10、告白
ジスラン様の問いに、マルゲリット様がひとつ、瞬きをする。
「二十五歳です」
彼女の言葉に、ジスラン様は、ああ、とうなずいた。
「君はいつまでも子どもではないのだな。結婚相手を選んでいる、という話を聞いたときに、私は君が幸せになるのなら、見届けようと思っていた。どんな相手が選ばれるのか。春の妖精のような人がいい、などと言っていると聞いたときには私も驚いたが。……しかしこの男は君にはふさわしくない」
ジスラン様は、アレクに顔を向けた。その視線は鋭く、口調は厳しさを増す。
「こんな男に君の一生を渡すぐらいなら――」
そばにいる私はひやひやしているのだけれど、責められているはずのアレクは余裕の表情だ。そしてマルゲリット様は、ジスラン様の言葉に、頬を赤く染めていた。
「ジスラン様……」
思わず、といったふうに、マルゲリット様は目の前の人の名を呼んだ。そしてはっとしたように、口元を手で覆う。潤んだ瞳、そっと伏せた顔。耳まで赤くなっている気がする。その態度はまるで、誰かに恋をしているような。
いや、誰かっていうか。これ、マルゲリット様、もしかしてジスラン様のことを?
一瞬の沈黙の後、アレクがジスラン様に言う。
「僕の気持ちは手紙でお伝えしたはずです。それに、マルゲリット様は僕と結婚するつもりはありません。ねえ、そうですよね、マルゲリット様?」
問われたマルゲリット様は、まだもじもじと顔を隠したまま。この客間に現れたときの威圧感みたいなものは、すっかり消えてしまっていた。アレクは続けて、彼女に質問を投げかける。
「ね、マルゲリット様。あなただって、どうせなら、一番好きな人と結ばれたいですよね? だからずっと。どんな相手を紹介されても、あなたは結婚を拒んでいた。もう拒み切れないと覚悟して、それでも時間を稼ごうと、この世にいるかいないかわからない、そんな条件の男をご両親やご家族に探させた。それが春の妖精のような人……そして僕が連れて来られたんだ」
アレクはそこまで言って、「自分で言うのも変だけどね」と、苦笑を挟む。彼の言葉に、マルゲリット様は反論しない。アレクの推測はきっと正しい。
「まあ、僕は春の妖精じゃあないけどね。でも家族全員、屋敷の従者たちも皆、僕のことを君の言った条件にぴったりだ、なんて言うから。君は諦めることにしたんだ」
私自身もアレクを初めて見たときに、妖精かと思ったもんなあ。街を一緒に歩いたときも、たくさんの人が彼に見とれてた。
マルゲリット様のわがままも、多数決を覆せなかった。そしてもう、彼女自身、限界だと思ったのだろう。コルネイユ家の今後を真剣に考えるのなら、結婚という条件を受け入れる覚悟もできていたはずだ。
アレクの言う、諦めるという言葉が、ぴったりな状況。
「僕も最初は、こんなお屋敷で暮らせるなら、ありがたいなあって思ったし、結婚も承知してた。でも、他に好きな人がいる人と一生を過ごすには……人生は短すぎるし長すぎる」
そしてアレクはふいに、私を見た。私はばっちり視線の合った彼に、瞬きを返すことしかできない。だけどそれでも、彼は満足したように、微かに笑った。
それからアレクは、マルゲリット様に問う。
「マルゲリット様。素直に自分の気持ちを伝えたほうがいい。あなたの好きな人は誰?」
アレクの声に誘われるように、マルゲリット様はゆっくりと唇を動かす。
「私、私は」
きっといつもの彼女なら、こんなに戸惑ったりためらったりしないと思う。何事もはっきりと、きっぱりと。背筋を伸ばして話すはずだ。それができなくなるぐらいの言葉を、今、マルゲリット様は言おうとしている。
そして覚悟を決めたように、マルゲリット様は目の前の人を見据えた。
