まだ冒険者登録したばかりなので」
オレは聞かれたことに返答したのだが、男はそれが気に食わなかったのか、あからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「はぁ?それでなんでDランクの依頼ボードの前にいんだよ。駆け出しはあっちでお使いでもやってろ」
そう言って男はGランクのボードを指差す。
どうやら駆け出しという言葉を聞いてGランクのふたりがDランクの依頼を見ていると勘違いしたようだった。
登録時はほぼ誰もがGランクからのスタートだし、ヴィクトのようなEランクスタートは稀である。
ないわけではないが、駆け出しをGランクだと思う男の思考は間違っているわけではない。
また、Gランクの依頼は討伐や調査、護衛などの戦闘が絡む依頼はない。
男が言うように、街の中でお年寄りのお使いや安全な場所での採取など、便利屋のようなものが多い。
そういった意味ではお使いという表現は間違っていないのだが、彼も自分がGランクだった経験はあるだろう。
それなのに下位ランクを馬鹿にしているような言い方はなんだか鼻につく。
「すみません。オレはEランクでDランクの昇格を目指しているので」
オレがそういうと男はその表情をさらに歪める。
だが、何か言おうとした時にはソラの手が男の首元にあった。
「ヴィクト、黙らせていいか?」
ソラは不愉快そうに顔を歪めており、今にもその手で男の首を切り落としてしまいそうだ。
「うぐっ」
まったく反応すらできなかった男が呻く。
だが、男は突然のことに口をパクパクさせており、「黙らせる」という目的についてはすでに達成しているように見えた。
ち、ちょっと、ソラさん?
男よりもソラの方がさらに血の気が多かったことにちょっぴり驚きつつ、オレは平静を装う。
「ソラ、ありがとう。でもやりすぎちゃダメだよ」
もちろん、オレも男の態度には思うところがあったので止めはしない。
「あと、物も壊さないようにね。ギルドに迷惑はかけたくないから」
そう言った時にはすでに男は蹴飛ばされ、もんどり打って飛んでいきながら床で3回ほどバウンドし、壁際に置かれていた鉢植えに直撃した。
鉢は砕け、支えを失った木が男の上に被さるように倒れた。
「ん?何か言ったか?」
振り返ったソラがオレに問いかける。
どうやらまったく聞こえていなかったらしい。
まぁ、聞こえていても時すでに遅しではあった。
「あ、いや、何でもないよ」
オレは肩をすくめて首を横に振る。
「オレのために怒ってくれてありがとう」
そう言ってにこりと笑うと、ソラも嬉しそうに笑顔を返してくれた。
一方、がやがやとしていた周囲は水を打ったように静まり返り、何が起きたのかと探っている。
まずは音がした方を見て、壁で伸びている男の姿を確認したが、それをやったのが誰なのかまでは分かっていないようだ。
Dランクのボードの前で立っているふたりがそこまでの実力者だと思うものなど誰もいない。
次の言葉を待っていれば男が大声を張り上げていたであろうことは予測できたため、そうなると注目があつまり、騒ぎになっていたはずだ。
そう言った意味では早期の対応が功を奏したと言える。
だが、男は気を失っていなかったようで呻きながら立ち上がり、怒りの表情で二人の方に近づく。
一方、オレとソラは男のことは気にも止めず、再度依頼ボードを確認していた。
そんな態度がさらに男の怒りに拍車をかけてしまったようで、ズンズンと駆け寄って来た。
「てめぇ、ぶっ殺してやる」
「よぉ。おふたりさん」
男が叫んだのと、男とオレの間に別の男が割り込み、オレの肩を叩いたのはほぼ同時だった。
振り返るとそこには金髪の優男が立っていた。
「エナージュさん?」
一方、エナージュの方はオレに話しかけたのと同時に背後からぶっ殺すと言われたため、そちらを振り返っており、オレが振り返った時に顔が見えなかったので疑問系になってしまった。
なんかよくわからんけどさっき吹っ飛ばされたアホなモブがエナージュに喧嘩を売ったみたいな絵面になってしまったらしい。
「どした?君に恨みを買った覚えはないが」
エナージュは男を見ながら質問する。
「てめぇじゃねぇ。そっちの二人組だ」
そう言われてエナージュは男とその奥の壊れた鉢植え、そしてヴィクトとソラを順番に見てふむふむと頷いた。
「なるほど。君、冒険者なら喧嘩を売る相手は選んだ方がいいぞ」
そして、そう言って肩をすくめる。
