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8、罠

 ジスラン様が便箋を一瞥して、話し始める。


「内容はまず、マルゲリットの結婚について……彼――アレクは、マルゲリットが自分との結婚を望んでいないと書いてある。どうだ? ミリア。君から見てこれは本当だと思うか?」


 尋ねられて私は少し考える。それはアレクも自信なさげにつぶやいていた記憶。


「彼は、マルゲリット様があまり笑ってくださらないことに悩んでいました」


 私がそう答えると、ジスラン様は疑問を問い返す。


「なぜだ? マルゲリットは自分で望んで、彼を――春の妖精のような男を、屋敷に迎えたのではないのか?」


「確かに彼もそのようなことを言っていましたが。マルゲリット様は本当は、この世に存在しない相手の条件を並べただけだったのではとも」


「マルゲリットが?」


「はい。しかしこれは彼の想像した話のようでした。本当に本当かどうかは、マルゲリット様にしかわからないと思います」


「……そうだな」


 ジスラン様は私の答えにうなずくと、「では次だ」と手紙を読み上げた。


「レスタンクール家とコルネイユ家の関係について。百年前からの問題を、そろそろ片付けてはいかがでしょうか? ……だと」


 そしてジスラン様は、いつになく低い声で、吐き捨てるように言った。


「簡単に言ってくれる」


 アレクはもしかしたら、両家のぎこちなさの原因について、何か新しいことを見つけたのかもしれない。いや、単なるはったりだろうか。彼ならばそれもあり得る。

 私はおそるおそる、ジスラン様に尋ねてみた。


「お屋敷同士の問題は、その……、解決が難しいものなのでしょうか?」


 私は単なる雇われメイドであるわけだし。お屋敷の歴史に意見できる立場ではない。しかし、ジスラン様が私にこんな話をするということは、私が興味を持ってもいいということにはならないか。


「原因も知らない私が、こんなことを言うのはおかしいですけど。でも、もしも、何か方法があるのなら……」


 お隣同士、仲が悪いと噂されるより、やっぱり、仲良く、というかごくふつうにでいいから、ご近所づきあいできたほうがいいと思う。ぐるぐると考えていたら、ジスラン様は小さなため息をついた。


「そうだな。もう目をそらすのはやめるべき時なのかもしれないな」


 私は彼の言葉に、前向きさと諦めと、そのどちらも感じ取る。それから再びジスラン様は手紙を読み上げようとした。


「それから最後に……か。いや、これはまたにしよう」


 同時にちらりと私に向けられる視線。私は瞬きを返したけれど、結局それ以上はジスラン様は何もおっしゃることはなかった。続きの内容は気になるが、ジスラン様が便箋を封筒にしまうのを見守るしかない。


「では。行くとするか」


 そう言って、ジスラン様はそばにかけていた上着に手を伸ばす。……外出?


「ジスラン様、どこへ」


 私は彼の身支度を手伝いながら尋ねる。今日はどこにも出向く予定はなかったはずだけど……。


「コルネイユ家に話をしに行く」


「え?」


 私は目を丸くする。ジスラン様の表情には固い決意が感じられた。上着の内ポケットに先ほどの手紙をしまうと、彼は私に命じる。


「行くぞ、ミリア」


「わっ、私もですか!?」


 ジスラン様の言葉に、私はその場で飛び上がる。なぜ私が? 他の供は? っていうか、私でいいんだろうか。

 命じられたからにはついて行くしかない。部屋を出て、ふたりで玄関に向かう。

 主人の突然の外出に、わらわらと屋敷の皆も玄関に集まってくる。


「ミリアも行くの? エプロンぐらいは外したら?」


「そうだね、そうする」


 私はその場でエプロンを外し、同僚に渡す。


「行先は?」


 その問いに、私はちらりとジスラン様の背中を見て答える。


「お隣。コルネイユのお屋敷」


「えっ」


 小さく声を上げた同僚に、何とも言えない表情で目くばせをしつつ、私は屋敷の外に出る。

 雨はやんでいる。これなら傘は必要ない。


 レスタンクールの屋敷の玄関には、不思議そうに、しかし心配そうに見送る皆の姿。

 私はなんだか、過去百年分の「何か」を背負ったような気持ちで、ジスラン様について屋敷を出た。目的地はすぐそこだ。


 ◆


 コルネイユの屋敷に入るのは実は初めてだ。


「いらっしゃいませ。レスタンクール様」


 お隣の屋敷の玄関で、私たちは断られることなく迎えられた。……歓迎か、どうかは、まだ不明。

 玄関から客間に続く廊下には、この屋敷の従者たちの姿。

 私はときどき庭の柵ごしに会釈する、コルネイユ家のメイドたちに、どうもどうもと頭を下げる。彼女たちもまた、突然の来客に驚いているようだった。


 執事と名乗る初老の男性に案内されて、通された客間はレスタンクールの屋敷の客間とも遜色のないものだった。風格あるテーブルに豪奢なソファー。どうぞとジスラン様の隣に座るよう勧められ、私は迷う。こういうときって、従者は座っていいんだろうか。ご主人様の近くに立って控えるのがいいような。

