17話 花火と恥
「はい、……素敵です」
花火を観るような姿勢で、しかしその実、わたしの目は密かに隣の人へ視線を向け続ける。
……望まない、もちろん。彼の目がこちらを捉えてくれることを、わたしを見てくれることを、望みなんてしない。それでいい、そうあるべきなのだ。
「……っ、……?」
ため息を飲み込んだとき、ズキリと頭痛が走った。なんだろう、偏頭痛持ちではないはずだけど。
……こんなことがつい最近もあったような、いつだったか。
記憶を探ろうとして、「そんなのもったいない」なんて思った自分の浅ましさに顔を顰める。……せっかく緋金さんの顔をじいっと見られる時間なのに、物思いに耽るなんてもったいない——そんな、はしたなく愚かしい考え。
空ではドン、ドンと変わらず花火が上がり続けている。
それを「おおー……いいなあ」と声をこぼしながら見上げる緋金さんの横顔は、いつもよりどこかすこし幼い。
誰にも見られていないと思っているからだろうか、ひとりきりだとこうなのだろうか。それとも、……環とふたりきりのときもこんな顔をしているのだろうか。
あるいは、まったくわたしの知らないような表情を。
今度走ったのは頭痛ではなく、全身の肌を焼くヂリリとした熱さ。……わかってる、親友の恋人にこんなこと考えている自分が、とてつもなく恥ずかしい女だってことくらい。
「…………」
つらつら考えすぎて糖分を求めたのか、それとも落ち着かなくて手持ち無沙汰だったからか。わたしは、買い込んだものの中から甘いものを取り出す。お祭りの定番、りんご飴。
飴でコーティングされた果実はすこし硬く、歯を立てるとカリッと小気味いい音が鳴った。うん、美味しい。
「…………え、あ、……その、ちょ、ちょっと甘いものが欲しくなりましてっ」
恥ずかしい!
ちょうど花火と花火の間に音が鳴ったからだろうか、気がつけば緋金さんがこちらを見ていた。……隙あらば食べてる食い意地の張った女だと思われたかしら……! 口とか開きすぎてなかった……?
……食べているところを好きな人にまじまじと見られるのって、なんでこんなに恥ずかしいんだろう。わたしだけ……?
「……美味しいですよね、俺も好きです」
今、ちょっと間がなかった!? や、やっぱり思われてしまったかしら! よく食べるな〜とか!
サアッとりんごよろしく顔が赤くなっていくのがわかる。薄暗闇はそれを隠してくれるだろうか、夜空咲く輝きはそれを暴いてしまうだろうか。
そわそわしてしまって、りんご飴の味はもうわからなくなってしまった。
そんなこんながありながら、やがて花火が終わる。最後の一発だろう、大きなものが一際音高く夜空で花開き、金色の尾を引きながら消えていく。
「終わると途端に寂しくなりませんか、花火って」
名残惜しそうに夜空を見上げたまま、緋金さんが言った。
「そ、そうですね、切ないですよね!」
無駄に力が入って元気いっぱいに返すわたし。切ないと思っている人間の口調ではない……。
ダメだ、ちょっと落ち着こう!
「あ、あの……わたしちょっとお花摘みに……」
「はい、場所はわかりますか?」
「前に見かけたので大丈夫です、行ってきますね!」
そそくさとその場を後にする。……あれ、これもはしたない? 子どもっぽく我慢していたように思われる? もうすべてが裏目に出ている気がする……。
自分自身に呆れ返りながら、無事に見つけた目的地で用件を済ます。やはりこういうイベント会場では並ぶので、結構時間がかかってしまった。
「落ち着いて落ち着いて、……落ち着いて」
人波の中を行きながらひとりごちる。浮き足立つな、暴走するな。
彼は『親友の恋人』、わたしは『恋人の親友』。それだけだ、そこを動くな。
気を引き締め直しながら歩いて、やがて緋金さんが待つベンチのところへと着いて——
「ね、お兄さんひとりなんでしょ〜!」「アタシらふたりだけで来てて、帰り暗くてちょっと不安だな〜って思っててぇ」
は?
