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黒帽

 エロ表現もグロ表現も全くありませんが、読者の皆さまの思いもよらない方向から、とてつもない不快感が押し寄せてしまうような作品となっております。

 読者の皆さま自身の責任でお読み下さい。

 寒い。いくら私の体が丈夫だろうと、この寒さにはさすがに気が滅入ってしまう。


 私たち家族は、木枯らしの吹き抜ける山林を歩いていた。乾燥した冷たい空気が体の中を通り抜けて、私たちの生気を蝕んでいく。


 「おかあさん、おなか空いたよ。もう歩けないよ」


 「ごめんね。あともう少しだから。」


 そう子どもに言いながら、下唇をかみしめる。子どもたちは、育ち盛りの食べ盛りだ。そんな子供たちに、お腹いっぱい食べさせてやれない自分が情けなかった。


私たち家族は、道すがら見つけた腐りかけの木の実や腐肉を分け合いながら旅を続けていた。しかし、それらのかろうじて食料と呼べそうなものは、子供たちが食いつくしてしまうことも少なくない。そんな日は、私はカラカラに乾いた枯れ葉や昆虫の死骸でさえ、とにかく口に放り込んだ。


体の出来上がった大人は数日なら何も食べなくても平気だ。私だって、何もなければある程度食べるものは選びたい。しかし、栄養が摂れているのか分からないようなものであっても自分の口に無理やり押し込み、飲みくだしているのには理由があった。


 「……ふふ。またお腹が大きくなってきたかしら」


 私のお腹には新しい命が宿っていた。この子の命を絶やさないため、私は汚泥をすすってでも必要なものを体に送り込まなければならない。この子をこの世に産み落とすまでは、何があっても飢えるわけにはいかなかった。


 とぼとぼとついてくる子供たちを励ましながら、長く続いた野山を抜けると、突然目の前に大きな壁が現れた。その壁は複雑なでこぼこを伴いながら天高く空まで続き、上の縁が全く見えない。だが、横の幅はそれほど広くはなさそうだ。この壁の向こう側へと行くために、私たちは壁に沿って歩き始めた。


今日はまだ食料が全く見つけられていない。子どもたちも限界に達しているのか、何も喋らずに私についてくる。早く、食べ物を見つけてやらなければ。早く、早く……。自然と歩く足取りが忙しなくなる。


とその瞬間、私は突然の浮遊感に襲われた。巨大な壁がある方角から、突然強烈な風が吹き寄せてきたのだ。慌てて体を縮こまらせてなんとか地面に手を着く。冷たい土に指を食い込ませるようにして、地面に必死にしがみついた。


「母さん、どうしたの」


「大丈夫。大丈夫だから、動かないで」


 明らかな異常事態に子供たちは困惑している。私は横目で子供たちの無事を確認すると、そのままの姿勢で、壁に空いた、奥から風が吹き寄せてくる大穴を睨みつけた。五感を総動員して大穴の奥の様子を探る。


「どうしたの、おかあさん。危ないよ」


 子どもたちの言う通りだ。ただでさえ困難な子ども多数に妊婦一人の旅。異変からは一刻も早く遠ざかるべきだった。


 だが、私はこの風に活路を見出していた。その希望に縋りつくように呟く。


「この風、温かい」


「えっ」


 子供たちが、恐る恐る近づいてくる。


 「ほんとだ、あったかいよ、母さん」


 子供たちは久しぶりの温かい空気に手をかざして喜んでいる。


 この大穴から噴き出してくる風は、温かさだけではなく湿気をほどよく含んでいた。何か、栄養があるものがこの先にある可能性が高い。もしかすると、この穴の先でなら、私たち一家も安全に冬を越せるかも……。


 この中に入ろう。


 私は覚悟を決めた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



壁や床がやけにツルツルとしている大穴を抜けると、その先はまさに天国だった。野山とは比べ物にならないほど暖かく、どこからか美味しそうな匂いも漂ってくる。


子どもたちと喜びを分かち合いながらその匂いをたどると、真っ黒な屋根を薄い柱がささえている建物にたどり着いた。その中には、芳醇な香りを辺りに漂わせる、黄色い食べ物が山盛りになって置かれている。


