3、お茶とお菓子と
私が彼に再会したのは、その翌日のことだった。
「ミリア」
私は街角、ひとりでお使いの途中に名を呼ばれ立ち止まる。
振り返ると私に向かって手を振る美男子。見慣れた街の風景が、そこだけ絵画に描かれた一場面のよう。彼のまわり、何の関係もない人たちも、通りすがりにアレクに目を奪われ、見とれているのがわかる。
やっぱり、私じゃない人にとっても、彼は特別美しい存在なのだ。
アレクはつやのある良い形の唇を動かして、私に問う。
「お使い?」
私が手にした買い物かごをのぞき込むような仕草。私はそのリクエストに応え、かごに被せていた布を少しめくって、中身を見せた。かごの中にはジスラン様のお気に入りのお茶の葉っぱが入っている。行きつけのお店で特別に取り寄せてもらっているのだ。
「そう。アレクは?」
「僕は何かいいプレゼントでもないかなあって」
「プレセント?」
アレクはするりと私の隣に並んだ。とりあえず、歩きながら話すことにする。少し立ち話をしていただけで、アレクに見とれた通行人が立ち止まり、人だかりができかけていた。騒ぎになる前に、移動しよう。
アレクはちょっと残念そうにため息をついた。
「あの花は切っちゃだめって。マルゲリット様が」
「聞いたんだ?」
「うん。枝をむやみに取ると、そこから弱ってしまうんだって。なかなか切るのも難しい木らしいよ」
「そうなんだね」
庭の木が、枝葉を隣の家の庭まで伸ばしてご近所トラブル……なんてのはよくある話。そのときは適切に、伸びてきた枝葉を切ることもこの国では認められているのだけれど。切らなかったのは、弱ってしまうからか。
だからジスラン様も切らずに置いているのかもしれないな。
過激な考えだと、仲が悪いお隣の木なんか、弱ろうが何だろうが排除してやればいい……とか、なりそうだけど。そういうことにはなっていない。
「花がだめになったから別のプレゼントを探してるんだ。僕にも用意できるやつ。あ、高級な宝石や靴やかばんは無理だからね」
アレクはマルゲリット様に、プレゼントを贈ることを諦めてはいないらしい。高級なものは無理、ということは、アレク自身はどこかのお屋敷のお坊ちゃん……というわけではなさそうだった。
そういえば、と思い出す。通りがかったのは焼き菓子の店の前。
「マルゲリット様は、あの赤い果実がお好きだと」
旬はまだ先だけど、年中おいしいジャムが流通している。それを贅沢にあしらったパイやタルトが、このお菓子屋さんにはよく並んでいる。
「よく知ってたね?」
「うん、ジスラン様がおっしゃってるのを聞いた覚えがあるから」
もっと隣の屋敷のメイドたちと交流していたら、私ももっとたくさんマルゲリット様のことを知っていたかもしれない。そしたらもっといろいろな情報を、アレクに伝えることもできたのにな。残念。
「よし。じゃあ、買って行こう。ミリアも来て」
「えっ」
アレクに手を引かれ、断る間もなく洋菓子店へ。甘いにおいがお店の中いっぱいに広がっている。
「いらっしゃいませ」
店員さんは明るい声で挨拶をしてくれたけど、それから目を見開いたまま硬直している。……その気持ちはよくわかる。私だってアレクみたいなきれいな人が突然お店を訪れたら、あわあわなってしまいそうだから。
「どれがいいかな?」
アレクに問われ、私はショーケースを眺めるふりをして、つないだ手をそっとほどく。いつまでもつないでいたいとか、そういうのは隠しておかなくちゃ。
「このあたりのがいいと思う」
選んだのはパイとタルト。ここのお店のパイはサクサク感が絶品だし、ジャムとの相性も抜群。タルトは見た目が華やかでかわいいのだ。もちろん味も良い。
「じゃあ、これとこれと。ふたつずつ」
アレクは私の選んだものを、店員さんに示した。店員さんは夢から覚めたような、だけどまだ夢の中にいるような、そんな様子で応対してくれる。
ふたつずつ、ということは。アレクはマルゲリット様と一緒にお茶の時間を楽しむんだな。
アレクはトレイにパイとタルトを取った店員さんに、もうひとつお願いをしていた。
「ふたつの箱に分けてください」
「かしこまりました」
そんなことなら喜んで、いや、そんなことじゃなくてもアレクの願いならなんだって、この店員さんも叶えてくれそうだった。いつの間にか、店の奥の厨房でお菓子を焼いていた別の店員さんも、店先まで出てきてアレクに見とれている。
「どうぞご贔屓に」
「ありがとう」
大人数に見送られ、手を振りながら店を出た。私はこんな状況は初体験だけれど、アレクは特に気にしてはいない。もしかしていつもこんな感じなのかな、と思うと、大変そうだな、なんて思ったりもする。
再び並んで歩きだしたところで、彼が私にひとつ、箱を差し出した。
「お礼」
私はようやく、彼が箱を分けた理由に気づく。アレクは私の分も、お菓子を買ってくれていたのだ。感激のままに私は受け取ろうと伸ばしかけた手を……すぐに引き戻す。
「もらえない。持って帰ってジスラン様にも、屋敷のみんなにも報告しづらいよ。コルネイユ家のお客様に買ってもらったとか……」
お隣の屋敷の人との接触を、直接ジスラン様に禁じられているわけではないけれど……他の従者たちだってやっていないことを、私がしてしまうのにも抵抗があった。
すると、アレクは少し考えてから、残念そうに眉を寄せた。
「ミリアはジスラン様のことをお慕いしているんだね」
「それは、まあ、そう」
ジスラン様は雇い主だし、ご機嫌を損ねることはしたくない。
すると、アレクはうん、とひとつうなずくと、気を取り直したように私に言った。
「じゃ、一緒に味見してから帰ろう」
「え、味見?」
「そう。お屋敷の人にばれないように、証拠隠滅すればいい」
そういう問題? 困惑する私の前で、アレクはいたずらっぽく片目をつぶる。その仕草に、私は抗う気持ちをなくすのだった。
だめだ、私。すっかりアレクに魅了されている。