「ブモホアさんまたですか。いい加減他の冒険者に絡むのはやめてもらえませんか?」
そんなやりとりをしていると、受付の制服を着た女性が近づいて来た。
どうやら男はアホモブ・・・じゃない、ブモホアというらしく、ギルド内ではお騒がせの常連さんみたいだった。
受付嬢も辟易とした表情で対応しているのが分かる。
「何言ってんだ、先に手ぇ出してきたのはそいつらだろうがよ」
一方アホモブの方は怒り心頭のようで、やり場のない気持ちの矛先を受付の女性にぶつけている。
「どうせまたあなたがちょっかい出したんでしょ」
制服の女性は深いため息を吐きながら対応している。
ただ、周囲の冒険者達もアホモブが悪いのは分かっていつつ、早々に手を出したと思われるヴィクトとソラのことを擁護する者はいなかった。
エナージュもその空気を察したようで、少し考える素振りを見せた後口を開いた。
「ふたりとも、オレの依頼を一緒に受けねぇか?報酬はオレが出すからよ」
エナージュの言葉の意味は分からなかったし、突然何を言い出すのかと戸惑った。
だが、彼なりに何か思うところがあるのだろうと思ったので、いったん話だけでも聞いてみることにした。
「とりあえず話を聞くだけなら全然いいですよ」
オレがそう言うと、エナージュはグッと親指を立てる。
そして、くるりと振り返るとヘルツェンライゲンの冒険者達を一度見回してから口を開いた。
「悪いな。オレは帝都の冒険者だ。ヘルツェンライゲンには立ち寄っただけで、今日の護衛依頼で帝都に帰るところだ。こいつらも連れて行くからまぁそうカリカリしないでくれよ」
エナージュがそう言うと、周囲の冒険者達は少しだけ剣呑な雰囲気を緩めたように感じた。
「じゃぁそういうことだから行くぞ。あぁ、割れた鉢植えは昨日の素材から天引きするように話しとくよ」
彼は制服の女性にそう言って手を振ると、オレとソラを促してギルドの受付の方に移動した。
その後しばらくホールの方はざわついていたようだが、エナージュに促されて別の部屋に入ったため詳細まではよく分からなかった。
エナージュの受ける依頼は帝都クロスベルクまでの護衛依頼だった。
「ここの冒険者はあんまり雰囲気良くなさそうだったからな。お前らクロスベルクに来い。オレが口聞いてやる」
エナージュの言葉にオレは一も二もなく頷いた。
「いいよな。ソラ。オレもここのギルドはちょっと楽しくなさそうだ」
オレの言葉にソラも頷く。
「私もそれでいい。あんなのが続くと本当に斬ってしまいそうだ」
不機嫌さを隠そうともせず、ソラは吐き捨てるように言った。
「なら決まりだな」
エナージュはそう言うとカウンターのベルを鳴らした。
奥から受付嬢が出てくる。
「あら、エナージュさん。依頼を受けてくれる気になったんですか?」
女性はオレとソラを一瞥すると、笑顔で問いかける。
「あぁ。3人だったら問題ないだろ」
そう言ってギルドカードを差し出すと、オレとソラにもギルドカードを出すように促す。
エナージュのカードにはSの文字が刻まれており、カードもすごい豪華な気がする。
高ランクだとは思っていたが、まさかSランクとは。
だからだろう、受付嬢はふたりのカードを見てやにわに表情を歪めた。
「エナージュさんの推薦とは言え、Eランクではさすがに」
彼女は明らかに困っているようだった。
「昨日の素材は全部このふたりが倒したものだと言っても?」
今度はエナージュの言葉に受付嬢の表情が凍りつく。
が、すぐにぶんぶんと首を振った。
「それを信じられるような証拠はないですよね」
受付嬢の言葉にエナージュは困ったような表情を浮かべる。
「確かにないな。だが、このふたりを身分証がないって理由で街に入れなかったことと、そのふたりが朝、再び門を訪れたことも門兵に確認すれば分かるだろう。ヘルツェンライゲンの外で夜をふたりで明かせるんだから魔物からの護衛くらいできるだろ。別に竜が出てくるわけでもないし」
護衛任務と言っても実際、道中に出てくるのはゴブリンやジャッカルなどだ。
討伐依頼であればEランク、高くてDランク。
それを、高ランクのエナージュが受けたとて、道中の魔物が強くなる訳ではない。
「分からないならはっきり言うが、おたくが抱えてる冒険者よりこの二人の方が頼りになると思ったから選んだんだ。嫌なら護衛なんぞせずに乗合馬車で帰る。選ぶのはそっちだ。好きにしろ」
どうやら面倒になったみたいで、エナージュは剣呑な表情を浮かべつつ、受付嬢に凄んでいる。
