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9、マルゲリット

 私はカップをテーブルに置き、ソファーから立ち上がる。そうしなければいけない迫力みたいなものが、彼女からは漂っていた。

 客間に現れたマルゲリット様は、アレクにエスコートされ、私たちの前にやってくる。


 これまで遠目で彼女を見たことはある。育ちの良いお嬢様、といった雰囲気で、実際そうである。コルネイユ家の次期当主として、ご両親からも屋敷の仕事を少しずつ引き継いでいる……と、以前ジスラン様がおっしゃっていた。


 今ジスラン様の前に立ち、優雅にお辞儀をする彼女は、とても眩い。アレクと並んだら、おとぎ話の中から抜け出た妖精とお姫様そのものだ。

 上等なドレスを着ているし、髪は艶やかにまとめられ、化粧だってばっちりだ。身に着けたいくつかの装飾品も、彼女の美しさをきらきらと引き立てていた。


「お待たせしました、……ジスラン様」


 ゆっくりと、彼女はジスラン様の名前を呼び、そしてソファーに腰掛ける。あごを引き、じっと彼を見据える様子には、すでにコルネイユ家の当主の威厳や貫禄のようなものもにじみ出ていた。

 ジスラン様も対峙した相手から目を離さない。

 見つめ合うふたりをよそに、彼女のエスコートを終えたアレクは、すたすたと移動して私の前のソファーに座った。


「ミリアも座って」


 アレクにそう言われ、私は立ったままだったことに気づいて慌てて腰を下ろす。


「ようやく準備が整いましたね」


 それからアレクはにこにこと、横からマルゲリット様に話しかけた。

 マルゲリット様はアレクを一瞥したものの、すぐに視線をジスラン様に戻していた。

 なんだか……私は胃が痛い。

 私はなぜここにいるのだろう。というか、アレクはどういうつもりなんだろう。

 しかし、はらはらとドキドキの合間にいる私とは違って、アレクはなんとなく余裕がある感じだ。むしろ、このピリピリした空気をおもしろがっているような……。


 先に口を開いたのは、ジスラン様だった。


「マルゲリット。君とこうして直接話すのは久しぶりだな」


「……そうですね」


 マルゲリット様の表情も、その声も、硬い。


「君の婚約者が私に手紙を送ってきたのは知っていた?」


「先ほど聞かされて、驚いているところです」


「そうなのか」


 アレクはマルゲリット様には秘密で、ジスラン様に手紙を送ったのか。


「本当に、……もっと早くに知っていたら、私だってもっと」


 マルゲリット様は悔しそうに膝の上で手を握る。繊細な刺繍の施されたドレスの生地が、彼女の手のひらの中でくしゃりと縮んだ。

 彼女は顔を歪ませ、呻く。


「もっとジスラン様をお出迎えするのにふさわしい姿で、お部屋の準備も、滞りなくいたしておりましたのに」


 それは突然こちらを訪問した、ジスラン様への皮肉のようにも聞こえるけれど……。私はマルゲリット様の様子をちらりとうかがい、不思議に思う。

 彼女もとても緊張しているように見えたのだ。


「いや、十分のもてなしだ。おいしいお茶をありがとう、マルゲリット」


 ジスラン様は穏やかに、彼女に伝える。

 すると、ぽ、と。マルゲリット様の頬に朱が差した。


「お口に合うなら、なによりです」


「私の好きなものを覚えていてくれたのか」


 ジスラン様の言葉に、今度はマルゲリット様が淡く笑う。……この場面だけ切り取れば、両家の仲が悪いだなどと、誰も思わないのではないだろうか。

 それから彼女はもじもじと、口を開いた。


「ジスラン様こそ。私の好きなものを、覚えていてくださったのではなくて? ……あの赤い実を」


「赤い実?」


 私はふたりの会話に出てきた果実に、心当たりがありまくる。先日「マルゲリット様が好きなはず」と、アレクに勧めた赤い実のジャムを使ったお菓子のこと。私もアレクにごちそうになったことなども含めて、ジスラン様には報告していない。どうかこちらに矛先が向きませんようにと素知らぬふりをする。

