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12/12

12、夏を迎える

 薄桃色の花の木は、今は健やかな緑色。花が散って新緑が芽生え、たくさん葉を茂らせた、暑い日に。

 レスタンクール家とコルネイユ家との婚姻が結ばれた。ジスラン様とマルゲリット様は晴れて夫婦となった。

 両家の親族一同驚いていたが、いろんな問題が一気に片付く話でもあったから、まるっとまとめておめでとう、ということで落ち着いた。

 マルゲリット様のご両親やお兄様たちは、彼女の想い人がジスラン様であったことにこれまでちっとも気づいておらず、驚きながらも、そうだったら早く言ってくれたら協力したのに、と、言っていたそうだ。

 ジスラン様の人柄の良さはコルネイユ家の皆が認めていたし、再婚であることも年の差があることも、些細なこと。

 屋敷については、ジスラン様はこのままレスタンクール家の仕事をするし、コルネイユ家はマルゲリット様が継ぐ。ふたつの屋敷の間にある柵は、ところどころ取り払われて。お互いの屋敷の従者たちも、気軽に行き交うようになった。

 両家が不仲だ……なんて噂は、きっとすぐに消えてなくなることだろう。


 ◆


 日中、レスタンクール家で仕事をされるジスラン様にお茶の用意をするのは、彼の結婚後も変わらない。ちなみに、同じお茶を、コルネイユ家でも飲んでいるらしい。マルゲリット様は幼い頃に、ジスラン様にこのお茶をごちそうになった記憶があったそうで――だから、コルネイユ家にお邪魔したときにも、このお茶でもてなされた、というわけだった。相手の好きなものをしっかり覚えているというのは、やっぱり彼のことを好きだからだよなあ、などと。私はマルゲリット様のいじらしさに頬を緩ませたりもした。


 カップにお茶を注いだところで、ジスラン様が思い出したように、私に封筒を差し出した。


「ミリア、これがあのとき、彼が私に送ってきた手紙だ」


 渡された封筒の宛名、ジスラン様のお名前は、じわりと水でにじんでいた。見覚えはもちろんあった。差出人はアレクだ。

 ジスラン様と一緒にコルネイユ家に向かったあの日、届いた手紙。


「私が見てもよろしいのですか?」


「ああ。君たちには世話になったから。アレクも君に見せることを、たぶん望んでいる」


 アレクも……?

 私は少しの緊張とともに、封筒から便箋を取り出した。そこにつづられているのは、軽やかだけど整ったアレクの言葉。


 ◆


 親愛なるジスラン・レスタンクール様


 このような手紙を突然送ることをお許しください。

 僕は現在コルネイユ家に滞在中の、アレクと申します。

 マルゲリット様の婚約者候補と名乗れば、おわかりいただけますでしょうか?


 僕からあなたにお伝えしたいことが数点あります。

 まずはマルゲリット様の結婚について。

 彼女の本心は、僕との結婚を望んでいません。


 次に、レスタンクール家とコルネイユ家の関係について。

 百年前からの問題を、そろそろ片付けてはいかがでしょうか?


 最後に、これは僕の単なるわがままではありますが。

 あなたのメイドのミリアを、僕にください。


 これらのことについて、コルネイユ家にて場を設け、直接話し合いたく存じます。

 お待ちしております。


 アレク


 ◆


 私は読み終えて、のぼせる頭を持ち上げる。視線の先でジスラン様が微笑んでいた。


「本当に。彼の伝えたいことはどれもこれも私を掻き立てるものだった。長年隠していたものを、あっさり剥ぎ取ってしまう。アレクの前では素直になるしかない……うそもごまかしも見破られてしまう」


