第一話:考古学者
ご覧いただきありがとうございます。
幼い頃、祖父母や両親が寝物語を語ってくれたことがある人もいるだろう。
教訓を教えるものであったり、夢を抱かせるものであったり、その物語に幅はあれど、どれもわくわくするものだったと記憶している。その中でも【黄金の国】の物語はシュラルのお気に入りだった。
考古学者である両親はシュラルの物心がつく前から旅を続けており、【黄金の国】を追い求めていた。両親だけではなく、多くの考古学者が【黄金の国】の時代の考察や、どういった生活習慣であったか、文化は、法律はと、謎を解き明かそうと切磋琢磨していた。
王国があった場所もわからないというのに、今思えば、なぜああも人が追い求めてやまなかったのか不思議でならない。いや、一応の理由はあったのだ。
千年も昔の国とはいえ、石碑に、ぼろぼろの書物に記載が一節でもあれば、考古学者はそれをさらに詳しく知ろうと、探し始める。
そこにまじないの残滓を感じ取れば符術師や呪術師がその秘密を知ろうとする。
さらに、考古学者が紐解いたことを知ったトレジャーハンターが財宝を求め我先にと探し始める。
様々な種類の人々が多方面から一つを追い求めた結果、【黄金の国】の存在を在るものとさせているのだ。
そして、シュラルもまた、その【黄金の国】に翻弄された一人である。
考古学者であったシュラルの両親は常に旅を続けていた。石碑を巡り、古い迷信や言い伝えのある村々を巡り、口伝や聖域を尋ね歩いた。幼いシュラルはそれを見て、触れて、考古学者が何をするものなのかを理解する前に、探索や調査の仕方というものを知った。子供が尋ねれば老人が優しく語り聞かせてくれる様子に、両親はただ笑顔でそれを眺めていたこともある。
黄金の国を追い求める学者や呪術師は多く、時に情報目当てに命のやり取りまであった。そういう時、シュラルは荷物の一つになって身を隠し、事が終わるのを待っていた。
呪術師、それは呪術を用いて他者を救うこともあれば、傷つけることもある者たちのことをそう呼んだ。彼らは相手が呪い返しの何かを持っていると弱く、両親はそういったものをしっかりと備えていた。それもまた呪術師に作ってもらったものだった。
シュラルはその争いがなぜ起きているのかもわからず、ただ、言われるがままに隠れ、出ておいでと言われれば姿を現した。
「あなたは隠れん坊が上手ね、シュラル」
母に褒められるのが嬉しかった。自慢気に笑ってみせれば、父の大きな手に髪を混ぜられ、その腕に抱かれた。
「さぁ行こう、この先が王国の跡地と言われている場所だ。黄金の国と呼ばれていたのだから、見つけられさえすれば富も名声も思うまま、幸せな探求生活が待っているぞ!」
「うん! おれ、おとうさんとおかあさんとずっと一緒に、さがすんだ!」
わはは、と笑いながら父に高く持ち上げられ、シュラルは楽しそうに笑った。そんな日々が続けばいいな、とシュラルは子供ながらに思ったものだった。
数日後、ある森の中で母が叫んだ。
「あなた、見て。あれが跡地かしら!」
少しだけ先にいた母の声にシュラルを抱いたまま父が駆け寄る。山を一つ削り取ったかのように、森の中に突然大きな凹みができていた。灰色の空、冷たい空気、剥き出しの土と風化した石の削れた砂の匂い。ただの瓦礫の山だ。ここに家々が、城があったとして、なぜ大地が凹んでいるのか。
「なんだこれは、別の遺跡か? 騙されたか?」
「でも、この情報は確かだと思うの……、進んでみましょう。もしかしたら、地下都市が本命で、陥没したのかもしれないわ。崩落には気をつけないといけないけれど、そうだとしたらどこかに地下への入り口があるはずよ」
足を進めた妻に倣い、夫もまた子を抱いてその後をついていった。
考古学者とは、古きを知りたがる恐怖を知らない者たちだと言われている。目指す真実のためならば墓を暴くことも容易に成し遂げ、祠を守る部族が居れば毒を扱い、情報を聞き出し、時に殺し、抵抗を封じる。中には目的のためにそうして手段を選ばない者たちもいた。己の欲望に忠実な学者は、残虐な行為すら厭わないのだ。
いつか、手痛いしっぺ返しがくるぞ。
そう言って血を吐き死んだ男の声がぼんやりとシュラルの耳にも残っていたが、その正しい意味はわからなかった。
父の肩から見下ろせば、広大な大地が長い滑り台のようになっていた。高さを感じてそこに恐怖を覚え、シュラルは横を見た。灰色の瓦礫の山、草木一本も生えていない光景は異様だった。年数が経てば鳥が種を運び、獣が住み着き、石を覆うように緑が育つものだ。おかしい、と父が呟いた。
「戻ろう、なんだかおかしいぞ。数年経てば森の初期状態でもいいくらいなのに、こんな瓦礫の山のままなんて」
しかし、母は夢中で先に進んでいく。
