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14話 海と水着

「いよいよ夏真っ盛りという感じがしますね、こういうところへ来ると」

「そ、そ、そ、そうですね!」

「……水地さん、無理だけは」

「だ、だいじょうぶです! 無理だなんてなにも!」


 そんな言葉は返ってくるが、心配だ。なにせ照りつける太陽は煌々として、砂浜からの照り返しも強い。そして、彼女の顔は見たことがないくらいに赤い。


 熱中症になってしまっていたら大変だ。本人は暑さ寒さにすこぶる強いとは言うし、いままでの付き合いの中でもそれがほんとうであろうことはわかっているが、体調に絶対はない。

 こうなれば。


「さっそく、まず足先だけでもちょっと入りに行きましょうか。気持ちいいですよ、きっと」

「は、はい!」


 日差しの下、水着姿の水地さんはコクリと大きく頷いた。金髪が美しく揺れ、陽光を吸ってきらりと輝く。

 夏。その季節の代名詞のひとつだろう海へと、俺たちは来ていた。近場の海水浴場である。


「で、でも、お天気になってよかったですね緋金さん! せっかくですし!」


 たしかに天気良し、波も高くなく夕立の心配もない。絶好の海日和、よかったよかった——なんて俺も思っていたのだが、……水地さんの様子のおかしさだけが心配だ。

 それは、常にない顔の赤さがひとつ。加えてもうひとつが、


「ひ、人もやっぱり、けっこういらっしゃいますね!」

「みんな、考えることは同じですね」


 砂浜を海に向かって歩きながら、どうにもこちらに視線が来ないこと。彼女はわりに、どんなときも相手の顔をじいっと見てしゃべる人だったはずなので、違和感がある。

 思えば、今日は待ち合わせ場所で合流したときからそんな感じだった。そして、海に着いてお互い水着に着替えてから、より顕著になった気がする。


 ……うーん、なにかしてしまったろうか。俺もこれで鈍い人間だ、わかっていないところでなにか。

 こういうことは正面から聞いても解決にならない。とにかく原因がわかり次第、速攻で謝って直そう。


「…………」

「あ、あの!」


 つらつらと考え、ついだまり込んだ俺の様子を見て、水地さんは声を上げた。


「わ、わたし、とても、その、楽しみに来ました! 海を! なので、その、う、浮き足立ってしまっているだけなので! ちょっと様子が変なのは、ご容赦いただけると!」

「え、あ、そうだったんですか。……よかった、なにか失礼をしてしまったものかと」

「まさかそんな! えと……こ、こういう格好に、慣れていないというのもありまして!」


 水着は、……たしかにそうだよな。シスターさんにそういう格好をするイメージはない。


「今更ですが、水着を着ることは……」

「あ、あくまでわたしの修道会では、ですが、必要があれば問題ありません。もちろん、過度な露出のものなどは、勧められていませんが……!」

「なるほど」


 俺も女性ものの水着のデザインにはまったく明るくないが、水地さんが身につけているのは、いわゆるオーソドックスなワンピースタイプ。あまり露出はない類のものに見える。さらに、その上にラッシュガードも着込んでいる。

 それでも本人の美しさが美しさ、華やかさが華やかさなので人目は惹くが、そこは仕方がないだろう。


 というかなるほど、顔が赤いのも恥ずかしさか。

 得心と安心を得る俺の前、やはりこちらと目を合わせないまま水地さんは続ける。


「海で遊んで来るといい、とアドバイスをくださったのも院長ですし……刺激が欲しいならとびきり開放的なところへ行けば? せっかく夏なんだから、と……」

「たしかに、この上なく開放的ですね」


 記憶の扉に指の一本でもかかればいいのだが。

 どうしてシスターになりたいと思ったのか、その記憶を呼び起こしたい。それが水地さんが俺といっしょにさまざまなところへ出かける理由。

 どうか叶えばいいなと、強く思う。それこそ、神に祈る。この優しい人の願いが叶うことを。


「……お」


 パシャリと足元で音が鳴る。気づけば自分たちは、いよいよ押し寄せた波が爪先まで届く位置にいた。心地のいい冷たさが脳まで届く。

 いいな、やはりこの瞬間は。海に来た、夏が来たという感じがある。











「あ……」


 ニッ、と緋金さんの口の端に咲いたそれは、無邪気な微笑みだった。ついワクワクしてしまったと言わんばかりの、まるで少年のような。

 思わず漏れた自分の声が、彼に聞こえてしまったか心配になる。普通にしないと、普通に普通に。


「お〜、……海、ですね、うん」


 言いながら、足先を水にチャプチャプさせて感触を楽しむ緋金さん。

 こんな顔、するんだ。


 わたしの前では、落ち着いた大人っぽさを纏うことがほとんどだったので、すごく新鮮だ。

 新鮮で、……素敵だ、なんてことは思ってはいけない。可愛いとか、抱きしめてしまいたいとか、そんなのは。


「海、お好きですか?」

「はい、景色といい感触といい、どうにも気持ちがよくて。水地さんは、海はよく行かれますか?」


 問う彼は、海からこちらに視線を向け直す。彼の瞳に体を射抜かれている感覚に、思わずわたしはさっと顔を伏せてしまう。

 ああ、失礼だ。ごめんなさい。今日はずっとこんな感じだ。せめて彼に変な責任感を覚えさせないよう、「浮き足立っているだけ、水着に慣れていないだけ」なんて後付けの言い訳はしたけれど……。


