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13話 恋と試練

「お恥ずかしい限りで、ほんとうにご迷惑おかけしました」


 電話越しとわかっていても、頭を下げずにいられない。きのうはほんとうに、醜態もいいところである。


『いえいえ、そんな。体質はどうしようもないですし、お店側が出してしまったことですから、緋金さんに謝っていただくことではないですよ』


 水地さんの柔らかい声。それはスマホから出る音になっても変わらない。


『それより、二日酔いはだいじょうぶですか? うちの父は、お酒を飲んだ次の日はいつも顔を青くしていて……』

「それは問題なく。ご心配ありがとうございます」

『……ほんとうですか?』

「ええ」


 言いながら、もちろんガンガンとした痛みが頭の中に居座っている。しかし、わざわざ伝えて心配をかけたものでもない。俺は話を変える。


「それより、きのう、俺はなにか変なことをしたり言ったりしていませんでしたか? どうも記憶が怪しくて」

『変なことだなんて。わたしを助けてくださいました』

「そこはうっすら覚えているような……助けるなんて大層なことではなかったかもですが」


 水地さんを追って走って、彼女に絡んでいた男たちを追っ払ったような、そんなおぼろげな記憶がある。

 が、問題はその後だ。よりアルコールが回ったのだろう、そこからのことは濁った沼を覗き込むがごとく、まともに見通せない。


 俺の記憶がどうにかはっきりしてくるのは、その後ベンチで起きてからだ(いつ寝たんだ……?)。多少なり酒が抜けたのだろう、自分で歩けるようになり、水地さんを送って家路に着いた。


「水地さんにはお恥ずかしいところばかりお見せしているような気がします」


 最初の待ち合わせでは遅刻し、二度目はお客に怒鳴られているところをお見せして、今度は酔いどれだ。


「俺の不出来ではあるのですが、……環のセンスを疑うのはどうか勘弁していただければと」


 こんな男を選んだのか、などと親友に思われるのは環だって不本意だろう。すまん。


『まさかそんな。環は素敵な人を選んだんだなって、いつも感心しきりです』

「ほんとうですか?」

『ええ、……心から』


 そんな会話もありながら、次の予定の約束をし、俺たちの電話は終わった。











「…………」


 修道院の一室、共用電話の受話器を戻す。

 周りには誰もいなかったけれど、わたしはなるべく顔を伏せたままそそくさとその場を離れ、自室へと帰った。


 ドアを閉めて——ずるりとその場に座り込む。行儀が悪いとわかっていても、腰元に力が入らないのだ。

 顔に手を当てる、……熱い。なんとか普通にしゃべれていたのが自分でも信じられない。


「電話、って……」


 だってあんな仕組みだ。耳元で、あの声が鳴るのだ。


「いけない……いけない、いけない、こんなの……」


 ぎゅっと体を丸め、うわごとのようにつぶやく。熱が引かない、きのうからずっと。


「…………」


 恋は落ちるものらしいと、聞いたことはある。そんなものなのかしらって、どうしてそんな表現なのだろうって、そう思えていたこれまでが遠い昔のようだった。


 たしかに、落ちたのだ。そうとしか言いようがない。

 稲妻が落ちた。それは、わたしの背筋を抜けて足元を砕いた。そしてわたし自身も落ちていった。内臓のフッと浮く感覚、「いけない」と全身が理解する怖気とともに。


 そしてすっかり、ここは知らない闇の中。


「……恋、って」


 なにを言ってるんだ、わたしは。


 だってわたしは誓いを立てたシスターだ。清貧、従順、そして貞潔を誓った身。

 人と結ばれることを選ばないと、神に仕えることを選ぶのだと、そう誓ったのだ。それに、緋金さんはすでに結びついている人だ。わたしの親友、環と。

 なにをどう考えたって、わたしのこの想いは……、


「いけない……いけない、いけない、絶対に……」


 そんな結論は明らかで。だからあとは、これをどう抑え込むか。


「…………」


 緋金さんとの関係を、絶ってしまうべき? それがいちばん簡単で確実な話だ。

 だけど、……それは。



『不出来なままでなんなんだろうって……。母を殺して、生まれておきながら』



「っ!」


 彼の言葉が蘇る。緋金さんは、徹底して自分のことを『不出来』だと思い、起きたことについて自罰的だ。きのう以外にも、『自分の不出来です』なんて言葉はたびたび聞いてきた。


 そんな彼に、どんな理由を付けてであれ、関係を絶ちたいと伝えたらどうなる?

 ……あの自己認識がどれだけ深い傷から出来ているかは、ほんのわずかしか触れていない自分にもわかってしまっている。こぼれる血がまだ止まっていないことも。


「…………————」


 体を丸めたまま、胸元をぎゅうううっと握りしめる。

 シンプルだ、ならやることは。

 わたしがわたしの想いを、ちゃんと抑え切ればいいだけの話なのだ。


「……そう、そうだ」


 きっとこれも、わたしの道に必要なことなのだろう。わたしの乗り越えるべき試練なのだろう。

 わたしはシスターで、彼の恋人の親友。

 それだけだ、それだけでいいのだ。それをただ、ずっと変えないままでいるだけで——


「アリア〜、ちょっといいかしら〜?」

「っ! は、はい!」


 ノックの音とともに、院長の声。慌てて立ち上がり、ドアを開ける。


「急にごめんなさい、備品のことでちょっと相談が……あら? 顔が赤いわよ?」

「え、あ、そ、そうでしょうか?」

「やだ〜、気をつけてね、暑いんだから! アリアの丈夫さはよく知ってるけど、暑さもんは暑いんだから!」

「は、はい、気をつけます」


 うんうん、健康こそパワー! と院長は変わらずの明るさで笑う。


 院長をはじめ、院の姉妹たちには、昔からお世話になりっぱなしだ。早く立派になった姿を見せたい、終生請願を立ててシスターとして一人前になった姿を——そんな想いは、ずっと揺るがないままこの胸にある。


 だいじょうぶ、だいじょうぶ、わたしは行くべき道を行ける。


「そうだ、アリア、暑いって話で思い出したわ。あなた、まだケーキ屋さんとのお出かけデイズは続けているのよね?」

「っは、はい」

「だったらいいお出かけ候補があるわ! あのね、やっぱり——」

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