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メモ

作者: たいぞう

伊奈学園の建物を見てこの高校はやりたいことが定まってる人が向いてるってレビューを見てなんかこういう高校に入る人がいるんだなって思った

それって中学3年生の時点ですでに自分のやりたいことが定まってたってことなんでしょ

僕にとってはそんな人本当にいるのかよって思うくらい共感できない

だって今だにわからないから

その反面本心では中学とか小学生の頃に周りと自分が違う感じがしてて

楽しそうにしてる人が羨ましくて見ないようにして考えないようにしてた

でも真面目に頑張るだけ無駄なのにバカだなってそういう人を見て思ってたのも本心


僕にとって真面目に頑張ることは既に通った道で意味がないことを実感した道だった

小学3年生くらいまでは勝負することが楽しくて勝つためなら全力を出せるからその全力で勝つことが楽しくてサッカーの練習で走り込みだけはやりがいを感じてた記憶がある

でも僕が走り込みで何周も差をつけて追い抜いてるレギュラー以外の子は休憩時間にみんなゲームの話ばかりしてて

僕もゲームが欲しかったのに僕は輪に入ってゲームの話もできないし家に帰ってもゲームはない

僕は他にも塾や水泳やピアノも英語も全部の習い事で宿題や課題の曲はしっかりこなすし塾では好成績もとったり水泳も何年も続けて積み重ねた等級もあったのに

学校のほかに最低でも週に5日は習い事があって自由時間なんて存在してなくて

全部大したことはなかったけどその全ての習い事を完璧にこなしていたのに

学校や習い事で出会う子はみんな欲しいものは持ってて自由時間もあるのに

僕だけが欲しいものを少しも与えられなくて

頑張ってる意味がわからなくなった

始めから見返りを求めて頑張っていたわけじゃない

自分が楽しかったから全力をだしてただけ

位置についてよーいどんでスタートする走り込みにはそこに勝負が存在してそこで勝負の楽しさに気が付いただけ

自分が勝手にやっていることに見返りなんて求めていない

でも欲しいものができてそれを親に否定された時になにも頑張ってない子がどうしてほしいものを持っててどうしどうして僕がもってないのか

それをおかしいと思うのは避けられなかった

欲しいって言ってダメって言われたらどうしてか考える

どうしてか考えるというより僕は僕自身が他の子より頑張っていることが目に入った

僕が欲しいものを与えられないのは意味が解らないと思った

それに親は頑張れば与えるといつも言っていた

なのになにも与えられなかった


4年生のあるとき僕は胸が痛くて走り込みの練習を始めて全力を出さずに終えた

胸が痛いんだから仕方がないよねって気持ちで遅めに走っていた

サッカーの練習で今まで頑張ってた人が突然頑張らなくなったらコーチや他の練習生にどう思われるかが怖かった

でも遅く走っても誰も何も言わない

周りの子とは田岡以外はそもそも喋るほど仲良くないしコーチは何も言わないし親は練習中を見ない

それがわかってからはもう全力を出さないという選択をするでもなく全力を出すことができなくなった


他にもいろんな経験をして僕は次第に「頑張るだけ無駄」って思うようになったんだ


実際に欲しいものがあった

それなのに頑張ることをやめることは僕にとって欲しいものを諦めることを意味した

頑張り続けたら手に入ったのかもしれない

僕が諦めるのが早すぎたのかもしれない

本当にそうか?