「それもまた【黄金の国】の魔術かもしれないわよ。発展した国だったというもの、想像もつかない技術があったはずだわ」
「たしかに、呪術師がそのにおいを嗅ぎつけてこそ、奴らも探してはいるから可能性はあるが……」
父の視線はちらりとシュラルへ向いた。シュラルはただ、父と目が合ったことが嬉しくてにこりと笑い、首に抱き着いた。その背中を撫でた父の手が、その時やけに熱かったように思う。
「シュラルを置いてきた方がいいかもしれない。ほら、あそこに煙が見える、人がいるんだ」
父の視線の先はこの瓦礫の山のさらに向こう側だ。細い一筋の煙が空を目指していて、そこで火が使われていることがわかる。進行方向にあるので母も気づいてはいた、だが、首を振る。
「こんな場所に住んでいるのは守り人や墓の番人でしょ、どうせ止められるわ。それにあれがトレジャーハンターや呪術師、同業者だったらどうするのよ」
「しかし、荷馬車も上に置いてきたし、シュラルに隠れん坊させる場所もないんだぞ」
「じゃああなたが守ってあげて、何かあれば私がやるから」
母がマントを軽く捲り、そこにあるナイフを見せた。ふふん、と自信満々に笑うその顔に止めても無駄かと父は溜息をついた。わかった、なら少し待ってくれ、とシュラルを下ろし、父は自身の首にかかっていた首飾りをシュラルの首に掛けた。
「いいか、シュラル。その首飾りは絶対に外しちゃだめだぞ。それは呪術を弾いてくれる、シュラルを守ってくれるものだ。約束は守れるな?」
「うん、はずさない」
いい子だ、と父に撫でられ、再び抱き上げられた。それをシュラルに渡したら誰があなたを守るのよ、シュラルの方が大事だ、と両親の早口な言葉が耳を掠めていく。ざく、ざく、と進んでいく足音の向こう、くすくすと笑う子供のような声が聞こえていたからだ。シュラルはまるで遊びに誘うようなその声に周囲を見渡し、視界を流れる白色の水彩画、その一筆を見た。すぐにパッと消えてしまうそれは光の粒を残し、綺麗だった。シュラルはそれを辿り顔を上げ、先程両親が下りてきた道の上に誰かがいることに気づいた。
「ねぇ、おとうさん……」
だれかいるよ、とその肩を引っ張って知らせようとした行動は、母の叫び声に搔き消された。
「あった! ほら、あったわ! ここから入れそうよ!」
アーチ形の石造りの扉を指差し、母が駆け寄っていく。傾いて開いていた扉は女の手でも押せば開き、ずず、と重い音を立ててその先の闇を見せた。手際よくランタンに火を灯し、早く、と手招き、待ちもせずに母が潜り込んでいく。
「待て、リズ! シュラル、さっきのはなんだ?」
「ううん、なんでもないよ」
そうか、と父がアーチ型の扉を潜っていく。シュラルがちらりと振り返った先には誰もいなかった。
アーチ形の扉の先は石階段が続いていた。埃っぽい空気に咽込めば、父が布を口元に当ててくれた。先を急ぐ母の背は暗闇の中で遠く、下にあり、シュラルは怖くてそちらが見られなかった。何か見えないものに手招かれるようなぞわぞわとした感覚が背筋を撫でて、ぶるりと震えた。
「……やはりおかしい、あまりに新しい。どこか削れているべきなのにこんな状態で千年……? いや、千年も経っていないのかもしれないな、書物や碑石に誇大表記があったとしてもおかしくはないが……、空気が吸える状態なのも……。まさか手入れを誰かが? やはりあの煙、守り人なんじゃないか?」
壁を撫で指につく埃や砂の状態を確認し、父が呟く。階段の凹みがない、崩れる気配もない、と安全の確保もしながら進む父の表情は、やがて厳しいものに変わっていった。
「リズ、引き返した方がいい、おかしい」
「だから、何度も言うけど、魔術が施してあれば、このくらいどうってことないわよ」
「それが魔術かどうかもわからないだろう」
「もう目の前に真実があるかもしれないのよ! そうじゃなくても情報があるかもしれないの!」
叫んだ母の声が長い下り階段の中で反響し、シュラルは耳を押さえた。ランタンの明かりに目を取られその奥の母の表情がよく見えなかったが、吊り上がった目だけはわかった。怯えたシュラルと目が合えば、母は僅かな罪悪感を見せて目を逸らした。
「……音の反響からして底は近いわ、せめて底の確認だけはさせて」
わかった、と父の低い声がいっそ心地よく、シュラルの心を落ち着かせた。とん、とん、と背中を宥められ父の首に回した腕にぎゅうっと力を入れた。大丈夫だ、父さんがついてる、と掛けられた声に小さく頷いた。
コトン、カツン、コトン、カツン、靴底の音が階段を降りる。父の肩の向こう、入り口がどんどん遠くなっていって、白い色が小さくなっていく。ぐるりと曲がった階段のせいでそれもあっという間に見えなくなって、シュラルは強く目を瞑った。
「あった」
