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6、それぞれの誤解

「私は……っ」


 ――好きな人、いるの?

 自分の好きな人にそんなことを問われて、動揺せずに即座に正直に答えられるわけがない。

 私の好きな人は、アレク……目の前にいる、彼自身だ。

 出会って数日、ほぼ一目惚れ、しかも彼は隣のお屋敷のお嬢様の婚約者で、私なんかが横恋慕していい相手ではない。

 だから素直にあなたが好きですなんて、口に出せるわけもない。言ってはいけないし……言う、勇気もないのだ。

 私はぎゅっと唇を噛んだ。何を言ってもうそになるなら、黙っていることしかできない。

 すると、アレクが困ったように、笑った。


「ごめん。言えないよね。……ジスラン様に知られたら大変だから」


 なぜ今ご主人様……ジスラン様の名前が出てくるのだろう。確かに誰にも知られてはいけないけれど、ジスラン様が特別いけないとは私は思わないのだけれど。

 食いしばった歯を緩めて、私は彼に問う。


「どうしてジスラン様が?」


 すると彼は軽く片目をつぶる仕草で、私をからかうように答えた。


「だってそうだろう? ミリア、君はジスラン様のお妾さん、なんだから」


「は?」


 腹の底から声が出た。妾? 私が? ジスラン様の?

 思いがけない言葉にまず出てきたのは驚きの感情だったけど、それはすぐにふつふつとわいてきた怒りに塗りつぶされる。

 私はその場で立ち上がって怒鳴りたい……気持ちをぐっと抑えて、階段下の狭いスペースで、声をひそめて、だけど怒りをふんだんに込めて、彼に言い返す。


「失礼なことを言わないで。ジスラン様はずっと、亡くなった奥様のことを想ってらっしゃるんだから」


 もちろん私は妾などではない。ジスラン様にはそういった「女」の影はない。うまく隠しているとしたら、相当なものだと思う。私は鈍いメイドだけど、屋敷の他の使用人たちの間でも何の噂もないのだ。ジスラン様はずっと、ずっと。亡くなった奥様を……愛していらっしゃる。他の人の入る隙間などないはずだ。

 私の激高に、アレクが慌てて頭を下げた。


「ごめん。……僕が悪かった。ごめん」


 私はぷんすかと怒りながらも、即座にしおれて謝るアレクを見たら、許さないわけにもいかない。

 ふうう、と大きく息を吐くと、もぞもぞとその場にしゃがみ直す。


「……いいよ。でもどうして、そんなふうに思ったの? 私は単なるメイドなのに」


 それはアレクが思ったこと? それとも誰かが言っていたこと?

 尋ねたら、彼は素直に答えてくれた。


「マルゲリット様は、君がジスラン様の愛している人だと、言っていたから」


「はあ?」


 今度は驚きすぎて、変に高い声が出た。

 ちらりとお隣の、コルネイユの屋敷を見上げる。……マルゲリット様? どうしてそんなことをお思いに? 私はお嬢様の勘違いに、ひたすらに首をかしげるのだった。

 かしげすぎた私の首が転がり落ちる前に、アレクが言葉を足す。


「違うならいいんだ。ごめんね、変なこと言って」


 私は背筋を伸ばして彼にまっすぐに伝える。


「ほんとに違うからね」


 念を押せば、アレクはふふっと笑った。


「うん。知ってた。僕は知ってたんだけどね、一応ちゃんと聞いとかないと……」


「何それ」


 知ってたなら言わないでよ、と思ったけど。「ちゃんと確認しないといけない」仕事が彼にあったのかもしれない。私はもう一度、ちらりとコルネイユの屋敷を見た。彼にそんなことを尋ねさせるのは誰? それも、やはり、マルゲリット様なのかな?


「あ、そういえば。ミリア、百年前のこと、調べてくれた?」


 話題の転換に、私は目を瞬かせる。レスタンクール家とコルネイユ家が、仲違いした……かもしれないその理由。

 私は少し考えながら、彼に伝える。


「一応、レスタンクール家の家系図を見たよ。百年前にこのお屋敷に住んでいたのはどなただったか……」


 それぐらいのことしか、まだわからないのだけれど。

 私はアレクに、覚えていた名前を伝える。


「百年前だとジスラン様の曾祖父ひいおじい様がレスタンクール家の当主。その子どもがエドメ様、こちらがジスラン様のお爺様……、エドメ様には少し年の離れたお姉様がいて。彼女がちょうどこの頃、亡くなってるみたい」


 百年前ってすごく遠いけど、ジスラン様の曾祖父ひいおじい様がいた頃、と考えると、そんなに遠くも思えない。

 私の説明に、アレクはうーんと小さく唸る。


「お姉さんの名前は?」


「ええと、たしか、リュシー」


 リュシー・レスタンクール、と書かれていたはず。どうやら彼女は未婚で、若くしてこの世を去ったようだった。


「リュシー」


 アレクはつぶやき、それからうなずいて、突然私の手を握った。本当に突然だったから、私は驚いて、手を振りほどくこともできない。


「ありがとう、ミリア。僕ももう少し調べてみるよ」


 彼はつないだ手をぶんぶんと振り回す。もう、ふざけちゃって。私たちはとても真剣に、秘密の話をしていたのに。


「じゃ、立って。ミリア、こっち」


 アレクに促され、私は彼と一緒に立ち上がる。ああ、狭いところに長い時間しゃがんでいたものだから、ちょっと足がふらついてしまう。


「待って、アレク、どこに」


「ね、ちょっと手伝って」


「なに?」


 ふたつの屋敷を隔てる柵の方まで私を連れて、それからそのまま歩き出す。手伝いって、何だろう?

 手を引かれるままに歩いていたら、彼はぴたりと足を止めた。


「このへんかな」


 そして彼は私をぐい、と引き寄せる。私はバランスを崩して彼の胸に飛び込んでしまった。わざとではない。ほんとに違う。アレクの首元に顔をうずめることになり、私は胸の中がどうしようもなく、熱くなる。

 どういうつもりか、アレクに問いたくて。顔を上げたのが……いけなかった。アレクはふっと微笑んで、私に顔を寄せたのだ。近い。近すぎる。本当に、近くて。

 アレクの前髪が私の額に触れた。鼻先がこすれて、このままだと……!


「キスしていい?」


「!?」


 彼の問いに私は全力で驚いた。キス!? キスというのはあれだよね、唇と唇を重ねるやつだよね、恋人同士がやるやつだよね!

 私はレスタンクール家のメイドで、彼はコルネイユ家のお嬢様の婚約者で……そんな立場でキスとかするのはだめだよね!?

 っていうか。

 だめだよ、アレク。


 私はとん、と彼の胸を力の入らない両手で押し返す。それだけで簡単に、彼の体は私から離れた。え、私そんなに力持ちだった? っていうぐらい、彼と私の間には距離ができていた。


「……ごめん」


 そのセリフを言ったのはお互いに。そして私は真っ赤な顔をして、踵を返す。むりだ、いま、彼の前にいるのはむり。

 私は慌てて屋敷の裏口へ向かって逃げた。


 裏口から屋敷に飛び込み、はあはあと息を吐く。整わない息を飲み込んで、ぐっと唇を噛んでそろりと庭をのぞいてみた。

 もう、アレクの姿はそこにはなかった。


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