5、私の好きな人
書庫で見つけたレスタンクール家の家系図を、持ち出してアレクに見せるのは……さすがにだめな気がした。
私は元あった棚にそれを戻すと、自分の本来の仕事を思い出す。
そうだ、ジスラン様に頼まれた本を探して、お届けしないと。
◆
「失礼いたします」
なんとか無事に見つけた本を持って、ジスラン様の部屋に向かう。
私と入れ違いで、同僚が彼の部屋から出て行った。
どうやらお茶の用意をしていたらしい。ジスラン様のデスクの片隅に、ティーポットとカップが見えた。
「ジスラン様、本をお持ちしました」
「ありがとう」
ジスラン様は手元の書類から視線を上げて、私から本を受け取りながら言った。
「新しい茶葉も買ってきてくれたんだな、ありがとう、ミリア」
私は昨日、街へお使いしたときのことを思い出す。アレクとお花見しながらお菓子を食べたこと……は、ジスラン様には秘密だけれど。
「店主がジスラン様によろしくとおっしゃってました」
お茶を買った店でおまけしてもらったことを伝えたら、ジスラン様も笑っていた。
「街は花がきれいだっただろう? 川まで桃色になっていると聞いた」
「はい。たくさん咲いていました」
花の話につられるように、ふたりで窓の外に目を向ける。お隣の庭から伸びた枝に咲く薄桃色の花は、今日も見事な姿。もうしばらくは楽しませてくれそうだ。
……と、その木のそばに、人影があった。陽にきらきらと輝くその髪色を見て、私はどきりと心臓を跳ねさせる。ジスラン様もそれに気づいて、おや、と窓のほうに身を乗り出した。
「あの青年が噂の婚約者殿か。本当に春の妖精のようだな」
「……はい」
あまり窓の近くに立つと、アレクのほうからも見えてしまうのでは、なんて焦りもあった。アレクも今日は柵の向こう側、コルネイユの敷地にいるのだ。別に、お互い悪いことをしているわけじゃないのに……なんだろう。なぜだかジスラン様に、アレクを見られるとそわそわする。
しかし、ジスラン様の興味はそこまでだった。彼の視線はデスクに戻り、再び仕事に取り掛かる。
私はほっとして、ジスラン様の部屋を去ることにした……が。
去り際に見た窓の外、アレクが完全にこちらに向かって手を振っている……いや、招いている? のが見えて、再び肝を冷やした。
何をやっているのだろう、あの人は!
嬉しい気持ちもあるけど、やはり悪いことをしている気持ちになる。慌てず騒がずを心掛けつつ、そっとうかがったジスラン様は、書類に視線を落としたままだった。
……たぶん、大丈夫……だよね?
「失礼いたします」
私は恭しくジスラン様に頭を下げて部屋を出て……それからゆっくり、いや徐々にほぼ駆け足で。庭に向かった。
幸運にも庭に続く裏口付近は無人。誰にも見られずに庭に出て、それからさっきまでアレクがいた場所を見た。
けど、もう、彼はそこにはいなくて。
「ミリア、こっち」
彼は、私が屋敷のどの扉から出てくるかを知っていたかのように、裏口近くで待っていた。私は自分の出てきた屋敷をちらちらと見上げながら、アレクに近づく。彼は私の動揺などお構いなしだ。
「やっぱり、あの部屋にいたのミリアだったんだ。窓辺にいるのが見えたから」
「アレクから見えるってことは、屋敷からも見えてたってことだよ」
「一緒にいたのがご主人様?」
「そう。ジスラン様」
「ふぅん」
アレクは何を思ったか、レスタンクールの屋敷を下から見上げながら庭を歩き始める。あまりうろうろしたら、ジスラン様にもだけど、ほかの従者たちにも見つかってしまう。私は慌てて、彼の手を引いて捕まえた。
とにかく死角、見えないところ。私たちの姿がほかの人には見つかりにくい場所にいなくては。
そんなことを思いつつ、裏口近くの外階段の下に身を潜める。ここなら、どちらの建物からも見えない。
「ここ、しゃがんで」
「しゃがむの? いいけど」
かくれんぼみたいだね、なんてのんきなことを言いながら、アレクは私の隣に腰を下ろす。
隠れることを優先したら、思いがけず、アレクとくっついていることになった。
私はどきまぎする自分の気持ちを押しとどめつつ、彼に問いかける。
「昨日はどうだった? マルゲリット様はお菓子、喜んでくれた?」
すると、アレクはにっこりと笑う。
「もちろん。マルゲリット様は、とても喜んでた。……ほんと、助かった。マルゲリット様を笑わせることができたから。やっと」
アレクは心の底からしんみりと、そんなことをつぶやいた。
「マルゲリット様って、ふだんは笑わないの?」
「うん」
私は不思議に思う。マルゲリット様は、アレクのことを好きじゃないんだろうか? だって、好きな人がそばにいたら、どうしたって笑っちゃうよね?
