7話 映画ときっかけ
「だからさあ、ちょっと調子乗ってんじゃねえのって!」
「すみません。ですが、なんと言われても今日は」
「チッ、いいよもう!」
吐き捨てて、店から出ていく男性。お客、と言うことはできないだろう。
彼に乱暴に開け閉めされた扉が、悲鳴をあげた。
「……む」
気を取り直して時計を見れば、もう約束の時間だ。
なんて、まさにそんなことを確認したタイミング。店のドアが、さっきとは打って変わって穏やかなスピードで動いた。
「……あ、あの」
「水地さん」
おずおずと店に入ってきたのは、髪の金色が鮮やかな、美しいその女性だった。
「こ、こんにちは。……えと、お、お取り込み中でしょうか? さっきの方は……」
「ああ、もうだいじょうぶです。声、外まで聞こえていましたか」
「く、詳しい内容までは……」
「なるほど。いや、お恥ずかしい」
相当、声の大きい人だったからな。
心配そうな顔をしている水地さんに、俺はなんでもない調子をきちんと作って言う。
「ちょっとしたクレームです。客商売をやっていると、おなじみのものですよ」
あれくらい、トラブルというほどのものでもない。
「さっきの方は…………いや、まあ、俺の不出来です。それよりすみません、すぐに準備しますね」
今日は、第二回目となる、水地さんと出かけようと約束した日である。店の定休日、水曜日だ。
せっかくなのでまたお店を見に行きたいからと水地さんが言ってくれて、待ち合わせ場所を俺の店にしてくれた。
しかし、そろそろ約束の時間だなと思っていたところへ、折り悪くさっきの男性がやってきてしまったのである。
「もしかして、外でお待たせしてしまいましたか?」
揉めている声が聞こえてきたら、入るに入れなかっただろう。そろそろ本格的に暑くなってきたのに、そうだったら申し訳ない話だ。
「いえ、そんな全然……! ……あの、それより」
「? 水地さん?」
ドアの近くにいた彼女は、店のカウンター近くにいた俺の方まで寄ってくる。そして、こちらの瞳をしっかり見つめて問うてきた。
「先ほどのこと、ほんとうに緋金さんに非のあることですか?」
「え?」
「内容は詳しく聞こえませんでしたが、でも……」
彼女は、その続きは言わずにじっとこちらを見つめ続ける。
「…………ええと」
美しく繊細に見える鳶色の瞳は、しかし、意外なほどに力強く。
俺は、口を開く。
「……さっきの方は、今日が定休日と知らなかったそうで」
ドアに下げた看板も見なかったのか、彼は店に入ってきた。普通なら鍵を閉めておいたのだが、水地さんがやってくることになっていたので、今日は開けていたのだ。
「今日は休みなのでと伝えると、……後に引けないと思ったのか、恥をかかされたと思ったのか、怒り出してしまいまして」
正直、お客の中にはたまにそういう類はいる。
「『そもそもお前のこの店は、普段から売り切れが早すぎるんだよ!』と。品薄商法やってるんじゃないのか、売れているからとにかく調子に乗っている、とも言われてしまいまして」
「そんな……」
「いえ、売れ切れが早いのは事実です。あまり、数をご用意できず」
いまのところ、俺ひとりでやっている店だ。体力には自信があるが、他の諸々の作業をしながらとなると、ケーキを作れる数には限界がある。
それからこの店には、お客に売る分のケーキがすこし少なくなってしまう事情もあったりするのだ。これは、人に話すつもりはないが。
「あの方も、他のお客が店にいないのを見て、今日は買えると思ったのかもしれません。それが叶わなかったから苛立ってしまったのかも。だったら申し訳なかった……なんて素直に思えるほど器は広くありませんが、俺の不出来があったことは事実ですよ」
「…………わたしは、緋金さんはとてもがんばっていらっしゃると思います」
「ありがとうございます、そう言っていただけると元気が出ますね」
素直に嬉しいなと思う。ありがたい話だ。
「面白味も何もないチョイスで恐縮ですが、まずはこういうところからどうかなと」
「ありがとうございます。……あ、あの、笑わないでくださいね? 実は……」
水地さんは、すこし恥ずかしそうに言った。
「わたし、初めてなんです……! だから、ちょっとドキドキしてます!」
いま俺たちがいるのは、駅前の映画館だ。
水地さんに『遊びの経験』をしてもらおうという趣旨で出かける先として、まず俺が選んだ場所はここだった。
「笑うなんてそんな。実は環からそれを聞いていまして」
適当に連れ回すのではなく、できる限り水地さんにとって有意義な時間にしたかった。それにはどうしたらと頭を悩ませて、いつか環が「アリアは映画館に行ったことがないんだ」なんて言っていたことを思い出したのだ。
「せ、世間知らずでお恥ずかしい限りです。……あの、わたしのうちの近くの映画館がですね、ゲームセンターとくっついてるところで、……元気のいい方々がよくいらっしゃる場所になっていて」
「なるほど」
ゲームセンターが不良の溜まり場、なんて時代は遠い昔だろうが、そんな文化も残っているところには残っているものだ。
「だから、両親からも『あそこには危ないから行ってはいけないよ』と言われて育ちまして……」
「へえ、では映画自体、あまり観ないで育ったんですか?」
「家ではよく観ました。特に、父が映画好きで。ただ、映画館ではなく家でゆっくり流すのを好んでいる人で、その影響もあってわたしにとって映画は家で観るものだったんです」
家族仲の良さが察せる話だ。……それは、いいことだと思う。
「そのままなんとなく、ずっと来る機会がなく。なので、今日は楽しみです!」
「よかった。……さて、なにを観ましょう」
俺たちは、館内の広いロビーの中、他の人の邪魔にならないような位置で、柱に貼られたきょう上映中のタイトルリストをふたりで眺めている。
女性の好む定番というと恋愛ものだろうか? ……いや、シスターの方にそれはいいのか? 別にダメではないか?
