11、両家の約束
「そろそろ僕たちは退場しよう」
アレクに手を取られ、私は席を立つ。ジスラン様とマルゲリット様ははっとこちらを見て、そして、うなずいた。
私は客間の扉の前で、アレクに小さな声で問う。
「大丈夫? ふたりきりにして」
「大丈夫。ふたりきりのほうがいいよ。マルゲリット様も、ジスラン様も、言いたいことを言うべきだ」
そしてアレクは私にだけ聞こえるようにささやく。
「それに僕たちも、話すこと……あるだろう?」
私は耳を熱くしながら、アレクと共に客間を出た。
廊下に待機していた数名のコルネイユ家の従者の皆さんに頭を下げつつ、移動したのは隣の小部屋。
そこにもソファーとテーブルのセットがあった。私はアレクに促されソファーに座る。
「お茶はいいよ。ありがとう」
入口で話しかけてきたメイドの一人にそう命じて、アレクは部屋の扉を閉めた。
私たちもふたりきりだ。アレクは私のすぐ隣に座った。二人掛けのソファーが、微かにきしむ。
ああ、何から順に問えばいい? 知りたいことはたくさんあるけれど。
私がまず選んだのは、一番古い話。
百年前からという、レスタンクール家とコルネイユ家の問題について、だった。
「両家の約束が果たせるって、あれ、なに?」
ジスラン様とマルゲリット様が年の差に関係なく愛し合ったとして、お互いの屋敷同士が不仲なら、これからいろいろ大変になる……はずだけど。
むしろふたりは、どこかほっとしたような様子だった。
私が尋ねると、アレクは、うん、とうなずいて、そして話し始める。
「ミリアが教えてくれた、リュシーという名前を手掛かりに、ガイルに尋ねてみたんだ」
「リュシー」は私がレスタンクール家の家系図で見つけた、百年前に亡くなった……ええと、ジスラン様の大伯母様に当たる方。
ガイル様はマルゲリット様の三番目のお兄様で、アレクのご悪友だ。ガイル様とアレクの関係についてはもっと深く聞いてみたいけど、とりあえず今は置いておいて。
アレクは何かを思い出すように、ふふっと笑った。
「ああ、尋ねるというか、かまをかけたんだけどね。そしたら教えてくれた」
アレクはしたたかでずるいところがある。妖精みたいな見た目で、そんな性格だから、人間は簡単にだまされそうな……あ、私も彼に魅入られた一人だけれど。
とにかく、ガイル様は、アレクにレスタンクール家とコルネイユ家の不仲の理由を教えてくれたらしい。
「リュシー・レスタンクールとジェローム・コルネイユ。百年前に交わされた、ふたりの約束を」
◆
ジスランの祖父、エドメ・レスタンクールが齢十のとき。その姉、リュシー・レスタンクールは、二十歳だった。
リュシーは体が弱く、空気の良い場所で静養するために、と。レスタンクール家はこの土地に新たな屋敷を構えることにした。
コルネイユ家は古くからこの土地に屋敷を持ち、女子を跡継ぎにする習わしがあった。ジェローム・コルネイユは長男であったが、家を継ぐ権利はなかった。このとき、二十五歳。
リュシーとジェロームは出会い、恋に落ちた。そしてふたりは結婚の約束をする。……けれど、それは叶わなかった。リュシーが亡くなってしまったから。
代わりに、ふたりは両家にある約束を残した。自分たちは叶えられなかったけど、レスタンクール家とコルネイユ家それぞれに生まれた者同士で、結ばれますようにと。
亡き娘と、恋人を失って悲しむ息子の願いならばと、両家はそれを受け入れる。いわば、家同士の結婚の約束だ。それ自体は、珍しいことではない。
けれど。
「リュシーの弟のエドメと、ジェロームの妹のモニクは同い年だったんだ。だから周囲は結婚を勧めたんだけど、ふたりの間には恋愛感情が皆無だったみたいなんだよね。結局、ふたりはそれぞれ別の相手と結婚して、約束は反故になった。……まあでも、お互いの子どもが結婚したら、約束は守れるからいいよね、って、そんな感じで」
リュシーを亡くしたジェロームは、コルネイユ家のしきたりに従い、家督を妹に任せて、彼自身は家を離れている。遠い街で良縁に恵まれた……とのことだったが、その後の詳細は不明。