私たち家族は、その食べ物が放つあまりの引力に、言葉を発することさえ忘れてその山へとかぶりついた。美味しい。自分の胃腸から栄養が染み込んでいくのが分かる。私たち家族は、そのしっとりと湿った食べ物を、嚙むことすら忘れてひたすらに飲み込んだ。


しばらくの間無言で食事を続けようやく落ち着くと、私はすぐそばに寝転がり今後のことに思いを馳せた。


ああ、良かった。これだけ食料があれば、数日間は家族全員がお腹いっぱい食べることができる。他にも探せばこういう食料は見つかりそうだ。私の頭の中では、冬を越せる目途が立ち始めていた。これからも家族全員で生きていける幸せを噛みしめながら、私は眠りについた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



凄まじい悪寒で目が覚めた。焼けるような痛みが体中を襲う。苦しみに耐えながら、この異変の原因はあの黄色い食べ物だと直感的に悟った。なにかが仕込まれていた……?私はなんとか体を起こし、周りを見回した。


あまりにも静かすぎる。それこそ、横で寝ている子供たちの寝息すら聞こえてこないような……。最悪の考えが、頭の中を駆け巡る。


「起きなさい!ねえ、起きなさいってば」


子どものうちの一人の頬を叩き、体を揺さぶる。しかし、その愛らしい顔から、声が漏れ出ることはなかった。


強烈な吐き気にもだえながら、他の子どもたちの体をゆすって回る。もう、何が何だかわからない。ただ、生き残っている子どもを集めて、ここから逃げないと。誰か、誰か、お願いだから生きていて。


横たわる子どもたちの間を何順しただろうか。子どもたちは、一人たりとも起き上がらなかった。私は立ち尽くし、子どもたちの抜け殻をずっと眺めていた。ぼんやりとした頭で考えていたのは、この子たちの後を追って、私も死んでしまうことだった。


私は、崩れ落ちるようにして座り込んだ。足を折りたたむようにして曲げ、顔をうずめる。すると、太ももが自分のお腹に当たった。確かに跳ね返ってくる、温かい感触。私は自分のお腹に視線を向け、目を見開いた。そこに生きる生命の拍動が、体の中を通じて私の心臓を揺らす。私に唯一残された希望の光。目で直接確認できたわけではないが、私は確信していた。お腹の子は生きている。


私たち一族の体は丈夫さが売りだが、胎児たちはその比ではない。私たち一族が世界の除け者にされようと生き永らえてきたのは、この胎児を守る一族の「守り神」の存在が大きかった。胎児を覆う「守り神」が、私のこどもを毒から守ったのだ。


このお腹の子だけでも守らなければ。私が力尽きる前に、なんとかここを出て……。考えるよりも先に体が動く。私は、黒い屋根の家を出て、狭く暗い、どこへ続くかもわからない道をひた走った。ここは危険だ。早く、できるだけ安全な場所へ……。




突然、道が開けた。それと同時に、まばゆい光が目に飛び込んでくる。あまりの光景に、呼吸が一瞬止まった。目の前に、とてつもない大きさの何かがいた。その何かは、こちらを見付けると、図体にしては甲高い声を上げながら、こちらにのしのしと歩いてくる。私は、すぐに走り出した。もう二度としくじるわけにはいかない。この子だけは、私のお腹に宿るこの子だけは、何があっても守らなければ……。


巨大な何かとすれ違うように走ってその横を通り抜けると、すぐそばにあった壁に足をつき、走る方向をほぼ直角に変える。激しい動きで、毒を含んだ血液が体を循環し、私の体にとどめを刺していく。でも大丈夫だ。どれだけ私自身に毒が回ろうと、私たちの「守り神」が、赤ん坊を毒から守ってくれる。だから、私は捨て身でここを突破して……。


その時。お腹を何かに貫かれた。いや、正確には、そんな気がした。お腹に穴があき、そこから何かが抜け出ていくような感覚。お腹の中心から、じわじわと冷たさが広がってくる。


嘘だ。そんなことがあるわけがない。私たち一族を、赤子のころだけ守ってくれる万能の「守り神」。その内側に、毒が染み出していた。そして今この瞬間、その毒が、まだ見ぬ子どもの命を奪った。