 ジスラン様は彼女の言葉に、目を細め、答えた。


「ああ、あの果実。今も好きなのか、マルゲリット」


「はい」


 お互いの好きなものを伝え合うことが、過去にあったのだな……なんて思っていたときだった。


「ミリアも好きだからな。あの実は」


 突然、ジスラン様に名前を出されて、私はびくりと肩を震わせる。同時にマルゲリット様の表情が、再び硬くなる気配。戸惑っていたら、アレクが口を挟んだ。


「……もー、だから、マルゲリット様。僕が確認したって言ったよね? 彼女は……ミリアは、ジスラン様のいい人なんかじゃないよ」


 え、今、そんな話してた? と思いながらも、アレクの言葉に私も同意する。以前アレクに問われて私も激怒したのを覚えてる。


「そ! その通りです、私はただのメイドです」


 ジスラン様はいぶかしげに眉間にしわを寄せていた。


「なんだその話は」


 ああもう、どこから説明したらいいのだろう。困っていたら、アレクがきっぱりとジスラン様に言った。


「ジスラン様がいつまでも再婚なさらないのは、誰か心に決めた相手がいるのでは、と。そしてその相手はもしかしたら、いつもそばにいるメイドなのでは、と。マルゲリット様は推測されていたのです」


「アレク!」


 マルゲリット様は隣に座る婚約者の名を叱るように呼ぶ。しかし、アレクはしゃべるのを止めない。


「ミリアはそれを否定しました。そして、ジスラン様が再婚しない理由は、亡き奥様……ポーラ様のことを今も愛しているからでは、と――ジスラン様、本当はどうなのでしょうか? あなたが再婚しない理由を教えていただけますか?」


 アレクはまっすぐに、ジスラン様を見ていた。その隣で、マルゲリット様もおずおずと、視線を上げる。知りたい気持ちと知りたくない気持ちが入り混じった表情だった。

 ジスラン様はひとつ、瞬きをして、それから意を決したように話し始めた。


「私はポーラのことを愛していたよ。けれどそれは、家族としてだ。家族として当然の愛情があった」


 ジスラン様は過去を想い、目を細める。


「私がポーラと結婚をした年に、こちらのコルネイユの屋敷には待望の長女が生まれた。それが君、マルゲリットだ」


 マルゲリット様の上には三人の兄がいる。しかし、コルネイユ家は代々、女子が家督を継ぐ習わしだ。生まれた子どもは等しく尊くかわいがるはず……とはいえ、マルゲリット様の誕生に、コルネイユ家のご両親も安堵したのは間違いない。

 私はアレクをちらりと見た。彼は私の視線に気づいて、目くばせを返してくれる。今は黙ってジスラン様の話を聞けということだろう。


「とてもかわいい子で……、ああ、ポーラも。君みたいな娘が欲しいと言っていた。結局はできなかったけど。ポーラは突然亡くなってしまったから、ぽっかりと心に穴が開いた気がしたな。さみしかった」


 その話は、私も同僚に教えてもらった。流行病はやりやまいにあっけなく、若い奥様は命を奪われた。その喪失感は、どれだけのものだったか。

 すると、彼はそういえば、と。マルゲリット様に視線を向ける。


「マルゲリット、君は覚えているかな。私の妻が亡くなったとき、君はずいぶんと私を気遣ってくれた。まだあのときは……君は幼くて。四つか五つか、そんなところだったのに。ふたつの家が仲が悪い……なんて噂など、君には関係ないと。とても慰められたよ、そのやさしさと無邪気さに」


 小さなマルゲリット様が、失意のジスラン様をどう癒したのかは、私が想像できることではないのだけれど。彼の口調は穏やかで、……甘い。


「ポーラの死を忘れることはできない。できないなりに、気持ちは落ち着く。人間の便利で、冷たいところだ。……彼女が亡くなって何年かは、皆、私をほっておいてくれたけど。数年たてば、そろそろ再婚を考えろ、当主として、なんて。親戚からつつかれ始めて」


 ジスラン様は物憂げなため息をついた。彼の立場に、マルゲリット様も自身を重ねるところがあったのかもしれない。彼女もこくりと、うなずいていた。

 そんな彼女に、ジスラン様が問う。


「マルゲリット、君はいくつになった?」


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