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4話 舌と商才

「美味しいですね……!」

「ええ、さすが人気店です」


 最初にふたりで訪れた店は、海沿いの通りにあるパティスリーだ。

 腰掛ける店内のイートインスペースからは、大きな窓ごしに海が見え、最高のロケーションである。


 そして、この店が人気なのはそんなロケーションの良さに下駄を履かされてのことではないと、オーソドックスなショートケーキをひと掬いしてすぐにわかった。


「俺も初めて来たんですが、いや、ほんとうに見事です」

「なめらかで、濃厚で、舌に幸せが残りますね……ううーん、美味しい……」


 テーブルをはさんで向かう側、ケーキに舌鼓を打つ水地さんはしかし、とにかく絵になる。ただケーキを食べているだけでも、なにか特別なものを眺めている気になってしまうほどだ。


「…………え、……ええと」


 俺がじっと見てしまったせいで、彼女は照れくさそうな顔で苦笑する。


「あ、失礼しました、つい」

「は、はしたなかったでしょうか、ケーキではしゃいでしまって……」

「そんなことは。……というか、さすが品があるなと。ただ食べているだけなのに、それがはっきりわかります」


 食べる前の祈りからはじまって、彼女の所作はすべてが見事だ。それは、優雅さや流麗さというよりも、一つひとつの動きに香る丁寧さによるものである。

 彼女が絵になるのは、彼女自体の美しさはもちろんだが、きっとこの人柄がにじむ動きの丁寧さの方が、要因としては大きいと思う。


「はじめてお会いしたときからずっと思っていたのですが、水地さんは本当に所作がお綺麗ですね」

「いえ、そんな!」

「素晴らしいと思います。自分などは、いつまで経っても粗野なもので。……空手の師匠がいつも言っていました。『考えずに行う動きの中にこそ、その人間の考えが宿る』と」


 それは戦いの中でも生活の中でもそうだ、とも。だから、はじめて誰かに相対したときはまず所作を見なさいと言われたし、見るための観察眼をこそ鍛えなさいと教えられた。


「動きの中に、なるほど……。でも、緋金さんこそお綺麗じゃないですか。背筋がスッと通っていらっしゃいます、すごく。立っているときも、歩いているときも、こうして座っているときも」

「それは……そうでしょうか?」

「はい! 武道をやっていらっしゃった方は、皆さんそうなのでしょうか。とてもお綺麗です。それから…………所作とはすこし違うのですが、手が」

「手?」

「その……男性らしいというか……あ、はしたない言い方でしょうか……? ええと、その、つ、つまり、お綺麗です」

「……いちおう、鍛えてはきましたが、うーん」


 綺麗?

 改めて見てみるが、骨張って筋張った、男の手だ。人よりすこしだけ長いかもしれない指は、空手の部位鍛錬で皮が厚い。


「……あ、そうっ、刀のようです!」

「刀、ですか?」

「はいっ、日本刀! 鍛えに鍛えられていて、だから、お綺麗です」


 納得のいく表現だったのか、水地さんの語調は言い切る強さだった。

 刀、か。


「……ありがとうございます、嬉しいですね。そう言っていただけると」


 この手で、殴って払って受けて逸らしてを数え切れないほど繰り返したあの日々が、フッと蘇る。

 ……この期に及んでまだ、そこに未練を覚えたのは、自分でも笑ってしまうけれど。


「あー、なんの話をしていたんでしたか」

「ケーキの話、です。ふふ」


 水地さんは、そう言ってパクリとケーキをまたひと口食べた。


「……うーん、やっぱり濃厚ですよね、特に生地が。卵が違うんでしょうか………………あ、わたし、プロの方を前に知った風な口を……! お、お恥ずかしい……」

「いえ、……水地さん、これは大事なことなのでぜひ聞いていただけると」

「え? は、はいっ」


 しっかりはっきりと、俺はそれを伝える。


「俺は、甘味に関してはそこそこのバカ舌です」

「…………え?」

「繊細な分析なんて、まともにできたものではありません。きっと水地さんの方が、よほどいい舌と感性をしていらっしゃいます」

「そ、え、でも、ひ、緋金さんのお店はとても人気だと環も……それに、初めてお会いしたときにいただいたケーキもすごく美味しくて……」

「そう言っていただけるとたいへん励みになります。ただ、ケーキが人様にお出しできるくらいの味になっているのは、泥臭く物事を続けるのに人よりちょっと慣れているからです」

