[2] ー私は頑張りたい。でも、辛いー
10歳になるとふざけることも楽しんだ。
人に嫌われない関わり方を探した。
男女で沢山遊んだ。
授業中に積極的に発表し、休み時間外で遊び、
バレエの同じ学年の子ともやっと仲良くなった。
8歳の時好きだった人に告白し付き合った。
だが、、
11歳で別れた。
どちらも奥手で話すことがなく、冷めていったからだ。
父に膵臓癌が見つかった。
大親友もできた。
授業中の発表はしなくなり、友達と喋っていて注意されることもあった。
バレエの熱は冷めていっていることに気づいた。
先生の差別がすごく好かれていないと注意をされることがなかった。嫌いな人には八つ当たりをしていた。私はその間だった。だから何も言われなかった。
頑張っても認められないなら、頑張らなくても、最低限のことしておけばいいんじゃないか。と思うようになった。
連帯責任も酷かった。
すぐキレるし、なにより圧が凄かった。
いちばん辛かったのは父の死だった。
死因は膵臓癌。
1度手術し、治ったが再発した。
それに向き合いきれていない自分が嫌になった。
すごく後悔した。
信じられなかった。
コロナの時期で面会に行けなかったため、このまま会えずに亡くなってしまうのはあまりにも可哀想だと、そして自宅療養になり、
父がトイレで倒れ、人はパニックになると本当に何も出来なくなることを知った。
そして最悪の、朝だった。
ある日の朝、起きると父が亡くなっていた。
少女にとって初めての身内の不幸が父だった。
父が亡くなるなんて思いもしなかった。
信じたくなかった。
少女Yには6つ離れた兄がいた。
兄はそのとき17だった。
勉強のことは全て父と話していた。
そのことが原因か分からないが受験勉強を高校受験のときよりやっていなかった。
兄は東大を目指していた。
模試ではC判定だった。
落ちた。
東大1本で受けていたため浪人だ。
ただ、父が会社の上の方の人だったため収入も多かった。だが、今は母がパートで働くお金で生活をしなければならない。
それは今までとは生活が本当に変わるだろう。
父が亡くなってからバレエに行くとバレエの先生(A先生)の優しさを初めて感じた。
ハグされたのだ。
少女はびっくりした。
だが、少女はその優しさとは反対にバレエを頑張らなくなっていった。
踊ることは好きだが、行っても見てもらえず怒られるだけだから、好きでいることを諦めた。