夢見る世界
この荒れ果てた世界にて、私は砂が吹き荒れる砂漠を延々と歩いている。そこにはもう陽光は去っていた。
この荒れ果てた世界に残っている僅かな価値のあるモノは、僅かな知識の産物と汚らしい生物共…そして、生きる者の過ちだ。この世界からすれば、我々も入れた全ての存在する物が辛うじて再利用できる程度のゴミだろう。
だが、この世界を殺した罪深き天使達は我々を求めた。
――世界に永遠なる秩序を…
この世界を狂わせた罪深き悪魔たちは我々を求めた。
――世界に力強き混沌を…
我々の一部は天使に軟弱なる力を貸した。
我々の一部は悪魔に卑劣なる力を貸した。
――馬鹿馬鹿しい…
奴らは世界をこんな姿に変えても懲りないのか。なんて愚かなのだろう…私は魂の赴くままに行動するまでだ。秩序に縛られる筋合いも、混沌に邪魔される筋合いはない。
――ピピッ
ポケットから無線通信機が鳴っていた。私は見向きするまでもなくそれを取り出す。
「誰だ?」
「俺だ。あんたと共に放浪の人生を貫く事を決意した男だ」
「あぁ、あんたか…では用件を聞こう」
「用件と言うほどでもないが…俺があんたに託した依頼について確認をしようか」
「確認か…まぁ、俺もあんたも底辺のモノしかないこの世界の住民の一人だ。底辺の人間同士仲良くやろう」
「ヘッ、感じ悪いこと言う奴だぜ。まぁいい、あんたが手っ取り早く依頼を終える事が出来る様に概要だけを話しておこう」
「ああ、それはありがたい。一つの事に延々と時間を使いたくないからな」
「じゃあ言うぞ。俺があんたに託した依頼は“蟇の神殿”に誰かが置いてきてしまった『死者の掟の表象』の意を持つ魔導書“ネクロノミコン”をあんたが“読む”事だ」
「…やはり不可解な所があるな。あんたは何故、わざわざあんな所まで俺を行かせて、しかもそれを持ってこさせずに俺に読ませるんだ?もしかすると、その本はハゲ山よりも重いのか?」
「前にも言っただろう。『この糞ったれな世界を無かった事にする』ってな。そもそも世界はこんな物になった時点で終わりなんだよ。また始まる予定なんて無い“本当の終わり”だ。だったら、ズルをしてでも世界を新たな始まりに導かせるしかねぇ。世界が終わる前からな。
そのズルのやり方を知っているのがネクロノミコンだ。俺はもうズルのやり方を知っている。だから俺はあんたにもズルのやり方を知ってほしいんだ」
「…分かった。散々呆れる事を聞かされたが面白かったぞ。もう何も言わん。俺はあんたの託した依頼を黙々とやろう」
私は無線通信機をポケットの中に閉まった。
…笑わせてくれるな。「この糞ったれな世界を無かった事にする」…まさか全てが出来損ないの我々にそんな事が出来るとでも本気で思っているのか。お前のそのゴミながらの意気込みは褒めてやるが、「世界を新たな始まりに導く」だと?「世界が終わる前から」だと?お前は遂に己の非力さの前に狂ってしまったのか。私はお前を笑おう。
だが、同時にそれは面白くもあった。もし非力なる我々にも世界を新たな始まりに導かせるまでの可能性があるなら、私はそれを手伝う。やってやろうではないか、そして任務を遂行した挙句にお前を笑おうではないか。
さぁ、行くぞ。我が魂よ…
――◇――
…もう目的地は見えている。汚らしい我々を嘲笑うかのように不気味な月が穴を照らしていた。私はこの穴の中が“蟇の神殿”だと悟った。ただ、穴からは微かに禍々しい気配が溢れている…それは今まで、怖れを知らぬ魂の赴くままに荒れ果てた世界を彷徨っていた私にさえ感じ取れた。だが、その気配には何か惹かれる物がある。私はそれに惹かれるままに穴から飛び降りた。
――◇――
私は暗闇の中で目覚めた。その暗闇に私は思わず戸惑ったが、その瞬間に私の意を読みとってくれたかのように蝋燭が何本も青い灯を灯していく。その灯は手前の方から段々奥の方へ火を灯し、やがて着く最奥の間で全ての蝋燭が青い灯を灯した。私はたくさんの灯に見つめられながらも本能のままに最奥の間まで歩き出し、そこにある一冊の黒い本を手に取る…
――ネクロノミコン…
間違いない。あの男が私に求めていた物はこれだ。だがその本は特別重い訳でもなかった。中から禍々しさが溢れ出ているが、あの男でも持ち帰れるはずだ…だが、一々そんな事を気にしても仕方がないだろう。何せ私は「もう何も言わん」とあの男に誓ったのだからな。この本を読めば全ての謎が分かるだろう。私は禍々しきネクロノミコンの表紙を開き、そのまま読み続けた。
…実に面白い内容だ。神秘の料理のレシピ、宇宙の悪なる邪神の召喚方法…そして何よりも私を惹きつけたのが“過去への跳び方”が記されている項だった。
そうか、何もかも分かったぞ。これで世界を再び始める事が出来る。寧ろこれこそが真なる世界の始まりだ。だからあの男は私にこの本を持ってこさせずにこの場で読ませたのか。あの男は素晴らしい。私の放浪の旅において新たな道を示してくれた。私はこの男を侮辱する理由で笑うべきではなかったのだ。寧ろ祝福の為の笑いを捧げるべきだったのだ。
いいだろう。私はこの場で長き夢見て、この世界の荒れ果てた世界を無かった事にしてやろう。私には既に見えているぞ。私が長き夢を見た後に再び…いや、あの汚らわしい世界が続き、そしてその世界が真の始まりを私の前で告げる光景がな…
――さあ、私は眠りに着こう。そして夢見よう。強き魂の一部として…