第十二話 扉は閉められた
驚くべき話は始まった。
「私、知ってるの…。今でも覚えてる。五年前、あの"ピースウォールの大審門が開く日"の出来事を…」
「大審門?」
シードが尋ねる。結構有名な話だが…シードにも知らない事があったのか。
「大審門は蟻一匹通さないピースウォールに唯一存在する大きな扉よ。高さ15.2m、横6.3m 。通常時は開く事は無いわ。あの扉が開く時は二つある。一つは…5年に一度、他国が使者を送って来た時。もう一つは…"護衛団派遣"の時…」
護衛団、それはこのウィンスター王国ににて何よりも名誉のある職だ。
ウィンスター王国が巨大なピースウォールで国を囲う理由。
それは外界が戦乱の世にあるからだ。と、この国では教えられる。そんな中、我がウィンスター王国ではピースウォールによって平和を気づいているとも。
世を更に平和にする為、大陸を治める強国、ウィンスターが外界に"護衛団"という兵を送るという事は広く知られている。護衛団は帰還する事はできない。生涯を壁の外で過ごす事になる。
しかし、それは名誉な事である……と言われているが、俺個人としてはどうも納得し難いことだ。親からしても帰ってこれる方が余程嬉しいだろうに。
「五年前…前回、他国からの使者が大審門を訪れた時の話だわ。その国の名は『ルードルート帝国』。私が知ってる限りこの国は大審門が開くたびにウィンスターを訪れているわ。…もっとも私はこの村に住んでるから見に行ってはないけど。知ってると思うけれどここからピースウォールまでは1000キロはあるわ」
彼女は一息に言葉を発すると次の言葉を強調するように
「けれど!」
と言い手を叩いた。
「私は五年前、偶然ピースウォールのすぐ隣、王都キンガルで働いていたわ。そのおかげで滞在中に使者の行進を見る事ができたの…」
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「フローレンスさん。今日の使節団の行進って見にいく予定とかありますか?」
忘れていた。度重なる仕事、仕事、仕事。多忙な生活の中でそれを思い出すのは私にとっては無理な話だった。
歳をとり、体が大きくなった私は葡萄色からこの"王都キンガル"へ上京し就職した。職業はギルドの受付。何が酷いって押し付けられる仕事の量だ。吸血鬼は夜に強く、他の種族より体力もある…がそれも個人差である。吸血鬼というだけで押し付けられる仕事の量、出勤時間…
「え…ど、どうかしら。まだ何も決めてないわ」
話しかけて来たのは同僚の男だ。
「…もし良かったら一緒に観に行きませんか?今日はフローレンスさんも夜勤はなかったと思うので…」
(こいつ、デートでも誘ってるの?…いくら私が可愛いからって今日の夜は久々の私の時間だわ。悪いけど断ろうかしらね…)
「あー…ちょっと今夜は用事があるわね。申し訳ないけれど行けないわ」
男は少し残念そうな顔をしたが、特にそれ以上誘う事もなく諦めたようだ。
(でも…ちょっと気になるわね。なんやかんやで使節団の行進は見た事がないわ)
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私が家を出たのは日もとうに沈み端が欠けた月が街を青く染める頃だった。
同僚には見に行かないと言ったものの、かなり大きなイベントの様で、流石の私も少し気になった。
使節団の行進は夕から夜にかけて行われる。使節団は王都キンガル中を楽器を弾きながら回り、夜10時に王の住む宮殿、"エリディレ城"に参上する。というスタイルは300年間変わらずなのだという。
時間は夜の九時、行進を見るにはかなり遅い時間だ。恐らくキンガル中の徘徊は終わり、そろそろエリデェレ城に向かっているだろう。
そう思い私はエリデェレ城の方向へ歩みを進めた。
城下町に近くなると街は賑わいを見せ、出店が並び、その明かりがレンガ造りの街を照らす。