「マルゲリット様は、春の妖精のような人を望まれた、って聞いたから、私、アレクはぴったりだと思うのに」
「ありがとう。……でも本音はどうなんだろうね」
「本音?」
私が首をかしげると、彼は唇を少し持ち上げた。
「それぐらい、無理難題を言って。この世には存在しない相手をでたらめに望んだとしたら。本当は、僕みたいなのが連れてこられて、困ってるのかも」
「そんな」
でも、そんなことをして、何の意味があるのだろう。マルゲリット様の本音とやらは、私にはまだ想像もつかない。
私はもうひとつ、彼に尋ねてみたいことがある。
「アレクはどこから連れてこられたの?」
まさか妖精の国から……なんてわくわく妄想しかけた私に、アレクは現実にまみれた言葉をくれる。
「君みたいなお屋敷のメイドが聞いたら驚いちゃうような場所で、大っぴらには言いづらい仕事をしてたんだけど……聞きたい?」
それは……聞きたいような聞きたくないような、でもやっぱり好きな人のことは何だって知りたくなる。
「私けっこう耳年増だから大丈夫だと思うけど」
平気なふりをしてそう胸を張れば、アレクは明らかに疑いの眼差しを向けてくる。
「ええ、ほんと?」
もうここで引くことはできない。私がこくこくとうなずけば、彼は私の耳に息を吹きかける。
「じゃあ耳貸して」
微かな刺激に甘い響き。ぞくぞくと震える気持ちを隠した私にひそひそと語られるのは、彼のこれまでの人生の……きっと一部分。
聞きながら、私は静かに生唾を飲んだ。
「どうかな?」
「うん……、言っちゃいけないやつだね」
アレクの過去は明らかにセンシティブ。全年齢に向けて語ってはいけない類の話だった。
私の反応に、アレクはある意味満足そうな表情を浮かべる。
「だよね? やっぱり。秘密にしてくれる?」
うなずいた私に、彼は追加で情報をくれた。
「ちなみに、僕をここに連れてきたのは、マルゲリット様のお兄さんの、ガイルだよ」
ガイル様……というのは確か、マルゲリット様の三番目のお兄様。
「彼は僕のいたところの常連で……僕の悪友。あ、これも秘密だからね」
私は彼に、秘密を誓う。ありがと、とお礼を言って、それからアレクの話はコルネイユ家の話題に戻る。
「とにかく、ガイルには感謝してるし。コルネイユ家の人たちにもよくしてもらってるし。マルゲリット様には幸せになってもらいたいんだよねえ」
「アレクがいたら幸せだと思うけど」
「あはは。そんなこと言ってくれるのミリアだけだよ」
ひとしきり笑い、アレクはさみしそうに目を伏せた。
「僕のとりえって、顔だろ? 見た目。ほんと、それだけでここに連れられてきたわけだからさあ。それで気に入ってもらえなかったら、また、元のところに追い出されるかも……って思ったら。僕も必死なんだよね、実は」
元のところ、と言うときに、アレクは顔をしかめていた。私もつられてくしゃりと眉間にしわを寄せる。これまで彼がどんな暮らしをしてきたか、想像したら胸が痛い。
確かにアレクは顔がいい。顔だけではなくて立ち姿も、こうしてしゃがんでいる姿もきっとサマになっている。でも、彼に目を引かれるのは、姿形が美しいからだけではない気がする。
「私、アレクのすてきなところって、見た目だけじゃないと思うよ」
「え?」
「まだ出会って数日だけど。その笑顔とか、しゃべり方とか、仕草も、雰囲気も……アレクはすてきなところ、いっぱいあるよ。やさしいし」
「……うん」
思わず彼の好きな部分を並べて、口に出してしまったことに気づき、私は慌てて口元を手で覆う。
いや、口元だけじゃなくて、顔! 顔も全部隠さなきゃ。私は上気する頬に気づいて泣きそうになった。
私が口説くようなことを言ってどうする。こんなことが他の誰かに知られたら大問題だ。
「ごめん、やっぱりなかったことに」
「え、褒め言葉を引っ込めるのはなしだよ。ありがとう。ミリアに褒められて嬉しい」
「うん、でも、秘密にしてね」
「するよ。僕とミリアの秘密だね」
彼はさっきまでの物憂げな雰囲気から一転して、にいっとずるく笑った。
「僕はまあ、マルゲリット様より。ミリアの気持ちが知りたいかな」
「え?」
目を丸くする私に、アレクはそっとささやいた。
「ミリアは好きな人、いるの?」
思いがけない質問に、私は言葉を失った。