ゲーム機は小学4年生で買い与えられるルールだった

買うとしか伝えられていなかったゲーム機は買った後に一日30分休日のみというルールが追加された

それにゲームソフトを買い与えるルールは定められていなかった

僕は自分の親が最初から与える気が無かったことを徐々に察していった

僕が言う頑張るだけ無駄だっていうのはそういうことで

小学校の後半からは僕はただ時間が過ぎて家を出ていける時が来るのを待つことにした

いつか自分がゲームややりたいことをできるようになるために


けれど高校をやめてしまった

やめたら大学に行けない

僕みたいな取り柄の無い子供は大学に行って必死に勉強しないと自由を手に入れるだけのお金の余裕が手に入らないと思った

でもそれも諦めた

正直勉強するだけの理由が無かった

状況が変わったから

中学2年生になって僕は自分の部屋でゲームをする自由を勝ち取った

親に従わなくても体格差が埋まって来たから親に体を引っ張られてボコボコにされることも無くなったから

時間さえあればゲームができる

中学ではいじめなんかも経験して更にゲームにのめり込むことになった


そのまま高校生になった

受験勉強の必要性を感じるまではゲームをしながらゆっくりと高校生活を送ればいいと思ってた

けれど入った高校は授業数は多いし通学に時間がかかる

通学時間や校風はさすがに僕の調べ不足だけど1年生からガチで勉強やらされると思わなかった

だって学校でやる勉強なんてそんなに時間かけることじゃないでしょって思ってたから

授業だけ受ければいいと思ってた

今なら少し違う考えもできたかもしれない

けど当時はその考えを持っていたから高校に行くことが嫌で仕方がなくなった

というよりは部屋にこもってゲームさえできればなんでもよかった

それだけが望みだった状態で

でも就職とかもあんまり考えてないけどなにかしら選択肢を残さないと大変なことになりそうだから大学にも入りやすそうな進学校に行くことにした

でもその考えを投げ出すくらいに高校に行くことが嫌になった

前まではゲームも何も与えられていなくても続けることができたのに

それは続けないと親にボコボコにされるから自分の意思を殺すという最後の手段だった

でもその抑止力が無くなって自分の欲しいものややりたいことができなくなった時にやめるという選択が不可能から可能に変わった

そして自分の将来を投げ出してゲームだけをする生活を選択した


僕は欲しいものを手に入れた

ゲームだけをする生活を

けど楽しくない

思えば小学校の4年生くらいから楽しかった記憶がない

外で体を動かして遊ぶことが楽しかったけどそれをしなくなってから人生の全てが暗い


楽しいこと

それは勝負をすること

全力を出して勝つこと

勝つために計算をして体を動かす

全力を出して体を動かすその感覚が楽しい

趣味はまた別

ゲームはその楽しいこととは少し違う

僕の中で趣味の楽しさと純粋な勝負の楽しさの2つは確実に別のものとして存在する

ゲームで勝負をしようともそれはゲームの世界の話で冗談のようなものでしかない

負けたら冗談にはならないけれど勝つことに意味を感じるほどではない

だってそれは自分自身の体が勝ったわけじゃなくて自分が操作する自分の指や頭脳のみの部分で架空の存在を戦わせただけだから


伊奈学園の話に戻る

中学生の時点で自分の進む道が定まっている人間

それがあの伊奈学園に通ってやりたいことを学んで

あの中庭で昼食なんかを取ったりする毎日を想像して楽しそうだなって思った

同時に僕はどうしてそうなれなかったのかと思って悲しく感じた

それがこれを書いている全ての理由


僕が中学生の時点ではどうしても自分が進む道なんて定まりようがなかった

自分の趣味をやるために待つことしかできなかった

これを読む人にはこの気持ちを理解してほしい

頑張っても何をこなしても我慢しても欲しいものはなにも得られなかった

親は褒美をちらつかせるくせに最初からなにも与える気がなかった

頑張ること自体にやりがいをいつからか感じられなくなった

欲しいものは結局趣味のものでしかなくて走る楽しさとかとは別のものだけど

それでも手に入らないと他のことも頑張れなくなっていった

走ることがトラウマになっていった

もう頑張れなくなっていった

自分のためにすら頑張れない

無駄だと思ってしまったから

僕が認識する世界は狭かった

親から与えられないならなにも得ることができないから

そしてその世界が全てだと今まで自覚せずに錯覚していた

だから頑張っても無駄だと思ったし頑張りが無駄になりすぎて頑張ることがトラウマになった

本当に走ろうとしても体の力が抜けて動けなくなる

今後悔しても遅い

僕は自分の人生を投げてゲームだけをする生活を選んだ

だけど楽しくない

実際頑張っても無駄なことはない

それはあの家で親に支配されていた時は事実だった

けど今は目標に向かって頑張れば目標に近づくことができる

でもなにをすればいいんだろう  


頑張れなくなったのは他の子と比べたから生じたこと

習い事は自分が楽しいからやってたし見返りも求めてなかった

でもゲームが欲しくなった時やちょっと疲れた時に初めて自分が周りよりも努力量や結果で差をつけていることを結び付けた

それがなかったら頑張っているという自認は生まれなかったし

今でも自分が頑張っていたというよりは好きだからやっていたというのが本心に感じる

ただ欲しいものを制限されたから「僕周りの子よりも頑張ってるよね?」って思うようになっただけ

でも頑張る意味を感じなくなったのはそれがきっかけなのかもしれない

そもそも何かをするということ自体の意味を求めたというよりは欲しいものや自由時間が欲しかった

習い事の意味ははこなすだけで楽しいし積み重なっていくのも楽しいし何かの役に立ちそうだと思ったからやるだけ得だと思ってた

でも欲しいものが手に入らなかったときに自分が習い事をこなす意味がないように感じてしまった

これは関係のないことを自分で結び付けた感じがする



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