「うわあああああ!」


私は泣き叫んだ。本当に、全てを失った。私がこんなところに入ったばかりに、未来を生きていくはずだった子どもたちの命が、またあっさりと絶たれた。


目の前のこの巨大生物は、奇声を上げながら、私のあとを追いかけてくる。この不遜な態度。こいつが、この場所の主なのだろう。こいつが、あの毒罠を仕掛け、子どもたちの命を奪ったに違いない。


こんなことをしてもなんの意味もないのかもしれない。でも、私の体は動きだしていた。その巨大生物へと、ゆっくりと歩き出す。毒に侵された体は、今にも息絶えようとしていた。足をひきずり、喉を引きつらせながら、それでも憎き敵の方へと歩み続ける。


と、その時、走馬灯が頭を駆け巡った。瞼の裏に、私たちの部族の伝承を話す祖母の姿が映る。


「いいかい。私たち一族は、鋭いかぎ爪も敵を切り裂く牙も持ってはいない。でもね、孫よ。私たちは一生に一度、死ぬ瞬間だけ空を飛べるのさ。」


私の体は宙を舞っていた。今まで、あることにさえ気づかなかった羽根が、力強く空気を搔き、私に敵のもとへとたどり着く力を与えてくれる。


顔を汗と涙でぐちゃぐちゃにしながら、私は叫んだ。


届け。幼くして死んでしまった子供たちの苦しみも。この世に生まれ出ることさえ叶わなかったお腹の子の無念も。私は全てを翼にのせて、目の前に立ちはだかる巨体に飛び込んだ。



    * * *



「おかあさーん、なんか変な虫みつけたー」


 今年で5歳になる息子がこちらに向かってとてとて走ってくる。すると、手に持った黒い何かを見せびらかすように、しゃがんだ私の顔にかざした。この黒光りした昆虫って、もしかして……。声にならない悲鳴が口から漏れ出る。


「何持ってるの!?もしかして、ゴッ、ゴキ……」


「おかあさーん、なんかこれ、スベスベしてて気持ちーよー」


「今すぐ捨てなさい!」


 息子の手から、黒光りしたそいつをはたきおとす。すぐに、指を口に入れる癖がある息子の両手をガッチリとホールドした。


「おかあさん、うで痛いよー」


「ちょっと黙って!」


あまりの切迫感に、怒鳴ってしまう。


息子も、何かを察知したのか、息をのんだようにしてじっと固まってしまった。


そうして、親子でぴったりとくっつきながら、わずかな動きも見逃すまいと床に落ちたそいつを凝視する。そいつは、仰向けに転がったままピクリとも動かない。死んでるの……?少なくとも、今がチャンスだ。学生時代振りの全力ダッシュでビニール袋を台所から取ってくる。勇気を振り絞りビニール袋でそいつをくるむと、袋の口を縛ってゴミ箱に捨てた。


そして、息子が変なことをする前に、急いで洗面所に連れていき、息子の手を丁寧に石鹸で洗い始める。

だけど、なんであいつは死んでたの?寿命……?あ、そういえば。


ここに引っ越してきてすぐに、「ブラックキャップ」を買って家中に置いていた気がする。もしかしたら、それが効いて死んだのかもしれない。ええと、たしか……。食べたゴキブリが死ぬのはもちろん、お腹の卵にも効く、みたいなのがキャッチコピーだった気がする。あんな小さな黒い帽子に退治用の毒餌を入れた、みたいなやつを置いとくだけでほんとに効くのね。ちゃんとネットで調べて、評判がいいのを買っといて良かったわ。


でも、こいつらって、1匹いたら30匹いるっていうし……一回、バルサン炊いとこうかしら。お父さんに、帰りに買ってくるようにLINEしとかないと。


手を洗うのを済ませた私は、またいたずらをしようとどこかへ駆けていく息子を尻目にスマホを取りにリビングへと歩き始めた。


注釈

守り神:卵の殻。卵鞘とも呼ばれる。殺虫剤でさえ効かないほど、強固。


※筆者は、ブラックキャップの回し者などではありません。CMをみて、ちょっとストーリーを思いついただけです。


あとがき


感想や、批評など、どんな些細なことでも書いていただけると、作者の励みになりますので、よろしくお願いいたします!

「面白かった」「面白くない」なんなら「あ」だけでも泣いて喜びますので、ぜひコメントを書いていただけると嬉しいです!


ぜひ、応援よろしくお願いいたします!



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