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26話 真相と箱

「た、ま、……き」


 あなたは。


『アリアがどこまで知っているかはわからないが、あいつは昔にいろいろあったやつだ。深い傷を付けられて生きてきた。……だったら、なあ、当然思うじゃないか』


 ねえ、環、あなたは。


『ずるい! ってさあ! だってわたしは見てないんだぞ、そのときの柊一を! あいつがいちばん傷ついたときの顔を、恋人であるわたしが知らないでどうするんだ!』


 狂ってなんか、たぶんない。

 だって、変わってないから。


『知りたい知りたい知りたい! そう思ったら、もーやるしかないだろ? あいつがいちばん傷つくことはなんだろうって考えて、やっぱそれは裏切られたときだよなって』


 知りたいと思ったら、やるしかない。そんな姿勢は、わたしの知る環そのもので。


『恋人の裏切りって言ったら浮気だろ? それを、昔のあれこれを超えるくらいにショックを受ける形で示したかった。いろいろ考えたが、他の男とのセックスを見せるのがいちばん強いかなあって』


 なにかが狂ってこうなったわけじゃなく、最初からこうなのだ、この子は。


『でも、誰か別の男を事に引き込むのは無駄に話が複雑になる。取りたいデータに対して、なるべく他の要素はシンプルにすべきだ。そこをいくと、動画をでっち上げるというのは我ながら良いアイデアだったよ』


 立板に水の、流れるような説明。

 環の口調はずっと、開き直っているのともすこし違う、ただ当たり前のことを当たり前に語ってるだけのものだ。


『浮気に見えるのに他者の介在がない、というのは実に都合が良い。わたしが工学系の人間で、PCでなにやらやるのにも慣れてたってのも良いしな』

「……一瞬でも」

『うん?』

「一瞬でも、躊躇わなかったの。好きな人を、傷つけることに」

『んー、そりゃ傷つけたかったわけじゃないからな。だけど、傷つく顔を見るためには傷つける以外にない。いや、難しいよな恋愛って。恋人が出来てわたしも痛感したよ』


 ああ、環。


『なるほど複雑に出来ているというか。世間のあちこちでよくよく語られるのも納得だ』


 こっちから聞いておいてごめん、もうやめて。


『アリア、こうしてスラスラ語っているがな、わたしだってそのときはドキドキだったぞ。もしかしたら柊一はわたしに愛想を尽かすかも、さすがにフラれるかもって。……でもだいじょうぶだった! いや〜よかったよかった!』


 頭が、痛いんだ。


 これ以上ないくらいに、ガンガンと痛い。

 割れそうだ——あるいは、弾け飛びそうだ。


「…………」


 固く封じられた箱が、イメージとしてはっきり浮かんでいる。それは、わたしの胸の奥の奥に仕舞われていたもののようだった。


 その錠が、弾け飛びそうだ。

 環の声に言葉に反応し、中へ封じられたものが「外へ出せ」と叫んでいる。暴れている。


『わたしはあいつを愛しているんだ。別にやたらと傷つけたいわけじゃない。これについてネタバラシをしないのも、あいつを無闇に傷つけないためだ』

「……結局は真相の方も、負けず劣らず残酷だから」

『そう、その通り』


 これは、「浮気はしていませんでした」で終わる話じゃない。

 あのとき本気であんなに傷ついたのに、それは恋人がわざわざでっちあげたことで、その目的は自分を傷つけることだった——そう、緋金さんは知る羽目になる。


 本当の浮気だった場合と、果たしてどっちがマシだろう。


『わたしが考えるに、総合的なショックの大きさは浮気されたと思ったときと同程度くらいじゃないか? だとすると、いまわざわざネタバラシするのは、ようやく出来てきたカサブタを引っぺがして同じくらいの傷を付け直すだけのことになる』

「……そう、かもね」

『だろ? それはひどいことだと思うんだ。だからほんとうのことは言わない』


 緋金さんに事の真相を話せるかというと、……わたしも話せない気がする。だって絶対に傷つく、あの人はまた深く深く。


 でも、だからといって、いまの彼の痛みを無視していいとも思えない。


「……緋金さんは、ずっと浮気のことを引きずっている。たとえばきっと、環がわたしと緋金さんを引き合わせたことについても、なにか意図があるんじゃないかとか、そういうことを考えてしまったりしているはず」

『ああ、わたしが柊一を試してるとか? うーん、特に意図はないんだがな、柊一とアリアを会わせた件は、完全にあいつへ尽くしたいわたしの愛だよ』


 ガン! と心の中の箱から一際大きな音がした。内側からなにかが強く叩いている。その衝撃は頭痛となってわたしの頭に響く。


『仕方ない、わたしはこれからも浮気女の汚名を背負って疑われていくさ——なんて言うのは恩着せがましいよな! それくらいはわたしにもわかる』

「環は」

『うん?』

「緋金さんのことが、好きなのね」


 わたしのその問いに、付き合いの長い親友は笑った。


『あっはっは! だから何度も言ってるだろう、大好きだよ、愛してる! そう、それで』


 ああ、痛い。頭が痛い。


 箱の中でなにかが暴れる。掛けられた錠を無理やり破ろうとする。


『柊一もそんなわたしをなんだかんだ愛していて』


 ガン、ガン、ガァン! と、何度も何度も衝撃が響いて——



『つまりわたしたちは幸せなのさ!』



 バガァァンと、一際大きな音が鳴った。


 その瞬間、不思議なほどはっきり見えた。錠が吹き飛び宙に舞い、待ちかねたと言わんばかりに箱の口が開くのが。

 そして。



 ——知りたかったんでしょう、アリア



 頭の中、そんな声が鳴り響く。



 ——ようやくね。どうしてシスターになりたかったのか、いえ……



 それは、わたし自身の声。



 ——シスターにならなきゃいけないと思ったのか



 ゆっくりと、はっきりと、こう告げる。



 ——思い出すときが、やってきた

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