と、小さく声が出た。
「いえ、自分は連れがいまして。申し訳ないのですが」
「え〜、そうなの〜? グループ? ……抜けるとかナシです?」「てかお兄さん何気に筋肉エグくない!?」
え、ヤバぁ! と声を揃える見覚えのない女性ふたり。露出多めな格好をした彼女たちは、「細マッチョじゃん、好き〜!」「かったぁ! バチバチ〜!」などと言いながら緋金さんの体をペタペタと触る。
「困ります、恋人がいるので。他を当たっていただけると」
「え〜オソロイ〜! アタシもいるんで、彼氏! おあいこ!」「それはそれじゃん夏だし! 的な! ……つかマジ良い体じゃんマジ好き〜!」
キッパリ断る緋金さんだが、女性たちは意にも介さない。自分たちからぐいぐい誘えば、男はみんな最終的には流されるはず、……なんて当たり前に信じているのだろうことが窺える、迷いのなさ。
彼女たちのうちのひとりが、緋金さんの腕にグッと自分の胸を押し付けて——
「お知り合いですか?」
熱い。
「ずいぶん親しいようで、びっくりしました」
全身がまるでガスバーナーで炙られているかのように熱い。口からは焦げついたように真っ黒な声が出ていく。
熱い、熱い、熱い。
「ゲ、……こんなんいるんじゃ引っこ抜けなさそ」「え〜、めっちゃ好みだったのに〜」
現れたこちらを見やり、二人組は苦い顔だ。わたしはそんな彼女たちなんて存在しないような歩調で進み、これこそがまったく自然なことだと言わんばかりの仕草で緋金さんの腕を取った。
「わかったわかった、ゴメンナサ〜イ」
二人組のうち、ひとりはそう言って緋金さんからサッと離れる。
もうひとりも同じようにする……その間際。
「ほんといい体なのにぃ」
などと言って、さりげなく最後にもうひと触りしようと、緋金さんの胸元あたりに手を伸ばす。
——は?
「……っ! ご、……ごめんってぇ……」
女性はこちらの顔を見、びくりと震えて止まった。
そして二人組はそそくさと離れていき、……その場に残ったのは沈黙だ。
「……す」
一拍置いて、声を出したのはわたし。
「すみません……!」
「な、なぜ水地さんが謝って……? 完全にこちらのセリフですそれは!」
「だ、だってわたし、……そんな筋合いでもないのにしゃしゃり出て……あ、あ、これも!」
バッと慌てて緋金さんの腕を離す。
……——なにをしていた、自分はいま。
「助かりました。……環の代わりをしてくださったんですよね」
「…………」
「すみません、自分でなんとかすべきだったのに情けない話です。俺の——」
「っそんなことはまったく」
俺の不出来です、なんて言葉だけは言わせたくなかった。
振り払おうにも相手が女性だから力任せはできない、というのが緋金さんの気持ちだったのだろうと思う。
でも時間はちょっとかかったかもしれないが、あのまま放っておいても結末は変わらなかったはず。あんな誘惑、この人はきちんと断る人だ。不誠実でもないし、……なにより環のことを心から大事にしているのだから。
そう考えて、ヂリッと肌をまた熱が炙る。
……ああ、そうか。
「…………熱い、ですね」
「そうですね。日が落ちてもなかなか涼しくはなりませんね」
わたしは、……ようやく理解する。
肌を焼くこの熱が、罪深い欲を持つ恥ずかしさからくるものなどではなかったことを。そんな倫理的なものじゃない。
そう思いたがっていただけだ。それこそが、いまほんとうに恥ずかしい。
「……環は、苦手ですよね」
「ええ、暑いとすぐにグデっとしますよ。夏に外へ出るとすぐに帰りたがります」
表面上は呆れたような、でもその裏に確かな愛情のある声で恋人を評する緋金さん。
それがわたしには熱いのだ。ヂリリと焼けて、——妬ける。
ずっと感じていたこの熱は、嫉妬だった。
「環じゃないですが、俺たちもそろそろ帰りましょうか」
「はい」
「人が多いのではぐれないよう気をつけましょう」
相手がわたしじゃなくて環なら、そう言いながら手を握ったのだろうか。
わたしは信じる教えのある身だ。特別な誰かを俗世に求めることはないと、誓いを立てた。
環は大事な親友だ。あの子が恋人と幸せそうにしている姿を見て、心からうれしかった。
だからわたしは、思うはずがなかったのに。
でもいま、それが止められない。
ああ。
あーあ。
——いいなあ、環は。
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