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9話 誠実と色気

 まだ、昨日のことを思い出すだけで心臓がバクバクする。滴る汗の感触も、顔の火照りも、わたしに向けられた拍手の熱もすべて鮮やかに覚えている。


 他に比べられるもののない、あの、全力で演奏する気持ちよさといっしょに。


「シスターさんどうしたの?」「具合悪いの〜?」「顔赤いよ?」

「え、あ、ごめんねっ」


 ぼうっとしていたところを、子どもたちに心配されてしまった。

 ダメだダメだ、しっかりしなければ。


 わたしたちの修道会は活動の一環として、さまざまな団体へ教育支援を行っている。今日は、とある児童館へ来ていた。


「だいじょうぶ、元気だよ! それじゃ、もう一回歌ってみましょうか!」


 わたしの言葉に、子どもたちは「は〜い!」と返事をくれた。

 よし、と気合を入れ直し、わたしはピアノを弾き始める。それから歌を歌えば、子どもたちも元気な声で続いてくれた。











「アリアさん、歌もピアノもお上手ですよね〜!」


 子どもたちとの歌の時間がひと段落したタイミング、児童館の職員さんが隣にやってきた。


「いえいえ、そんな」

「……もしかして、元歌手とか? そんな映画ありましたよね」

「違いますよ〜、ふふ、その映画は大好きですけど」

「なんだ〜。でも、ほんときょうは一段とすごかったですよ! 聴き入っちゃった」

「……えと」


 ……それは、昨日のことが影響しているのだと自分でもわかった。新しい扉をひとつ開けたというか、空の飛び方のコツを掴めたというか、そんな感じで。


「素人の手慰みですよ」

「そんなそんな〜」


 なんて会話をしながら外を見れば、さっきまでわたしと歌っていた子どもたちが、うちの院長と追いかけっこをして遊んでいる。


 ……ちなみに院長は、どちらかと言えばすこし恰幅の良い方だが、信じられないくらい足が速い。「フハハハハハ!」と笑いながら、次から次に子どもたちを捕まえまくっている。かっこいい。


「あ、そうだ! ねえ、このあとおやつタイムなんですけど、よければ一緒にいかがです? きょうは豪華なんですよ〜!」

「え? いえ、そんなわけには……」

「ちょっと待っててくださいね〜」


 わたしが止めるよりも早く、職員さんはそう言って奥の部屋に引っ込むと、やがてその手に紙で出来た箱を持ってきた。ケーキ屋さんの包装箱だ。

 そして、その箱には——


「じゃじゃ〜ん! なんと! きょうは! あの浅葱屋さんのケーキが買えたんです!!」


 わたしも見たことのある名前が書いてあった。

 なんとなく、昨日の熱がまた胸の中にゆらりと顔を出した気がした。


「あ、浅葱(あさぎ)屋さんってご存知です? 和菓子屋みたいな名前ですけど、このあたりで人気のケーキ屋なんですよ〜! 売り切れ早くてなかなか買えなくって」

「ええと……あの、はい、知ってます。とても素敵なお店ですよねっ」

「そ〜なんですよ〜」


 職員さんは、テーブルに置いた箱を開けながら、ニコニコとうれしそうだ。

 勝手に、ほんとうに勝手にだけど、わたしは誇らしかった。あの人のお仕事は、こうして誰かを笑顔にするものなのだ。

 浅葱屋は、緋金さんのお店である。


「アリアさんも知ってたか〜、ほんと美味しいですよね、ここのケーキ。いい意味で今っぽさとかオシャレっぽさに寄せてないっていうか。素朴で実直で、誠実? みたいな。絶対に期待を裏切ったりしない味!」


