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1、春の妖精との出会い

 ふたつの屋敷の敷地の間には、大きな木がある。根はあちらのお屋敷――コルネイユ家の庭にあり。そして伸びた枝の多くは、こちらのお屋敷――レスタンクール家の庭に。

 ちょうど花の季節だ。春を待ちわびて開いた薄桃色の花が、今、満開の時期。


 私はレスタンクールの屋敷でハウスメイドをしている。午後のお掃除の時間の合間に庭に出て、花を見上げる。街のあちこちにも同じ種類の木は並び、そして見頃を迎えているけれど。この木はその中でもひときわ立派で美しい。

 風にはらはらと舞う花びらを目で追っていたら、格子状の柵の向こうに、人影が見えた。

 コルネイユ家の方? ああ、だけど。見慣れない髪の色。春の光にきらきらと、金糸の髪がなびいている。


 ――うっわぁ……!


 私は思わずこみ上げた歓声を、息と一緒に飲み込んだ。なんて美しい人だろう。まるで、まるで、春の妖精みたいだ。

 みたい……っていうか、もしかしたら本当に妖精かもしれない。だったら、めったにないチャンス、ありがたく網膜に焼きつけよう。

 私はうっとりと細めた目をぎょるんと開き、その姿を凝視する。

 ああ、歩いている。

 金色の髪、長い手足、整った顔つき。肌つやもよくて、体の向こうが透けて見えたりはしない。けど、透明感がある肌っていうのは、ああいうやつだと思う。なんかもう至近距離で見ても毛穴のひとつも見つからないかも。

 私はその人がひらりと簡単に柵を飛び越える姿を、半分口を開けたまま見つめていた。まるで羽が生えているような軽やかさ。

 あ、瞳の色は新緑の色だ。花が散った後にこの木に茂るだろう葉っぱの色。まつ毛、長いなあ。二重のまぶたが上下に動くたびに、金色の束がばさばさしている。つやのある唇はこの花びらよりは濃い桃色で……って。

 私はそのときようやく、そういう情報がすべてわかるほどの距離に、その人がいることに気づいた。


「うひゃ!」


 のけぞって変な声を出し、私はよろめく。


「おっと」


 聞こえた声は意外と低い。……男の人?

 そして私の体は、すかさず彼に支えられていた。


「大丈夫? ぼーっとして」


 私の顔をのぞき込み、その人がふわりと笑う。


「だっ、大丈夫です。すみません」


 謝りながらも心臓はばくばくと早鐘を打つ。

 自分の背中に添えられた、彼の手のひらには温度があった。体温がわかる距離、というのは、見知らぬ男女が長々と保っていてよい距離ではないと思う。

 私はぐっと両足に力を入れて、そそっと数歩、彼から離れた。本当はいつまでもそばにいたくはあったけど。

 しかし距離を取ったおかげで確認できることもある。……彼の背中には羽などないし、たぶん、彼は妖精ではない。私と同じ生き物、ヒト科ヒト属のヒトだ。けど、人間であるならば、こんなにきれいな人を見たのは私は生まれて初めてだ。

 いや、そんなことを考えてしまう時点で、私は混乱の最中なのだけれど。

 挙動不審そのものの私の前で、彼はくすくすと笑った。

 ああ、笑い声も美しい。


「ねえ、君はこの屋敷の人?」


 彼に問われて、私はしゃきっと背筋を伸ばして答える。


「はい! 私はこのレスタンクール家のメイドです」


 すると、彼はうなずいて、自己紹介してくれる。


「僕はアレク。今はこっちの、コルネイユ家に滞在中」


 彼の名前を心に刻み、私は自らも名乗る。


「私はミリア、です!」


「ミリア」


 彼に名前を復唱されて、一気に頬が熱くなる。

 コルネイユ家に滞在中、ということは。やはりお客様なのだろうか。とにかく失礼のないようにしなければ、と思っていたら、彼は頭上の花を仰ぎ見て、言った。


「もしよければ、お願いがあって。この木の枝を一枝、もらっていいかな?」


 ふたつの屋敷の境目にある巨木には、それぞれの枝をたわませるほどの花が満開……ではあるのだけれど。

 私はすぐにどうぞと答えることは、できなかった。


「でも、この木はもともと、そちらの、コルネイユ家の木ですから。私が答えることはできません」


 私は視線を木の枝から幹に伝わせ、そしてその根を見やる。彼も同じ方向に顔を向けた。木の根はコルネイユ家の敷地に生えている。この木を植えたのはコルネイユ家の方だ。


「でも、花が咲いてるのは。こっちの、レスタンクールのお屋敷の方だ」


「それもそうなのですが」


 実際、枝を取ろうとすれば、レスタンクールの敷地内から手を伸ばすことになる。こういう場合はどちらにこの花を折る権利があるのだろう。しかしどちらにせよやはり、私に返事をすることはできない。


「ご主人様に尋ねてみないとわかりません。すみません」


「そっか」


 私が頭を下げると、彼は残念そうに息を吐いた。それからすぐに、いいよいいよ、と私に手を振る。


「こちらこそ急に。ごめんね」


 私は彼の願いをすぐに叶えられないことを残念に思いつつ、尋ねてみる。


「花を取ることは、そちらの……コルネイユ家の方のご命令ですか?」


「ううん。僕が勝手にやろうと思ったこと」


 首を振り、無邪気に笑う彼の言葉を私は繰り返す。


「勝手に」


 目を瞬かせる私の前で、彼は少し、物憂げな表情を見せた。……ああ、こういう顔も、はかなげですてきだ。


「僕が数日前にここに来てから。マルゲリット様はずっと、この花を眺めているから。欲しいのかな? もっと近くで見たいのかなって、思って」


 彼が口にした女性の名前――マルゲリット様は、コルネイユ家の跡を継がれる方だ。コルネイユ家は代々、女子が家督を継ぐ。マルゲリット様の上には、確か三人のお兄様がいるけれど、それぞれすでに他のお屋敷に、婿入りされてコルネイユ家を出ている。

 末の娘で長女で跡継ぎのマルゲリット様にも、結婚のお話がそろそろ……と、噂は耳にしたことはあるけれど……。


「そうなのですね」


 私はちらりとコルネイユのお屋敷を見る。マルゲリット様が、あちらからこの花を見ているのは知らなかった。

 アレクは私の答えに、んー、と考える素振りを見せたけど、すぐに、よし、と小さくつぶやいていた。


「今日は諦めることにする。ありがとう、ミリア。相談にのってくれて」


 お礼を言われるほどのことをしただろうかと恐縮しつつ、私はぺこりと頭を下げる。


「いえ。何もできなくてすみません」


「じゃあまたね」


 またね?

 その言葉に顔を上げたら、目の前で朗らかにアレクは手を振る仕草。私も反射的に手を振り返す。

 すると、彼はふふっと、頬を緩ませた。


「ミリア、僕はちっとも偉くないから。もっと適当にしゃべっていいよ。友達みたいに」


 コルネイユ家に滞在中のお客様と適当にしゃべるだなんて恐れ多いことだけど。友達、と言われて、私は嬉しさを隠せない。


「うん」


 つい、素直に、そのままうなずいた私に。


「うん!」


 と、アレクも言って、そして再びひらりと柵を飛び越え、コルネイユ家に戻って行った。


 ……本当に、妖精みたいな人。

 私はしばらく薄桃色の花の舞散る庭で、アレクのいた場所を見つめていた。


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