15話 浜辺と左目
浜辺にパラソルを立てシートを敷いて休憩していると、コロコロとビーチボールが前を横切った。緋金さんがサッと立ち上がり捕まえる。
「すみませ〜ん! そのボール自分たちのっす〜!」
大学生くらいだろうか、短髪の男性が走ってこちらにやってくる。その向こうには見えるのはネット。
ビーチバレーかあ、浜辺の定番という感じがする。
「ありがとうございます〜!」
「いえいえ」
緋金さんがボールを手渡すと、男性はマジマジと緋金さんの体を眺める。
「お兄さん、めっちゃいい体してるっすね! すげえ、細マッチョのお手本みてえっす! なんかやってるんすか!?」
「昔、空手をちょっと」
「へえ〜! かっけ〜!」
キラキラとした目で見られて、「それほどのものではないですが」と緋金さんは苦笑する。
やっぱり男性から見ても緋金さんの体はすごいのね! よかった、わたしが特別変なわけじゃない……! そうよね、誰だって興奮しちゃうはず! だってこんなにすごいんだもの!
「あ、そうだ! お兄さん、いっしょにビーチバレーどうっすか!?」
「いや、球技はからきしで。ご迷惑をかけてしまいますよ」
「俺らもど素人で、遊びでやってるだけなんで! 人足らなくて困ってるんすよ〜!」
パン、と手を合わせて男性は頼み込む。
「ほら、彼女さんにもいいとこ見せるチャンス的な! ……あん!? つか彼女さんめっちゃ美人! ひえー……かっちょいい細マッチョとパツキン美人……真夏のSSRカップル……」
「い、いえいえ、美人だなんてそんな! というか恋人でもなく……!」
緋金さんが素敵なのはその通りだけども!
「え、彼女じゃないんすか? じゃ、なんかの撮影とかすか……? じゃなきゃ説明がつかなくないっすか……?」
「い、一般人ですわたしたち!」
「いねえすよこんなバチボコ仕上がったルックスの一般人ペア……」
ほんとに撮影じゃないんすか? と男性はあたりをキョロキョロするが、そのうちハッとした表情になる。
「そうだ、先輩たち待ってるんだった! ……ね、お兄さんやりましょビーチバレー! さっきから先輩たちふたり対俺ひとりでやられまくってるんすよ〜! ひどくないっすか! 後輩いじめなの! だから、ね!」
「あ、あー……ええと」
緋金さんがこちらを見る。表情で「いいですか?」と聞かれているのだとすぐにわかった。
困っている人を見捨てられない、彼らしい。
「ぜひ、わたしも見てみたいです! がんばってください!」
「ありがとうございます、じゃあちょっとだけ」
うなずいてエールを送ったわたしに、緋金さんはそう応えて微笑んだ。
「よっしゃ、あざっす! 決まり決まり〜!」
「ただ、ほんとうに下手ですよ」
「俺たちもそうっす、楽しけりゃいいんすよ〜! …………——せんぱ〜い! 助っ人連れてきたっす〜!」
男性は緋金さんの腕を取りうれしそうに声を上げ、そのままビーチバレーのコートへと引っ張っていく。人懐っこくて元気な、なんだか夏そのものみたいな人だ。
わたしもその後ろをついていく。
「バッカお前、なかなか帰ってこねえと思ったら知らん人たちに迷惑かけて……!」
「かけてないっすよ〜! それよりすげえんすよ! 細マッチョと浜辺の妖精!」
「知らねえ童話を始めるんじゃないよ、熱中症にでもなったんじゃ——ん!? 細マッチョと浜辺の妖精だ!」
マジじゃんすげえ! 童話じゃなけりゃなんかの映画みてえだ! と男性たちは盛り上がる。て、訂正を入れる隙間がない……!
あまり慣れていない独特の勢いに、ついつい気圧されてしまう。運動好きな男性たちのノリ、って感じなのかしら。
「妖精はその通りですが、細マッチョの方は見かけ倒しですよ」
「いや〜またまた、つかマジでいい筋肉ですね! あ、うちの後輩が失礼しませんでした? 自分ら近くの大学の学生で——」
それから緋金さんは彼らと簡単な自己紹介を交わし、冗談を言い合ったりして笑い合う。お互いの口調はあっという間に砕けていった。
すごい……溶け込むのが早い……。
なんて驚いたけれど、考えてみれば自然なことなのかもしれない。緋金さんは元々体育会系の人なのだ。だけどああいうノリで話すところは、これまで見てこなかった一面だから新鮮だった。
知らないところなんて、やっぱりたくさんある。
「水地さん、そこのパラソルは彼らのだそうなので入っていてください」
「ありがとうございます」
「失礼、妖精さんとお呼びした方がいいでしょうか」
「も、もう! 緋金さんまで!」
「はは、すみません」
っ〜〜!