「そ、そうなんですか……?」


 なんと言ったものか困った様子の水地さんに、俺は続ける。


「ケーキ作りの方の師匠と自分を比べたのなら、ほんとうに同じ人間なのか自信がなくなってきますよ」


 いま食べているこの店のケーキがすばらしいことは、ひと口食べて俺にもすぐにわかった。

 だが、「ほんとうにできる人たち」はそんなレベルではないのだ。口にしたものをこと細やかに分析し、あらゆる要素を洗い出していく。それが本来の、食のプロだ。


 だから俺は、自分に対して「偽物が店をやっている」という意識をずっと抱いたままでいる。


「新作づくりのためのこのケーキ食べ歩きも、他の店の技法を学ぶというより、ざっくりとしたインスピレーションを得ることや需要の市場調査が目的です。そんなのがケーキ屋の店主なんてやっているのだから、なかなか世も末でしょう」

「そ、そんなことは!」

「……言い訳をさせていただけると、俺のような体育会系の男どもの中では、そう珍しい手合いでもないんです」


 おかげで、自分の舌の鈍さについて、空手の道を諦めてケーキづくりの修行をはじめるまで、俺はこれっぽっちも自覚していなかったのだ。


「空手をやっていた頃の話ですが、……たまに、道場にケーキを差し入れてくださる方がいらっしゃいました。なのに、俺たちはひどいものです。繊細な出来のそれらの品を、全員、バクリとひと口ふた口で食い終えては、出てくる感想も『うまい!』『甘い!』『ちょっとちっちゃい!』くらいという」

「そ、それは……えと、ご、豪快でいらっしゃいますね」

「ケーキをフォークで食べる文化すらありません。手掴みです、手掴み」

「わああ……ワイルド……」


 体育会系全員がそうというわけではもちろんないが、平均値はこんなものだと思う……そう思いたい。……思わせてほしい。


「菓子づくりの修行をはじめたときは、自分の舌の悲惨さに愕然としましたが……その頃から考えていたんです。俺は、俺たちみたいなヤツのための店を作ろうと」

「緋金さんたち、みたいな」

「はい。俺たちみたいな、大して甘いものの細やかさを感じ取って味わえない野郎どもでも、食べて『ここはこれがこんな感じでうまい!』って、なんとなくでもわかる店を作ろうって」


 バカ舌(どうるい)大歓迎。それは、俺の店が持つ唯一のコンセプト。


「単純なメニューだとか大味だとか言われてもいいから、とにかくわかりやすい品を出そうと。俺たちみたいな野郎連中でも、甘味の違いや選ぶ楽しさを味わえるように」

「…………なるほど」

「ええ、……はは、ですが——」



「それはさぞ、女性のお客さまがたくさんいらっしゃるでしょうね」



「え……」


 水地さんの予想に、俺は思わず固まった。


「あ、ごめんなさい、ち、違いました……?」

「いえ、……その通りです。驚きました、……どうしてわかるんですか?」


 店を始め、どんなメニューがあるか認知されてきたころになって、ドンとお客は増えた。

 そしてそれは、男性客を意識していた俺の予想に反し、いま水地さんの言った通り、ほとんどが女性客だった。……彼女たちが来てくれる理由がわからなかった当初、もっと女性好みのお店はほかにいくらでもあるのにと、俺はしきりに首をひねったものだ。