「そ、そうですね、わたしも、…………好き、なので」


 答えながら、そうっとチラリ、彼の姿を見る。


「〜〜〜っ!」

「水地さん?」


 ビクッと体を震えさせたこちらに、緋金さんは心配そうな声をかけてくれる。「な、なんでもないんです!」と強引にごまかしながら、わたしの体はたいへんなことになっている。


 熱い。夏の熱射のせいだけでは、まったくない。

 だって、……だって!!


「……た、たいへんなことに」

「え?」

「あ、あ、あ、いえあのなんでもないんです!」


 顔をブンブン振る。でもほんと、たいへんなのだ。


 それは内側から火で炙られているかのようなわたしの体の熱さもだし、……そして、緋金さんの体のすごさも、だ。

 鍛え上げられたと、そんな表現がまさにはまる。筋肉には詳しくないので具体的にどうこうとは言えないけど、とにかく引き締まっていて、それでいてはっきり付いた凹凸が深い陰影を描いている。


 これは、わたしに耐性がないから?

 水着一枚だけの男性の体を見るのに慣れていないから? だからこんなに、……これほどまでにビリビリしてしまうのだろうか。


 それとも、——青空の下に晒してはいけない感情が彼に対してあるからだろうか。

 わからないけれど、とにかくわたしには刺激が強すぎる。


「……その、ええと、海というのは、でもなかなか眩しいですね! 空も海も、砂浜もキラキラです!」

「目を焼きますよね、サングラスを持ってくればよかったな」

「サングラス……緋金さん、とても似合いそうですね!」

「それが実は、環に大笑いされまして。ハマりすぎてる、殺し屋みたいだと」


 う〜ん、と緋金さんは渋い顔。そんな様子のかわいさに胸が鳴るのと同時、「環」という単語が痛い。

 ……ごめんなさい、環。


 シスターでありながら、そうでなくてもだが、こんな気持ちを親友の恋人に持ってしまっているのだ。鉛を飲んだような、グッと内臓そのものが下に押しつけられるような、重たく塞ぐ気持ちがずっとある。苦い、罪悪感。

 同時にチリチリと全身が焼けるような感覚があるのは、きっと恥の感覚だ。こんなことになってしまって、わたしはわたしが恥ずかしい。


「こ、殺し屋なんてことは……もう、環ったら」

「でも、実際のところ俺も鏡を見て同じように思ったので、ヤツの言い様は妥当です。……いや、あそこまで笑い転げることもないか。思い出したら腹が立ってきましたね」


 そんなことを言いながら、緋金さんの口元は優しく緩んでいる。


 ……好きなんだなあ、環のことが。

 なんだか、前よりはっきりそれがわかるようになった気がする。


 そんな気持ちを自覚してか、また胸の中がズンと重くなり、全身が炙られたようにチリつく。横恋慕なんて、はしたないという言葉には収まらない。それは愚かしく、罪深いのだ。

 早急にこんな気持ちは静かにさせて、あるべきわたしに戻らなくては。


 わたしたちはそれからしばらく、ふたりで波打ち際を楽しんだ。

 ……そういえば、男女で海に遊びに来る場合、しっかりと泳いだりはしないらしいと聞いてはいたのだけど、あれってほんとうだったんだなあ。

 なぜわざわざ海に行ったのに泳がないのか、正直いままでよくわかっていなかったのだけど、実感とともに理解する。


「水地さんは、泳ぎはお好きですか?」

「得意ではないのですが、深くに潜るのが好きで。……でも、浅瀬をただ歩くのもこんなに気持ちいいのですね」


 そんな、なんてことのない会話をしながら、好きな人と素敵な景色の中にいる。泳がなくたって、それだけで十分だからだ。

 青い空と海、白い砂浜、光り輝く目の前の一から十までまるごとぜんぶ——その中に好きな人といられるだけで、百点満点なのだ。


 ……ああ、いやいや、だから!


「……? どうしました?」

「いえ、なんでも!」


 急に首を振ったわたしに緋金さんは不思議そうな顔。挙動不審でごめんなさい……。

 でも、振り払わなくっちゃいけなくて。百点満点だとかなんだとか言い出す自分の下卑た浮つきを。


 わたしたちは恋人じゃないし、そうなる見込みは完全にゼロで、そもそも決してなってはいけない。彼には素敵なお相手がもういて、それはわたしの親友で、そしてわたしは貞潔を誓うシスターだ。


 どうしてシスターになりたいと思ったのかはまだ思い出せていないけれど、わかっていることもある。


 善くありたい。


 それがわたしの中にある、とても強烈な想いなのだ。

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