 コルネイユ家の方も何人いらっしゃるかわからないし、と、結局立ったままでいたら、客間の入り口にいたメイドたちが、姿勢を正す様子が見えた。廊下にかすかに足音。そして姿を現したのは――。


「はじめまして、ジスラン・レスタンクール様。僕がアレクです」


「……はじめまして。手紙をどうもありがとう」


 客間にやってきたアレクは、ジスラン様に笑顔で挨拶をすると手を差し伸べる。ジスラン様も立ち上がり、彼の手を握り返した。

 それからアレクは控えていた従者たちに、「また呼ぶね」と声をかけて客間から立ち去らせる。

 人が去り、部屋に残るのはジスラン様とアレクと私。三人だ。

 部屋の入り口の扉も閉じられて、客間の中に一瞬静けさが満ちる。


「ミリア。どうぞ座って。かしこまらなくていいよ」


 アレクはいつも通りの調子で、私に話しかけた。私はほっとしながら、腰を下ろしたジスラン様の隣、一人掛けのソファーに座った。座り心地の良さにおお、と声が出そうになる。


「わざわざお越しいただきありがとうございます」


 アレクはにこにことジスラン様に話しかける。ジスラン様はいたってまじめな表情のままだ。


「あのような手紙を送ってきたということは、君にもいろいろな覚悟があるのだな?」


「はい」


 センターテーブルを挟んで向かい合って座るふたりの間には、何やら見えない火花が散っているような気がした。私ははらはらとその様子を見守る。


「アレク、君はマルゲリットの婚約者だと聞いた。それは間違いないかね?」


「はい。今のところは」


 なんだか含みのある言い方だった。ジスラン様はいつになく、冷たい声で尋ねる。


「コルネイユ家の者は、レスタンクール家の者が訪れても迎える必要はないと? 当主が出てこず、婚約者殿に対応を任せるとは」


 確かに確かにである。ジスラン様の問いに、アレクが答える。


「手紙を出したのは僕ですからね。それに旦那様も奥様も本日はそろって不在。この屋敷にいるのはマルゲリット様だけ」


 そしてアレクが申し訳なさげに言葉を続けた。


「本当はマルゲリット様もここにいらっしゃるはずだったのですが。なにせ、準備が――」


 そのとき客間に扉をノックする音が響いた。「失礼」とアレクが席を立ち、客間の扉を開く。


「お茶をお持ちしました」


 入ってきたのはコルネイユ家のメイドだった。お茶の入ったカップが、ジスラン様、そして私の前にも用意される。恐縮である。


「いただきます。ありがとう」


 ジスラン様は礼を言い、カップを持ち上げる。給仕してくれたメイドは微笑んで会釈し、部屋を出て行った。アレクは開いたままの扉のそばで、廊下に顔を向けている。

 私はずっと息を止めていたような気持ちで、ほう、と大きく息を吐く。

 ジスラン様は手にしたカップに口をつけず、じっと眺めている。……まさか毒でも入っているかと、怪しんでいるのだろうか。そんなにもレスタンクール家とコルネイユ家は危ない関係だったのか、と、今更ながらにおびえたりもしたけど。そうではなかった。

 ジスラン様はこくりとお茶を飲み、そして、頬を緩ませる。


「やはり、いつもの味だ」


「え?」


 私はジスラン様の言葉に、自分の前に出されたカップを見る。鼻を近づけて、ようやく気づく。これは、ジスラン様が好んで飲んでいるお茶だ。

 街の行きつけのお店で、特別に取り寄せてもらっているものだ。私も毎日入れているからわかる。

 なぜこれを? 私はジスラン様オリジナルだと思っていたけど、コルネイユ家でも愛飲していたり?


 そのとき、アレクが客間の入口で声を上げた。


「申し訳ありません。お待たせしました」


 そして彼の示した先には――。


「マルゲリット様がいらっしゃいました」


 マルゲリット・コルネイユ。コルネイユ家の次期当主の姿があった。


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