この人受付嬢を威圧してるよ。
なんだか受付嬢が可哀想になってきた。
たぶん護衛依頼は高位ランク冒険者に対するものだろう。
エナージュは都合よく居合わせた高ランク冒険者で、オレとソラはその推薦枠だ。
だが、ランクはEなのでギルドからすると胸を張って依頼者に伝える訳にいかない。
「そんな奴をよこしやがって、舐めてるのか」みたいなことを言われてしまうと信用も落ちてしまう。
だが、受付嬢は書類をぺらぺらとめくりながらなにかに気づいたのか、急に表情を綻ばせた。
「あ、えっと、おふたりはすでに一度護衛依頼を達成されているので大丈夫そうです」
受付嬢はそう言って書類を指差した。
はて?とオレとソラは顔を見合わせ、そんなの受けたっけ?と思いながら書類を見ると、そこにはクロスベルクからヘルツェンライゲンへの護衛依頼と記されていた。
待て待て、クロスベルクに行ったこともないのにこんな依頼受けられるはずがない。
何かの間違いではないかと思ってそれを口にしようとした瞬間
「魔物に襲われてる馬車を助けたやつか?」
とソラが口にした。
オレはその言葉でようやく思い出した。
そういえばアウルの馬車を助けた時、その後の護衛を引き受けた。
たいした道のりではなかったが、依頼自体はクロスベルクからヘルツェンライゲンへの護衛依頼だったため、それを受けたことになっているらしい。
「え?いいのか?じゃぁまぁ、こちらは問題ないよ」
突然の手のひら返しに拍子抜けしたのか、エナージュも剣呑な雰囲気はすっかり消え、いつもの柔和な雰囲気に戻っていた。
「ありがとうございます。では早速先方に連絡します。急いでいるようなので1時間以内には門で待機していてください。もし大きく時間が変更になったり、明日に延期されたりする場合はギルドの者を向かわせます」
受付嬢はそう言ってぺこりとお辞儀をした。
エナージュは「オーケー」と返事を返すと、指をピッと立てた。
オレとソラもギルドカードを受け取ると、軽く会釈をして部屋を出た。
ホールはまだ先ほどの騒ぎがおさまっていないようで、ブモホアがぎゃーぎゃーと騒ぎ立てている。
扉が開いて3人が外に出ると、視線がいっきに集まった。
「あ。素材のにーちゃんだ」
そこに、小さな男の子が駆け寄ってくる。
「お前は昨日の」
エナージュはそう言って男の子とグータッチを交わした。
「今日は解体依頼はないの?」
男の子はそう言ってエナージュを見ている。
「お前、オレのこと解体屋さんか何かだと思ってないか?オレは冒険者だぞ」
エナージュの言葉に男の子は驚いた表情を浮かべる。
その言葉に驚いた顔をする。
そして、3人が出てきた扉とエナージュを交互に見る。
「じ、じゃぁ、この部屋を利用してるってことは高ランクなのか?」
男の子にそう言われてエナージュは頬を掻く。
「そうだな。オレは帝都のSランク冒険者だ。すげぇだろ」
ニッと悪戯っぽく笑ったエナージュを見て、男の子が目を見開く。
「帝都でSランクってことは疾風刃?」
「おお。よく知ってるな。そうだ、オレが疾風刃のエナージュだ」
目をキラキラさせている男の子の頭を撫でながらエナージュが笑っている。
どうやらこの世界でも冒険者には二つ名というのが存在しているらしい。
「疾風刃だと?」
「帝都のエースじゃねぇか」
「本物のSランクだ」
などと、エナージュを見てギルド内はかなりざわついている。
とんでもない大物の出現にブモホアは開いた口をパクパクさせている。
冷や水というよりは氷水をぶっかけられたようにガタガタ震えて顔を青くしていた。
「なんか有名人になった気分だな。ありがとよ。ちょっと依頼で急ぐんで、またな」
そう言ってエナージュはギルドを後にする。
オレとソラもそれに続いた。
ほんの数日しかギルドにはいなかったので特に愛着もなかったが、それにしてもエナージュがここまで人気の冒険者だとは思っていなかった。
すごい人に良くしてもらっているのだと思うと悪い気はしない。
ギルドを出ると、集合までに剣くらい用意しておいた方が良いかと思い、オレは急足でアウルの店に立ち寄った。
だが、彼はどこかに出かけているようでお店の扉は鍵がかかっていた。
今から別の店に行くと待ち合わせ時間に遅れてしまいそうだ。
そう思ったオレは、魔術師と言ってなんとか納得してもらおうと思い、集合場所に向かったのだった。
◆
それから数時間して、ギルド内で依頼を受ける冒険者がいなくなったカウンターで、ヒルダは書類の整理をしていた。