「妖精の魔法のようですね」


「ああ、そうだな」


 アレクはマルゲリット様の気持ちだけでなく、ジスラン様の気持ちも、きっと早くに気づいていたのだと思う。


「しかし、上のふたつは私の問題だが。最後のひとつは、私が決めることではない。ミリア、君の気持ち次第だな」


 最後のひとつ……それは、この、あなたのメイドのミリアを、僕にください……というところだ。私は再び読み直して、再びその場で変な声を上げそうになった。ジスラン様の前だから自重できたけれども。ひとりだったら絶対に妙なことになっていたと思う。


「こんなことを私が言うのはおかしいかもしれないが。彼はとてもいい奴だ。見た目だけじゃない」


 ジスラン様にアレクを褒められて、嬉しくなる。自分自身を褒められるのも嬉しいけど、彼のことを褒められるのも嬉しいのはやはり、それは、私が彼のことを好きだからだ。


「ありがとうございます、ジスラン様。私の答えはずっとずっと、変わりません」


 私にも、もう、うそもごまかしも必要ない。

 まっすぐに答えた私に、ジスラン様がうなずく。


「そうか」


 そのときがちゃりと、ジスラン様の部屋の扉が開いた。ノックもなしに入ってきたのは、金色の髪の――。


「あ、お茶の時間だね。ミリア、ありがとう」


 きらきらした笑顔を向けられ、硬直する私の手から、ジスラン様がさりげなく便箋と封筒を取り上げた。


「アレク、ノックぐらいしなさい」


「すみません。忘れてました」


 あははと笑い、彼は抱えていた資料をデスクに置く。私が手紙を読んでいたことには、気づいていないようだ。ジスラン様はお茶の入ったカップに手を伸ばすアレクに、声をかける。


「お茶がすんだら、ふたりに頼みたいことがある」


「はい」


 ふたりに、ということは、アレクと私に、ということだよね?

 返事をした私たちに、ジスラン様が命じたのは――。


 ◆


 春の妖精みたいなアレクは、夏になって、少し人間ぽくなった。いや、元々人間なのだから、当たり前なのだけど。日に焼けた肌に、顔つきにも精悍さが加わったせいだ。


「ジスラン様は僕にはやたらと厳しいと思わない?」


 ジスラン様の指示で、ふたりで街にやってきた。頼まれたのはお使いで、それは大した仕事ではないのだけれど。アレクの愚痴に、私はくすくすと笑う。屋敷の中のふたりの様子を思い出したら、心当たりはたくさん。

 春の日にふたりでお菓子を食べた川辺もすっかり夏の気配。葉っぱの茂る木の影にふたりで腰を下ろした。水が近くて気持ちがいい。


「アレクに仕事を引き継がせたい、って。ジスラン様が言い始めたときは大丈夫? って皆心配したけどね」


 そう。ジスラン様はなぜかアレクのことを気に入って、レスタンクール家の仕事を少しずつ教えているのだ。マルゲリット様に婚約破棄されて、行き場をなくしたアレクは……今、レスタンクールの屋敷の中の、従者たちのために用意された部屋のひとつに滞在中。つまり私の部屋の、隣の部屋に住んでいる。

 アレクのおかげでいろんなことが、いい方向に片づいたことを、従者の皆も知っている。ジスラン様の後押しもあって、彼のことを悪く言う人は今のところいない。

 アレクにとっても、レスタンクール家は居心地がいいらしく……何よりである。

 というか、私が一番今の状況を喜んでいる。


「アレクはすごいよね。アレクのおかげでぜんぶうまくいった」


 私がそう言えば、彼は照れたようにかぶりを振る。


「ミリアが手伝ってくれたからね」


「私はほとんどなにもしてないよ? 家系図をこっそり見たぐらい?」


「それもだし。マルゲリット様の好きな赤い実のことを教えてくれたり……あれで、マルゲリット様の気持ちが確定したからね。彼女が好きなのはジスラン様だって」


「そうなんだ?」


「そう。……ジスラン様が私の好きな食べ物を覚えてくださってたなんて……! って。浮かれてたから、マルゲリット様」


 アレクのマルゲリット様モノマネに苦笑しつつ、私はうんうんとうなずいた。やはり好きな人に好きなものを覚えてもらえるというのはとてもいい。


「それから、ジスラン様をコルネイユ家に呼び出せたのもミリアのおかげだしね」


「え?」


 ちょうど今日、ジスラン様に見せてもらった、アレクの書いた手紙の文面が頭をよぎる。あれを読んで、ジスラン様はコルネイユ家に向かうことを決めたのだと思っていたけれど……。


