Story.5 エプリサテナ
≪――それで?≫
ホノオの問い掛けに、ガイアは首を傾げる。
「それでって?」
≪それで……どうして今日も我は、お前を乗せて町を目指しているのだ≫
訊いても仕方ないのだと分かっていたが、ライオンは問わずにはいられなかった。
昨日、ガイア本人から、ケイにどんな話を聞かされたのか懇切丁寧に説明を受けた。ケイ婆様は私の事を心配してくれているのよね、と神妙な顔つきで、大変反省している様子を見せながら語っていたのは、就寝直前のことである。
だからこそ、朝を迎えた途端、いつも通り町に出かける支度をしているのを見たときは、昨日の会話は夢だったのかと本気で思ったほどに理解不能だった。ホノオの気持ちを知ってか知らずか、あれよあれよという間に準備を終えたガイアは、案の定、己の〝聖獣〟を連れて神殿を出て、町を目指すように命じた。
「どうしてって、この変な病気とか怪我とかで深刻な被害が出始めているなら、尚更やめるわけにはいかないもの。治療の手を止めたら、被害は拡大する一方になっちゃうじゃない」
≪ケイがお前を叱った意味はなかったわけか……≫
一見は納得のいく論理のようだが、それはあくまでケイの言葉の中に「問題視されている事象に自ら関わりに行くな」というお叱りがなければの話である。
ホノオは思う。今頃、ケイはガイアが神殿を飛び出していることに気づいているだろう。それがただの散歩などではなく、町に向かったのだと察するのも容易なはずだ。本気で怒っているのではないか、と老婆の胸中に思いを巡らせれば、少々背筋が寒くなった。
風を切りながら走り抜け、時折草原の中に見かける美しい花は、極力踏まないようにしながら前へ進む。頬を撫でていく風は気持ちよく、朝日も温かく心地いい。
「ほっとけないでしょ」
少し沈黙した後、ぽつりとガイアが言った。不貞腐れたようにも、言い訳めいた呟きのようにも聞こえた。どちらにしても、あまり聞かせるつもりで口から出たものではなさそうだ。
敢えてライオンは、答える。
≪そうだな≫
遠目に目指している町が見えてきて、ホノオは走るペースを落とし始めた。
ガイアとホノオがやってきたのは、エプリサテナという町だ。赤い屋根の家が多く立ち並び、町の中央にはパクスミール国が運営する学校施設・カピジャが建築され、シンボルとしても有名である。周辺の町や村にはない、大きな図書館もあり、この上ないほど勉学に励むのに適した環境が整えられている。それゆえ、エプリサテナは、学問の町として名高かった。因みに、ガイアや幼馴染のクォーツは、カピジャの卒業生だ。
町の入口にあるアーチを潜り抜けるとすぐに、小さな店が軒を連ねた市場がある。恐らく、外部からやってきた旅人を商売相手に意識した構造なのだろう。町の住民も流れ者も集まることが多い市場は、人が賑わっていた。
「お、ガイアちゃん!」
ホノオから降りると同時に声がかかった。見れば、果物を売っている男が、ひらひらと手を振っている。ガイアはホノオを引き連れ、男に駆け寄った。
「おじさん、おはよう!」
「おはよう。随分早いじゃねえかい。また一段と綺麗になっちゃってよぉ」
「会う度に言ってない? 何度も言われると逆に疑っちゃうわよ」
この果物売りは、ガイアがカピジャに通っていた頃からの知り合いだ。おやつ代わりにと形の悪い果物を無償で分けてくれたり、果物と魔法の粉を加えた新作ジュースの味見係を頼まれたり、昔から良くしてくれていたのである。
彼が愛情をこめて育て上げた果物は見るからに質が良く、艶やかで瑞々しい。神殿に住む料理人も、ここの果物で作るスイーツは一層上手くできるのだと言って、定期的に買い付けに来ている。
「何か買ってくかい? お安くしとくぜぇ」
≪しとくぜぇい!≫
商人の顔で言う果物売りの肩で復唱するのは、彼の〝聖獣〟である紺色のハムスターだ。
ガイアは肩を竦める。
「私は、とびっきり出来の悪いものがあるなら、それが欲しいな」
一瞬呆けた顔を見せた男であったが、わざとらしく表情を歪める。屈みこんで、商品の棚の下に頭を突っ込み、姿を隠す。再び腰を伸ばして立ち上がった彼の手には、珍妙な形をした赤い木の実が乗っていた。
思わず固まっているガイアの目の前に、彼はその赤い木の実を突き出してきたので、ついそのまま受け取った。赤い木の実を凝視する。仄かな甘酸っぱい香り。艶やかな赤。まるで瓢箪のような変なくびれができた形。ツルの部分がぱっくりと割れており、表面には細かい傷が多い。
「……おじさん。これ、もしかして林檎?」
「もしかしなくても林檎だ」
≪林檎だー!≫
主人とハムスターが一緒になって腰に手を当て、偉そうに言う。そう、林檎なのね……と確かめるように言葉を再度口の中で転がし、
「……形、悪過ぎじゃない? どうしたらこんな可哀想なことになるの?」
「か~~~ッ! 相変わらず評価が辛辣なんだよなぁ! ちゃんとこれからガイアちゃんが食ってくれるんだから、その林檎は可哀想じゃねえんだよ!」
「いや流石の私もこれは躊躇うわ」
言いながらも、躊躇ったのはほんの数秒。ガイアが林檎をしゃくりと齧ると、とんでもない外見からは想像もできないような、上品な甘みが口いっぱいに広がる。自然と彼女の表情が緩んだ。昔から知っている、安心するここの林檎の味だ。
「たまには形のいい方も買っていってくれよなぁ。そんなんばっか食われてんじゃ、金も取るに取れなくて、商売あがったりだぜ」
「私はいーの。大体、おじさんの果物は美味しいんだから、いくらでも買って行ってもらえてるでしょ?」
「って言って、いつも金を落して行ってくれねえガイアちゃんなのでしたーっと。ケチだねぇ、全く」
呆れ顔で笑いながら、「商売の邪魔だぁ、どっか行っちまいな」とまた果物売りはひらひらと手を振る。ガイアは不出来な林檎を齧りながら手を振り返し、ホノオを連れて歩き出した。
カピジャを卒業してからも、パクスミール国に点在する町や村の多くに足繁く通っているガイアには、老若男女問わず顔見知りが多い。さらに、ガイアは神殿の巫女なので、礼拝や儀式で顔を合わせることもしばしばあるのだ。石畳の上を歩きながら、途中で色々な人に声を掛けられながら、歩みを進める。
エプリサテナの人々は、皆とても明るく気さくだ。昨晩ケイから聞かされた、原因不明の病気で村が一つ全滅したなど、不穏な話を忘れてしまいそうになるほど、この町は活気づいている。世間話を繰り返す中、妙な病気が流行っている噂はどうやらないらしいな、と思い、ガイアはそっと胸を撫でおろした。
今日、ここを訪れた理由は、怪我人の治療だ。神殿の参拝者たちにも話を聞いていたとき、原因不明だが骨折した子供を一人知っている、と語ったのが、エプリサテナの住民であった。この住民を介して、治療のために家を訪問する旨は伝えてある。
「あ」
事前に聞いていた赤い屋根の家が、遠目に見えた。その家の前の石段に座り、本を読む子供がいる。長い赤みがかった茶髪が前に垂れているため、顔は見えない。しかし、片足に包帯を巻いてギプスを付けており、傍らに松葉杖が立てかけられているのが視認できた。
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