毎日毎日大量の依頼を捌いている受付嬢は決して簡単な仕事ではない。
届いた依頼に目を通し、依頼の内容を確認しておかなければ仕事がスムーズに進まない。
この街の冒険者の識字率は半分ぐらいで、もう半分は依頼が読めないため受付で紹介しなければならない。
依頼内容をある程度把握しておかなければすべてを一から確認する必要があるため、知識としては欠かせないのだ。
依頼に目を通しつつ、ヒルダはそういえば今日は最近よく来る二人組が顔を見せなかったなと思う。
ヴィクトと名乗る男の方がいつも相対していたが、その横に立っている金髪碧眼の少女が息を呑むほどに可愛い。
むさ苦しい男の多い冒険者の中で彼女の美しさは際立っていた。
彼女のことを想像し、ついうっとりとした表情でにへっと笑ってしまう。
そして、書類の束をギュッと抱きしめて頬擦りをし始める。
「ヒルダ、ちゃんと仕事してる?」
先輩の受付嬢が明らかにおかしいヒルダの態度にギョッと目を見開いたが、しばし彼女の様子を眺めてみた結果、ただ浮かれているだけだと言うことに気づいて声をかけたのである。
「はっ!す、すみません」
ヒルダはすぐに我に帰り、頬を赤く染めながら再度書類に目を通し始めた。
「そういえば疾風刃、護衛依頼で帝都に帰っちゃったわね」
「そうなんですね。まぁ、もともと帝都の人ですから仕方がないですね」
先輩の話にヒルダは小首を傾げた。
ヒルダは下位ランク冒険者の受付がメインなので、上位ランクはおろか、中位ランクの冒険者のことにもあまり詳しくない。
最近先輩が騒いでいるSランク冒険者、疾風刃に対しても全く興味がなかった。
それよりもあの二人組が来なかったことの方が気になっている。
「あら?ヒルダは全然興味ないのね」
先ほどまで書類に頬擦りをかましていた後輩が夢中なのはどうやら疾風刃ではないらしい。
先輩受付嬢はどうやらヒルダの奇怪な行動はエナージュに向けられたものだと勘違いしたようだ。
「そんなことより金髪碧眼のめっちゃかわいい少女がいるんですよ」
「あ、見た見た。お人形みたいな女の子でしょ?」
先輩受付嬢の思わぬ返答にヒルダは驚いた。
彼女は高ランク冒険者の受付をメインにしており、いつもホールには出てこない。
高ランク冒険者の依頼受付業務は個室で対応しているので、知るはずがないと思ったのだ。
「あ、でもその子、男の子と一緒に疾風刃の依頼を受けたから帝都に行っちゃったわよ」
「なななな、なんですと?」
先輩受付嬢の言葉にあんぐりと顎を落としたのはヒルダだ。
冒険者登録の対応をして依頼、二人組がギルドを訪れるのが密かなヒルダの楽しみになっていたのだ。
それをあっさりと帝都に掻っ攫われてしまったのだ。
憤るのは無理も無い。
「なんでそんな簡単に渡しちゃったんですか」
「いや、依頼として受けられたらこちらは拒否できないから仕方ないよ。それに、依頼を断っても乗合馬車で連れて行くみたいなこと言ってたし、どのみちこの街に長く居座る気はなかったんじゃない?」
先輩受付嬢が肩をすくめると、それを見てヒルダは目をうるうると潤ませた。
「あのふたり、登録時に疾風刃の紹介があったし、登録してみたら依頼はあっさりクリアしてくし、ぜったい高ランクになりそうだったんだけどな」
「そんなに有望株だったの?」
「そりゃぁもう、ゴブリンやフレイムジャッカルの討伐に馬車の救援と、いくつかの討伐依頼を達成しているのに返り血ひとつ浴びずに帰ってくるんですから、Dランクすらまったく釣り合ってないと思いますよ」
胸を張り、えへんと答えるヒルダ。
「なんであんたがエラそうなんだ」
ヒルダの態度に先輩受付嬢が呆れている。
ふたりが帝都へと去った後、実は数日前に疾風刃が持ち込んだ解体素材はすべてその冒険者が登録前に倒したものだという事実が発覚し、期待の新人をあっさりと帝都に移籍させてしまったことに今更気づいて後悔することになるのだが、それはまた別の話である。
ちなみに、その魔物は寝ているヴィクトを起こすまいとソラが音を立てないように注意しながらひと太刀で首を落としていたということに気づくことは永遠にないのであった。
お読みいただきありがとうございます。
名前を考えるのが苦手過ぎて適当なのが多いです。
ちなみにエナージュは手元にモンエナがあったのでそこから取りました。
次回は護衛依頼を受けて帝都クロスベルクに向かいます。