「手紙で伝えるだけじゃ、ジスラン様は動かなかったかもしれない。でもその前に、仕込んでたのがよかった」


「仕込み……」


 私は何かあったかと思い出す。思い出そうとするけど、目の前に夏の日差しを浴びてきらきらにこにこ笑うすてきな人がいたら、記憶が浮遊してあんまりちゃんと考えられない。

 するとアレクは、もう、と小さくあきれた声を上げて、私に顔を近づける。


「庭で僕にキスされそうになったこと、忘れた?」


 私はかあ、と頬を赤くする。忘れてなんかいないけど、思い出しすぎると落ち着かないから、なるべく思い出さないようにしている記憶。……そういえばあのとき、彼は言ってたな。手伝ってって……。


「あれを見たらジスラン様も、僕がろくでなし野郎だって思うだろうし。手紙にもそれっぽく書いとけば、怒って動いてくれるかなって。マルゲリット様のことを愛しているのなら、僕みたいな奴と結婚させるのは反対するに決まってる」


 彼の言葉に、私は息をのむ。


 ――キスしていい?

 と、彼があのとき私に言ったのは、ジスラン様を焚きつけるためのお芝居。

 そして、ジスラン様へ宛てた手紙に書いた言葉も、それを信じさせるための、うそだった?


 私はさっきまでのうきうきとした、幸せに満ちたような、そんな気持ちが、突如消えてなくなるみたいだった。夏の眩しい日差しの下で、鮮やかだった色彩の、コントラストが強くなりすぎて世界は一気に白と黒。


 そうだよね、そうだよね。アレクはマルゲリット様が幸せになることを最優先に考えていた。私の存在は、彼にとって便利だったから、だから頼られていただけで……。

 私の好きと、彼の好きは、種類が違うんだって、改めて思い知る。


 でも、でも! これからもアレクはレスタンクール家にいるわけだし。じわじわ仲良くなればいいのでは? マルゲリット様の婚約者でなくなった彼を好きでいても、もう、横恋慕なんかじゃない。


 じっとり落ち込みそうになったけど、私はぐっと顔を上げる。

 彼に見せたいのは泣き顔じゃない。私は彼の前で笑っていたい。


「そっか、あれもお芝居だったんだね!」


 なんとか笑顔を取り繕ってそう言えば、アレクがふふっと小さく笑う。


「まあ、あわよくば本当にしたかったけど」


「え?」


 風が吹いて、ざざっと葉が揺れて。そこに川を流れる水の音も重なって、私ははっきりと、彼の言葉を聞くことができなかった。それぐらい小さな声で彼は言った。


「……手紙でジスラン様に頼んじゃったしなあ、僕の本当の願いも。だったらレスタンクール家で働けって言われたら、断れないよなあ」


 手紙? 今、手紙って言った? 本当の? 本当の何を?

 私は聞き返すかどうか迷い、口を開きかける。その唇に、そっと、彼の指先が触れた。


「僕だって、一生を共にするのは、一番好きな人がいいからね。花散る庭で出会った君は、まるで妖精のようにかわいくて」


 誰が、何が、それはどういう?

 次々とわき上がる疑問に、私は目を見開いた、……けど。


「キスしていい?」


 しっかり聞こえたアレクの言葉に、覚悟を決めて目を閉じた。


(横恋慕メイド〜お嬢様の婚約者に溺愛を添えて〜/終)

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