彼のいたずらな顔と言葉に、胸が自分でも驚くくらい高鳴る。からかわれることが背筋を抜けていく痒みのような感触を持つなんて、誰にも教わらなかった。
緋金さんは、親しい人にはわりと冗談口でいたずらなことを言ったりするのだ。環相手の会話を見て、わたしはそれを知っていた。
「…………」
勧められたとおり、パラソルの中に入る。白く輝く景色の中、落ちた影の内に。
さっきのは男性たちとの明るいノリが影響してのことでもあるんだろうけど、ともあれ自分は、彼にとって「親しい」類の相手に入れたのかもしれない。
うれしいと思う気持ちが、友人としてのものだけならどんなにかよかったろう。
そんなことを考えるわたしの前、楽しげな雰囲気でゲームがはじまったようだった。緋金さんとあの人懐っこい短髪の男性がペアだ。
「っしゃあ俺のサーブ! 行くぞ〜! っほ!」
「っはいレシーブ! オッケうまく上がったぁ! 緋金の兄さんそのまま打っちゃって!」
先輩ペアのひとりが打ってきた球に短髪の男性が飛びつき、ポーンと高く上げる。それはうまい調子でネットの近くへ寄っていく。
バレーにもビーチバレーにも明るくないが、そんな素人目にもわかるくらい、スパイク? アタック? を打つ絶好のシチュエーションに見えて。
ドッと、砂が巻き上がる。それは、チャンスを逃さず跳んだ緋金さんが上げたもの。
いや、跳んだというか……、
「たっけ!!」
短髪の男性が叫んだように、それは高く高く、まるで飛んだかと思うくらいの跳躍だった。ぐんぐん上がった体は、やがて重力と釣り合って一瞬空中でピタリと止まる。
緋金さんの手は後ろにキリリと引き絞られて、エネルギーの塊のよう。
誰もが想像したとおり、ビュッと音を立てて緋金さんの腕は振られ——
「「「…………ありゃ?」」」
誰もが想像できなかったくらい、豪快に空振った。緋金さん以外の男性たち三人が、揃って声を上げる。
そのままボールはポスンとコートに落下。
「……あ〜、やっぱりか。すまない」
着地し、困ったように笑って言ったのは緋金さんだ。短髪の男性が快活に笑い返す。
「あははは! ドンマイドンマイっす! 次っす次! てかジャンプまじえぐかったっす!」
「怖かった〜! こっちはやべえのぶち込まれるかと思ってヒヤヒヤしたわ!」
「人間ってあんなに飛ぶのぉ!?」
コートの向こうの先輩ペアもそんな声をかけて、明るい雰囲気だ。
そしてわたしは、……今更になって状況を理解した。球技が苦手——そうだ、だって。
「遠近感が……」
事故の後遺症で、片方の目がほとんど見えない。それならたしかに、ボールなんてまともに打てないだろう。
どうしてもっと早く気づかなかった、気づいていたら——気づいていたら、なに?
「…………」
緋金さんはもちろん、そんなことわかっていたはず。だったら、わたしから言えることなんてない。
緋金さんの手は、それから何度もボールを外した。鍛え上げられた彼の体は飛んできたボールにサッと追いつき、絶好の姿勢を作るのだが、しかしうまくいかない。
手が空を切る、最後の最後に。
「めっちゃいい感じなんすけどね〜、もうちょい慣れたらいけそうっすよ!」
「いやー面目ない。不出来だ」
緋金さんはいまこちらに背中を向けていて、どんな表情をしているのかは見えない。
「あのっ……ええと……」
だからどうしても抑えきれなくて、思わず声をかけてしまった。なにを言いたいのかもまとまってないくせに。
気づいた緋金さんが、こちらに振り向いて駆け寄ってくる。
「すみません水地さん、格好の悪いところばかり」
「いえ、そんな! わたし、その……」
言い淀む様子に、たぶん緋金さんはわたしが目のことを考えていると察したのだと思う。彼は苦笑を浮かべた。
「こういう感じは、いつものことなんです。……だから、もうすこしだけジタバタさせてください」
そう言って、またコートの方へと戻っていく。
ゲームが再開されて、また絶好球がネットの近くに浮いた。
「緋金の兄さん今度こそ!」
短髪の男性の声に応えて緋金さんはふわりと宙に浮き、絶好の体勢を作る。
そしてやはり、……その手は空を切り、
「……っふ!」
——まだだ! と言わんばかりに出たのは脚だった。背後へ抜けていくボールへ、落下しながらくるりと振り返った緋金さんは、すばやく足を振り上げる。
それは見事に目標をとらえた。ポーンと高い軌道を描いて、ボールは向こうのコートへと飛んでいく。
え、すご……。
「おお、マジか!」
落ちたところも良かったのかもしれない、予想もしない形で返ってきたボールに、相手の先輩ペアはうまく対応できなかった。緋金さんたちの方へ点数が入る。
「……うお〜緋金の兄さんかっちょいい! なんすかいまの!」
「リーチに余裕がある分、脚の方ならなんとか当たるというか…………蹴りは得意なんだ。アタックは無理そうだが、拾うだけならいけそうな気がする」
「よっしゃその作戦でいきましょ!」
そこから、緋金さんはひたすら脚でボールを蹴り上げ続けた。
ドカンと攻撃ができるわけではないけれど、どこにボールがいっても追いついて脚を伸ばして拾ってしまう。その後に起き上がるのもものすごく早くて、とにかく相手は点を決められなくなってしまった。
「はあ、はあ、マジかよこれど〜すんの!」
「無敵じゃんちょっと待って! ……ちょおっと待ってよぅ……!」
打っても打っても返ってくるボールに、先輩ペアがバテていく。
「ど〜したんすか先輩方! 見てよ緋金兄さんを! 息一つ切れてない! ……え、マジで切れてない、やば……」
「鍛えておくもんだな、足掻くのは慣れてるんだ」
さわやかに笑う緋金さんは、そのあとも早回しみたいな動きで鉄壁の守備を続け、結局、ゲームをひっくり返して勝ってしまった。
足掻くのは慣れてる——その言葉が頭に残る。
……緋金さんは、そうやって生きてきた人なんだろう。
わたしにはそれが、……なんだかものすごくたまらないのだ。
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