「それでまあ、それぞれの家に子どもができて……それがジスラン様の父と、マルゲリット様の祖母になる方なんだけど、次は最初から婚約者ということで……なんて、家同士で決めたものの。本人たちが年頃になると、好きになったのはまた別の相手で……結果、婚約破棄」
リュシーとジェロームは、ロマンチックな約束を未来に残した。けれど、実際はそのせいで少しずつ、両家に約束を守れない罪悪感や気まずさを積み重ねることになる。
◆
「なかなかうまくはいかないんだよね。そうして気づけば百年、両家はすれ違ってしまった」
アレクの話に、私もうーんと頭を抱えて唸る。
「なんかもう、約束というか呪いというか。そんな約束なかったことにしよう、って提案するのも、ご先祖様に悪い気がして言えないよねえ」
「ジスラン様と、マルゲリット様には年の差がありすぎた。そもそも、マルゲリット様が生まれた年に、ジスラン様はポーラ様と結婚してたし……ポーラ様が亡くなって、その再婚相手にマルゲリット様を、なんて話は、誰からも出なかったらしい」
私ははっと目を開く。
「でも、マルゲリット様はジスラン様のことを愛した」
アレクも隣で、満足そうに笑む。
「そしてジスラン様も、マルゲリット様を愛している」
私は思わず、アレクに向かって両手を差し出していた。
「これで約束は果たせるね? めでたしめでたしなんじゃない?」
「そういうことだね」
アレクは笑って私の両手に手のひらを合わせる。ぱちんと小気味よく音がして、それから彼の指が私の指の間をぎゅっと、握った。
あ、と思ったときには、もう遅い。彼のひざの上で、私の両手は捕まったまま。そして私はそれを振りほどくすべを知らない。
私はアレクに尋ねる。
「アレクは、マルゲリット様の気持ちを知っていたの?」
「知ってた、というか、気づくよね。マルゲリット様の態度で。自分で望んだくせに、僕が婚約者として連れて来られたら妙に不機嫌だし、窓の外を見てばかり。その方向にあるのは、あの薄桃色の花と、レスタンクールのお屋敷だ。花が欲しいのかなと思ったら、そんなことはないし。……アレクあなた、お隣のメイドとやけに親しそうだったわね、でも残念、あの子はジスラン様の妾なのよ、なんて悔しそうに言うし」
アレクの誇張されすぎたマルゲリット様風の口調に笑いつつ、彼に尋ねる。
「マルゲリット様、どうしてそんなことを」
アレクは目を細め、当時の彼女の様子を思い出すように答えた。
「ジスラン様の部屋で、君が彼と楽しそうにおしゃべりしている姿を見て、悔しかったみたいだね。一度そうだと思い込むと、なかなか勘違いに気づけない」
「私がジスラン様とどうこうなるだとか、ありえないのに」
「でも、マルゲリット様は、自分より若いメイドに手を出すぐらいなら、ジスラン様の恋愛対象の幅は広いし、じゃあ自分でもいいのでは、なんて、まあ、嬉しかったりもしたみたいで……複雑だよね」
私はほっと息を吐く。こちらの屋敷からハンカチを咥えて歯噛みするマルゲリット様を思うと、ひたすらに怖い。
「ほんと、誤解が解けてよかったよ。マルゲリット様にライバル視され続けるのは、やだもんね」
「だよね。彼女を敵に回すのは、僕も嫌だ」
お互いふふっと笑いあう。ジスラン様とマルゲリット様が結ばれて、両家の約束も果たせて、めでたし……なんだけど。私の胸には不安が残る。
それは、アレクのことだ。
「アレクはマルゲリット様に婚約破棄されたら、ここを離れることになるよね?」
「そうだね。もう偽の婚約者は必要ないから」
アレクがいなくなる。……そう思ったら、さっきまでのめでたし、な気持ちは一気にどこかに行ってしまった。どうしたらいいんだろう。どうしたら私はこの人と、離れずにすむんだろう。いや、そもそも、彼は私のことをどう思っているんだろう。
というか、私は彼に、自分の気持ちを伝えてもいいんだろうか。だって、彼はもう、マルゲリット様の婚約者ではないのだから。
見つめあい、つないだ手に力を込めた……ところで。
扉を打つ音がした。
「ジスラン様がお戻りになられるそうです」
扉越しに声を掛けられ私たちはぱっと手を離す。
「行かなきゃ」
「そうだね」
そして同時に立ち上がり、そっと、目くばせをする。
続きの話は、また今度。