もしかしたら間に合わないかもしれない。私は歩みを速くした。
レンガを踏む靴の音は街の賑やかさに飲み込まれていく。
その時だった。
ーードン、ドン…ヒュロロー
太鼓の音。笛の音。
使節団だ。すぐ近くまで来ている。
私は音の方向へ向かう。
狭い路地裏を抜け、大通りへ出た。案の定大通りは人だかりで混雑していて使節団が見えない。
一目でいいから見たいと思い、人をかき分けるようにして
前へ進む。この時ばかりは羽が邪魔に思えた。
遂に人と人の間から使節団の姿が見えた。トランペットを吹く人、小太鼓を叩く人、その姿はまるで凱旋のようにも見えた。
しかし、次に私が目にした事は生涯忘れる事はないだろう。
使節団の先頭、一人、小高く気品のある歩き方で歩む女性がいた。
羽がある。吸血鬼だ。
腰までかかるピンクの髪、長い足、腰に携えた短刀。
間違いなく、私が目にしたのは、、、
私から家族を奪った"あの吸血鬼"だ。
私は驚きの余り何歩か後退りする。30年間、封じてきたあの思いが蘇る。血に塗れたあの女の頬、赤い目、そして孤児院の日々…
私は思わず駆け出した。あの女の元へ。
大通りを規制する線を超え、使節団の元へ駆け寄る。
使節団を護衛する兵士が私の元へ向かい槍の持ち手で殴り押さえつけた。
「貴様!何をするつもりだ!」
私は兵士の声には耳も貸さず暴れる。
「とにかく離して!あの女を城に入れたらまずいわ!離して!」
暴れる私の首に兵士が槍の刃を当てたのが分かった。
「暴れるな!これ以上動くと切るぞ!」
視線が私に集まる。使節団も演奏を辞め、事に気づいた女が
私に向かってきた。
あの歩き方、あの髪を触る仕草、何もあの頃と変わりはしない。
「嫌!来ないで!」
女は無言で私の元へゆっくりと歩み寄ると膝をかがめ話しかけてきた。
「若い子は夜に一人で出歩いたらいけないわ…お家でゆっくりしてなさい」
何を言っているんだ。私を覚えているだろう。あの夜の日の事も。仇をとりたい。命すらも惜しまない。怒りで私はさらに暴れる。しかしそれも虚しく、私には無常にも離れゆく女の背中を見ることしかできない。
女は城の門の中へ入って行った。
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「きっとトレシアはルードルート帝国の傘下だわ。水瓶戦争は本当の"戦争"だったのよ」
パティは拳を握りしめてそう言う。
そんな事があったとは。シード、ディバイドの表情からもショックが読み取れた。
「…この事はまだマル爺にも誰にも言ってないわ。言うべきなんでしょうけど信じて貰えるか分かんない…」
パティは言葉を続ける。
「もし、私の言う通り、トレシアがルードルート帝国の傘下だというなら…私はピースウォールを超えてルードルート帝国に行きたいわ。何故、あんな事が起きたのか。私、ずっと思ってたの。この国は本当に平和なのかなって。もう水瓶戦争の事はきっと国民の大半が覚えてないわ…」
彼女の目には涙が浮かんでいた。誰にもそれを止める事はできないだろう。
「あの戦争はない事になってる。水瓶戦争が"本当の戦争"だと言うなら何故こうも風化してしまったの!!何かがおかしいわ!!国は何かを隠してる!!あの戦争の時だって国営ギルドは派遣されなかったわ!!」
パティは遂に泣き崩れてしまった。
ロストロへ向かいたい理由は十分に分かった。
「分かった。パティ。俺も何かがおかしいと思う。今夜マルガルの元へ行こう」
俺は最低限の言葉しかかけることができなかった。
「連れてってよね…あんた達、マル爺に命を助けられたんでしょ。恩ってのは返すのが義理だわ…頼むわよ…」
水瓶戦争。俺だってつい先日まで知らなかった事だ。何故、このような大きく、悲惨な出来事が世から風化しているのだろうか。
そこには間違いなく何らかの"捩れ"があるだろう。俺はそう確信する。
2時間後くらいだろうか。パティが居なくなったのは。