あるいは、親子の実話ヒューマンドラマものか、動物系の感動ものか。
「……あの、これはいかがですか!」
「え、……え? これですか?」
彼女が指さしたタイトルは、いちばん意外なものだった。
「……だいじょうぶでしたか? 結構、過激なシーンもありましたが」
「楽しかったですっ、音も映像もすごかったですね! お話も素敵でしたっ」
映画館に併設のカフェで、映画を見終わった俺たちはテーブルを囲んでいた。
「それはよかった。でもまさか、あんなゴリゴリのアクションものを観たいとおっしゃるとは」
水地さんが提案してきたのは、この夏に封切りされたばかりのアクション超大作だった。重厚な肉弾戦と派手な銃撃・爆撃戦に、ハイスピードのカーアクションまで足した、男臭さ満点の内容である。
「お好きだったんですか、ああいうジャンルのもの」
「いえ……初めて観ました。どうせなら、その方がいいかなと思いまして」
ああ、言われてみればたしかにそうか。
彼女の目的は、どうにかして昔の記憶を呼び覚ますために、今まで得たことのない刺激を得ることだ。
だったら、手を出したことのジャンルの映画を選んだ方がいい。
「なるほど、そうですね。楽しんでいただけたようで何よりです」
「緋金さんはいかがでしたか?」
「もちろん、とても楽しめました。見入ってしまいましたよ、格闘シーンなんて特に」
それからしばらく、紅茶で喉を湿しつつ、あのシーンがすごかったこのシーンに驚いたと映画の話に花を咲かせる。
なお、ついアクションにばかり気を取られていた俺と違い、水地さんはストーリーや登場人物の心情により意識を向けていたようだった。
「緋金さんは、映画は普段から観られるんですか?」
ひと通り、きょうの映画について語り終えたあたりで、水地さんがそう聞いてくる。
「うーん……夜、なんとなく流したりする日があるくらいですね。いちおう、配信サイトの有料会員にはなっています。好きな俳優がいて」
「へえ! なんて方なんですか?」
名前を言ってはみたものの、水地さんは知らないようだった。誰でも知っている超有名俳優、というわけでもないので、仕方ないところだろう。
「空手を長くやっていた人で、動きがすごく美しいんです。……空手を始めたきっかけも、実はその俳優なんです。彼の出た映画を小さなころに見て、幼心にかっこいいなと」
「そうだったんですか……! 素敵ですね」
水地さんはそう言って、優しく微笑んだ。
「……あの感動と憧れは、いまでも思い出せます。あんな風になれたらと思ったんです」
そう、あんな風になれたら。そうしたら。
「そうしたら俺も——……ああ、いえ」
余計なことを言いそうになって、俺はごまかすように頭を振った。
「とにかく、それがきっかけだったので、やっぱりずっと彼の出演作は追っています。水地さんは、好きな俳優や作品は?」
「んー……俳優さん、というと特定の方は浮かばないのですが、好きな映画なら」
「なんです?」
「ちょっと古いんですが、『Sister Act』という映画で……あ、日本では、『天使にラブ・ソングを…』です」
「……ああ! 観たことがあります」
原題の方に聞き馴染みはなかったが、邦題でピンときた。金曜夜にやっている地上波放送の映画番組でも、何度か流されていたはずだ。
「たしか、……ええと、クラブ歌手がシスター生活を送ることになるお話、で合っていますか?」
「それですそれですっ。マフィアの愛人として生きていた主人公が、そのマフィアに追われる身になってしまって、修道院に匿われるんです。そして、陽気な性格のクラブ歌手である彼女は、その明るさと歌の力で修道院に変化を起こしていく、という」
「そうだ、そんな話でした。みんなで歌うシーンをよく覚えています」
「素敵ですよね!」
水地さんは声を弾ませて続ける。
「わたし、続編も含めて、あの映画の歌のシーンが大好きで……、出てくる曲は全部、ピアノで弾けるようにも歌えるようにもしたんです。憧れちゃって」
どこか恥ずかしそうに、水地さんははにかんでそんなことを言った。
「……シスターになりたかった理由が、その映画ということは?」
「残念ながら。あの映画を観たのは、シスターになりたいと思い始めた後だったので。父が、『シスターが出てくる映画がある』って言って観せてくれたんです」
俺のいちおうの確認に、水地さんは首を横に振ってそう教えてくれた。それはそうか。そんなに簡単にわかったら、彼女もこれまで苦労してきていないだろう。
「ピアノ、お弾きになるんですね」
「はい。もともと習っていたんですが、あの映画がきっかけで熱心に練習するようになりまして。学校では合唱コンクールで伴奏もやりました」
ピッと背筋を伸ばして弾く姿が、容易に想像できる話だ。
「歌うことも大好きになって……あの、ミーハーでお恥ずかしいです……」
「いえいえ、……少なくとも俺にはなにも言えませんよ。まるきり同じようにして、空手を始めましたから」
「あ……ふふっ、じゃあわたしたち、揃ってミーハーということで」
「ですね」
映画の話から、まさかそんな妙な共通項を見つけるとは思わなかった。
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