母の感極まった声が聞こえ、父の足が速くなった。がくがくと揺さぶられシュラルは父の背中を必死に掴んでいた。おぉ、と感嘆の声にそろりと振り返れば円形の、真っ白な部屋がそこにあった。ドーム状の天井、母のランタンを反射して本来はオレンジがかった黄色に見えるはずのそれは、光を受けて何かがキラキラと輝いているから、白く見えるのだろう。中央には墓石のようなものがあった。斜めに置かれた石の表面には彫刻が施され、母はそれを覗き込んでいた。
「ほら、あったわ。この石碑を読むのは私たちが先かしら、それとも先駆者がいたのかしら」
「呪術は呪術だが、壁一面に彫ってあるのはなんだ。見たこともないインクだ。インクなのか、これは」
父がぐるりと回転しながら部屋中を見渡し、シュラルもそれに合わせて壁の文字を追った。
「きれー」
「えぇ、そうね。さぁ、真実をさらけ出してちょうだい」
シュラルの感嘆に母が生返事を返し、石碑の前に座り込む。そっと息子を下ろした父もその横に座り込み、覗き込んだ。古語だわ、翻訳しよう、と夫婦が肩を寄せ合っている間、シュラルは円形のその場所をぱたぱたと走り回った。暗くなくて怖くない、床から天井まで文字がびっしりと書かれていて、光の雨が降って来るような感覚を覚えた。両手を上に伸ばして、わぁ、と声を上げる。さらさらと降り注ぐ光の砂を掴めるような気がして、何度も腕を伸ばした。
やっぱり黄金の国はあったのよ、だがここには黄金もなければ国もない、どういうことなのかしら、待て、ここはなんて書いてある。両親の囁くような声はシュラルを見ることはない。やれやれ、と大人ぶって肩を不器用に竦めたシュラルは真っ暗な階段の方から足音を聞いた。びくりと体が震えた。隠れる場所を探して、それが石碑の裏しかないことに気づき、そちらへ駆けた。
「なぁにシュラル、どうしたの?」
「一緒に読んでみるか?」
両親がふふっと笑い、また石碑に目を戻す。石碑の裏、ランタンの影は光の砂がない。真っ暗な場所は怖いが隠れられる。そっとその陰で膝を抱えようと地面に右手をつけばそれを何かが掴んだ。ひゅっと息を吸った。振りほどくように腕を振ればすぐさま解放された。
「なに……?」
そ、っと近づく。石碑の影には何もない。
「……黄金の国、永遠求め、何かしら、この文字」
「生きる、長く? 王が何かをしたようだが、王は何をして国を滅ぼしたんだ?」
「こっちは、消える、色……? 色が消える? どういう……」
「ここに文言が刻まれているな。符術師か呪術師、どちらかのものだろう、ええと、待てよ、手記を確認しよう」
シュラルは、ほーっと息を吐いた。子供らしい仕草で額なんか拭ってしまい、両親の背に回って石碑を覗き込もうとした。母が囁いた。
「【永遠を求めし者、我が憎しみを受けよ】」
ゴトンッ、と石碑が動いた。ぎょっとして立ち上がった両親の背に押され、シュラルは床に倒れ込んだ。ハッとした父の視線はすぐに石碑へ戻り、再びシュラルを見ると駆け寄って抱き上げ、そして階段へ投げ込んだ。段差に膝や脛を打って、わぁん、と泣き出す。
「シュラル、逃げろ! 出るんだ!」
「いやぁ! ヘクトル! 腕が、私の腕が!」
ざわざわと何かが蠢くような音がして、ランタンの明かりが、ちか、ちか、と揺らいでいく。シュラルは今まで白く輝いていた場所が黒いざらざらしたものに飲まれていくのを見ていた。
「おとうさん! おかあさん!」
部屋に戻ろうとして再び父の腕に突き飛ばされた。なんで、どうして、と涙を零しながら顔を上げれば、父の手が指先からすぅっと消えていっていた。
「シュラル! 階段を上がれ! ここに居るな!」
「あぁ、シュラル、シュラル! あなたが止めて! ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いいから早く! 上がれ! 逃げろ!」
「ごめんなさい! 愛してるシュラル、お願い、逃げて!」
小部屋の中で轟音を立てながら円を描く何かがその中の両親を掻き消していく。逃げろ、と父の低く厳しい声がして、シュラルは階段に手を突きながら駆け上がった。
「うわぁあん! おとうさん! おかあさん!」
真っ暗な階段、足が滑り何度も体を打ち付け、手のひらを擦りむきながら必死で上がっていく。背後からゾゾっと何かが追いかけてくる気配を感じ、甲高い悲鳴を上げながらシュラルは自分の頭を庇った。
「テゴ! ルーメン!」
ぱっ、と眩い光が降り注ぎ、後ろを追いかけていたものが下がっていく。体中を打ち付けていて痛かった。おとうさん、おかあさん、と呟きながら、シュラルはこてりと階段に倒れ込んだ。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。
次回更新は少し書き溜めるため間が空きますが、3末くらいを予定しています。Xにて更新日はお知らせをしていますので、いち早く更新日を知りたい方は覗いてみてください。