「……わかります、とても」


 それはあるいは、あの人を、緋金さんそのものを評しているかのような言葉にも思えた。

 なんて考えていたら、職員さんが笑顔のまま言った。


「それに、店長さんも素敵だし〜!」

「っはい、それはもう!」


 妙に力を入れた返事をしてしまった。……へ、変に思われていなければいいのだけれど。


「そうよねそうよね! 旦那がいなきゃお店に通い詰めてたわ〜、な〜んてぇ。わたし、ああいう色気のある人好きなのよね〜!」


 わたしは思わずドキッとしてしまった。

 色気。……うん、やっぱりそうよね。

 緋金さんは、色気のある男性なのだ。親友の恋人に対してそんな風に感じるのははしたないだろうから、意識するのを避けていたけれど。


「ちょっと鋭い雰囲気あって、声は低くて優しくて、立ち姿はビシッとしてて」

「あと……あ、いえ、なんでもないですっ」


 手が、とても素敵です——なんて、つい言いかけてしまった。

 でも、……ほんとうにそう思うのだ。がっしりしていて、でもスラッとしてもいて……そしてそういった姿形よりなにより、全体に浮かぶ鍛え上げられた跡がこそ、素敵だと思う。


 ひと目でわかるほど、一生懸命な人の手。

 あの手に、環はいつも触れられているのだろうか……いや、いやいや、ダメだやっぱりはしたない。


「とにかく、その、素敵な人だと思います」

「そうよねそうよね〜。ま、目つきがちょっと怖いなんて言う人もいるけど……わかってないわ〜。すごく良い方なのよ」


 職員さんは、そこでちょっと真剣な顔になった。


「あのね……近くに、児童養護施設があるのご存知?」

「はい」


 児童養護施設とは、かつては孤児院という呼ばれ方もしていた、身寄りがなかったり家に帰れない事情があったりする子どもを預かる場所だ。

 うちの修道会も、いま話題に挙がっているところとは交流はないが、別の施設とは提携している。


「わたし、あそこで働いている友だちに聞いたんだけど、浅葱屋さんって、あそこを含めた事情のある子どもたちを預かる施設に、ケーキを無償で届けてるらしいのよ」

「え……」

「浅葱屋さんが売り切れ早いのって、人気だからとか店長さん一人しかいないからとか以外に、そのことも理由みたいなのよね」

「…………あの」


 わたしは、思わずギュッと自分の手を握り込む。


「浅葱屋さん、たまに、……売れ切れが早すぎるとか、……品薄商法やってるとかって」

「あー、言う人いるわよね〜……この事情を説明すればいいんだろうけど、あそこの店長さん、そのつもりはないって話らしいわよ。あ、だからアリアさんもこの話はナイショにお願いね」

「は、はい。……でも、どうして」

「施設に苦情がいったりするのが、嫌なんですって。いや〜、たしかにね、世の中広いから……自分がなかなか買えない腹いせに、『ケーキなんてぜいたくじゃないのか』みたいな電話、匿名で施設にかけてくる人って、……いるのよこれが」


 うちもだけど、子ども預かってる場所にはいろんなこと言いに来る人がいるからと、職員さんはため息を吐いた。


 この話を緋金さんに直接聞いたら、なんと答えるだろうか。それは、すぐに想像がついた。


 きっと、「ケーキを贈ると決めたのは自分ですし、数を作れていないのも自分なので」と言うのだろうと思う。だから自分の店の品薄への批判は、すべて自分で受けるのだと。

 自分の不出来ですから、なんて言って。


「やっぱり素敵だわ〜、店長さん。わたし、ずっとファン続けちゃう」

「……はい、わたしもです」


 立派な人だ、強い人だ、すごい人だ。そう思う。

 ……思うのだけど。


「…………」


 一緒に街を行って、いろんなものを味わって、隣を歩いてくれた緋金さんの顔を思い返して、……なんだかすこしだけ違和感があった。

 立派で強くてすごい。それはそうなんだけど、……そうなんだけど。


 ほんとうに、それだけなのかしら。そう片付けてしまって、いいのだろうか。

 だって緋金さんは…………ああ、どう言ったらいいかわからない。


 環なら、わかるかな?

 だって環は、わたしの知らない彼のことをきっと山ほど知っている、想い合う恋人なのだから。

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