「私は、ジスラン様をお慕いしております!」
「……私?」
ジスラン様は目を丸くしている。
マルゲリット様は真っ赤な顔をしてうなずいた。私は内心ひゃーとかふぉーとか叫びながら、ふたりのやり取りを見つめる。
マルゲリット様は一度気持ちを口に出したら、もう想いを止められないとばかりに話し始めた。
「私の初恋はジスラン様です。物心ついたときからずっとお慕いしておりました。私の父親ほどの年齢のあなたを、愛しく思うのは間違った感情かもしれません。しかし二十五の今になっても、他のどんな男性と比べても、この、アレクのような人並み外れた相手を知っても……それでも私の恋心は揺るがないのです。私はジスラン様が好き。私たちの年の差は二十五、ジスラン様からすれば私はいつまでも子ども、小娘、隣のお嬢ちゃん……恋愛対象になど見られない存在だというのもわかっています、でも。諦められないのです」
私は心の中で、マルゲリット様に拍手喝采を送る。理知的な美女が、年齢差を気にして秘めていた恋心を放つ姿は、神々しさすら感じられるほどに尊いと思った。
マルゲリット様の告白に、ジスラン様はしばし絶句していたけれど……それは決してあきれたり、困っていたわけではない。ジスラン様はひとつ息を吐き、そして彼も自身の思いを口にする。
「……いや、マルゲリット。私は……、私も。ずいぶん前から、君のことを美しい女性だと思っていたよ」
ジスラン様の言葉には、これまで私がお仕えしていた間に聞いたことのない熱っぽさがあった。
マルゲリット様と一緒に、私まで赤面してしまいそう。
ジスラン様の言葉は続く。
「しかし、こんな気持ちは、外に出してはいけないと思っていた。年長者が年齢差のありすぎる相手を好むのは、よくないことだ……が、信じてほしいのは、私が君に恋をしたのは君がちゃんと大人になってからだということだ」
言い訳みたいなジスラン様のセリフに、マルゲリット様は少し笑った。
「私はもう大人です、ジスラン様」
「ああ、そうだな」
そして、マルゲリット様は背筋を伸ばし、目の前愛しい人に問う。
「ジスラン様。私からの求婚を受けてくださいますか」
ジスラン様は心を決めたようにうなずく。
「私は……、ああ、そうだな、人生は短い。短くて長いんだ。愛している人に愛していると言われて、それを拒む理由などない。マルゲリット、私と結婚してくれますか?」
ジスラン様の差し出した手を、マルゲリット様がきゅっと握る。
「もちろんです、ジスラン様」
私は思わず胸の前で手を合わせ、ほぅ、とため息を漏らす。こんなすてきな場面に同席できて、とても光栄だ。――ついさっきまで、なぜ自分がここにいるのだろうと、震えていたことはさておいて。
ふたりを包む甘い空気の中、ジスラン様が不安な声を漏らした。
「……コルネイユ家の皆さんは反対しないだろうか?」
そうだ、ふたりの年齢差は、お互いの愛があれば問題ないけれど。それとは別にまた、家の問題……レスタンクール家とコルネイユ家の間のいざこざは、どうなるのだろう。
マルゲリット様はその問いに、胸を張って答えた。
「両親も兄上たちも。私が選ぶのなら誰でもいいと……言質は取っております」
そのきりりとした口ぶりには、自信が満ち溢れていた。
そこへ、アレクが横から口を挟む。
「両家の約束も果たせることですし。きっと皆祝福しますよね」
「……ああ、そうだな。まさか、マルゲリット、君と私が、そうなるとは思わなかったけれど」
「ええ。ジスラン様。でも私はずっと。こうなるといいなと、思っていました」
私以外の三人は、そんなことを言い、微笑みあっている。私はそのそばで、ひたすらに首をかしげるのだった。
……どゆこと?