「ええと、言い訳が、必要なんだと思いまして」

「言い訳……」

「はい。ケーキにも、女にも」


 微笑んで、水地さんは静かに続ける。


「ケーキって、甘くてとっても素敵です。何度でも何個でも食べたくなるくらい。でも、生きていくためのお食事とはすこし違うから、ほおばることに後ろめたさも、いろいろな意味できっとあって。だから、『食べたいから』以外の理由が必要なんです」

「……それが、言い訳」

「はい。がんばったご褒美だとか、今日は記念日だからとか、——あの人が好きだから、とか」


 すこしだけ、ゾクリとした。

 水地さんがすらすらと語ることは……驚くほど、実際にお客から聞いた話と同じだったのだ。


「これは自分以外の誰かのためのプレゼントで、自分はおまけで一緒に食べるだけ……なんて、ちょっとずるいかもしれませんけど、わたし、素敵な言い訳だと思います。そういうものが必要なのが、きっとケーキという食べ物で」


 わたしたち、女という生き物なのかな、って。

 そんな水地さんの言葉には、どこか、砂糖のような甘やかさがあるように感じた。


「だから、男性もより楽しめる緋金さんのお店のケーキは、女性のお客さまが買っていきそうだなと思いまして。パートナーだったりご家族のため、って言い訳をして。……なんていうと、うう、やっぱりちょっと意地の悪い見方ですね……」

「いえ、そんな……。……お客さんたちから実際に聞いた話と、まったく同じです」


 このお店のケーキ、うちの人が好きなの。

 俺の店に来てくれる女性客は、みんな判で押したようにそのようなことを言うのだ——だからわたしも食べてオッケーよね、なんて、いたずらに笑うのも必ずセットで。


「すごいですね、いや、ほんとうに。うーん……安楽椅子探偵のようだ」

「いえいえっ、まさか。……でも、じ、実は、昔からちょっと好きなんです、こういうことを考えるの。これを欲しがるのはどんな人なんだろう、みたいな」

「そうなんですか? ……ん、そういえば環が、高等部の文化祭で水地さんが指揮をとった出店は売上一位だったとか」

「し、指揮だなんて。クラスのみんなで頑張っただけです」


 ちなみに、環によれば売り上げは全額寄付だったらしい。


「それは……いまならわかることですが、文化祭の出店はほとんど商売の基本そのままです。水地さんは、商才がおありなんですね」

「いえいえ!」


 ブンブンと手を振る水地さん。……シスターが『商才ある』と言われても、きっと困るのだろうけれど。


「羨ましい限りです。自分なんて、そのあたりのことも自信がなくて。バカ舌に加えて商才も乏しいのに、自分でもよくケーキ屋なんて開いているなと思います」

「そ、そんな……だって、環から聞いていますっ。緋金さんのお店は、たくさんお客さんがいらっしゃって、どのケーキもすぐに売り切れになってしまうくらいのお店なんだって!」

「たしかにお客さんはありがたいくらい来てくださっていますが、……うーん、いろいろ巡り合わせが良かったんですよ。それにケーキの売り切れが早いのは、あまり数をご用意できてない俺の不出来もありますから」


 また、ケーキの売り切れに関しては、他にちょっと特別な事情もあったりする。……その話は人にあまり明かさないようにしているので、言えないが。


「ご謙遜を。地域の人からは評判で、雑誌に載ったこともあると。なにより何度も言うようですが、食べさせていただいたケーキ、とっても美味しかったですし!」

「ありがとうございます。そう言っていただけるとホッとしますよ」


 いちおう、俺の店は安定した経営ができてはいる。商才のない俺が売り上げのことで悩まないで済むくらいには、健全な財務だ。


「あまり卑屈なのもどうかなとは自分でも思います。……ただ、なんというか、……こんな状況、分不相応なのではないかという思いがあったりして、ずっと。空手バカの舌バカが、いいのかなって」

「……あの、き、聞いてしまっていいものかわからないのですが」

「はい」

「緋金さんはどうして、空手をお辞めになって、ケーキづくりの道へ……?」

「ああ、それは……」

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